2025.7.31

四代田辺竹雲斎が語る、日本が世界に誇る工芸美術の魅力と、クレドールの腕時計に宿る精神性

日本発のドレスウォッチブランド「クレドール」の新作トゥールビヨン限定モデルは、匠の技を結集したダイナミックな意匠と共に、日本の伝統工芸への敬意が表現されたエクスクルーシブなデザイン。竹工芸の名跡を継ぎ、竹という素材と向き合う現代アーティストとしても活動する四代田辺竹雲斎が、伝統と革新を体現する腕時計と邂逅した。

聞き手・文=佐野慎吾 撮影=morookamanabu

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 「The Creativity of Artisans-匠たちの探求と豊かなる創造-」をブランドメッセージに掲げ、あらゆるディテールに日本の美意識と匠の技を盛り込んだ、エクスクルーシブな腕時計を世界に向けて発信する「クレドール」。10月に数量10本限定で発売されるゴールドフェザー トゥールビヨン限定モデル「GBCF999」では、螺鈿、高蒔絵、蒔絵、切金という多彩な漆芸技法を駆使しながら、文字盤の中に空高く舞い上がる鳥の群れの姿をダイナミックに表現した。ブランドが追求し続けてきた「薄さ」と、腕時計を愛でていたくなる「美しさ」を高い次元で達成させることで、ブランドの絶え間ない「美への探求」を強く印象付けている。

ゴールドフェザー トゥールビヨン限定モデル「GBCF999」。クレドールの時計づくりにおける技術の伝承とあくなき美の追求が、漆/蒔絵/高蒔絵/螺鈿/彫金といった日本の伝統工芸と融合し、唯一無二のメカニカルコンプリケーションウオッチが誕生した

 大阪・堺市に工房を構え、曽祖父の代から続く竹工芸の名跡を継ぐ四代田辺竹雲斎もまた、日本独自の美意識と匠の技を、世界へと発信し続けている人物だ。各国の美術館でインスタレーションを展開するほか、ラグジュアリーブランドとのコラボレーションも数多く手がける彼は、工芸に対する敬意に満ちたクレドールを手に、日本の伝統工芸の魅力と、その未来について語る。

技術と共に伝承される、工芸美術家として生きるための教養と哲学

──まず、田辺竹雲斎という名跡の開祖について、どのような経緯で竹工芸を始めたのか、教えていただけますか?

 初代竹雲斎は、尼崎藩松平氏お抱えの医師の三男として生まれましたが、1871年に廃藩置県が行われ、自分で好きな仕事を選ぼうと思ったときに、幼少の頃から興味を持っていた竹工芸の道を志し、当時名工として知られていた大阪の和田和一斎に12歳で弟子入りしました。そこで12年修行した後に、和一斎のもう一つの号であった竹雲斎を譲られ、1901年に独立したのが始まりです。

──その後4代に渡って120年以上続いている名跡ですが、具体的にどのような技術が継承されているのですか?

 竹雲斎という名前を継ぐ者として、代々受け継いでいる伝統的な作品を次の世代へと繋いでいくことが、私の仕事の大きな柱となっています。竹雲斎工房ではいまでは珍しくなった徒弟制度を取っており、10人の弟子に対して「竹雲斎七技」と呼ばれる技術だけでなく、竹雲斎の精神性や思想をはじめ、細かいしきたりも伝えています。弟子入りすると3年で初伝、5年で中伝、7年で奥伝、10年で皆伝という10年の修行期間があり、皆伝の際には、大関昇進伝達式のように、着物を着て口上を述べるような儀式も行っています。

──技術面の継承だけでなく、精神性や様式的な伝統も含め、文化面の継承にも力を入れられているんですね。

 私も子供の頃から、工芸美術家として生きていくために必要とされる精神性や文化的な教養をたくさん学びました。畳の上の歩き方やお茶の作法、そのほかにも書画などを身につけたうえで、初めて竹籃を編むための技術を学ぶのです。初代竹雲斎の妻である曽祖母は、明治時代の人間ということもあり、祖母や母が嫁入りしてくるときには、工芸美術家とはどうあるべきで、それを支える妻はどうあるべきなのか、そして掃除の仕方からお軸の掛け方まで、とても細かく教育をしたそうです。梨園と呼ばれる歌舞伎の世界への嫁入りとも似ているかもしれませんね。

束ね編み舟形花  連綴 2020
Photo by Tadayuki Minamoto

10代まで名跡を残すために編纂する家伝書と、そこに記された革新の歴史

──そういった文化を後世に残していくために、いまどんなことに取り組まれていますか?

 茶の湯や、能や、歌舞伎が、なぜ数百年の時を経たいまも続いているのかと考えたときに、茶の湯であれば、茶道の精神や心得などを誰にでもわかりやすくまとめた「利休百首」、能であれば、修行法や演技論を理論的にまとめた「風姿花伝」があるように、先人たちがそれぞれの道を体系化して、詳細な記録として残してきたことが大きく貢献していると考えられます。だからいま私は、竹雲斎の名を十代まで残すためのプロジェクトとして、代々の作品の製図をデジタルとアナログ、そして動画でアーカイヴ化することや、不文律や口伝に頼っていた工芸技術のオープンソース化、さらには、代々の家伝書となる「竹伝書」の編纂を進めています。いまはどんな情報もネットにあると思われがちですが、それは本当に表層の部分の情報だけで、専門的な技術や精神性が深いレベルでアーカイヴ化されているわけではありません。十代目が竹雲斎の名前を継ぐ未来まで竹工芸の魅力を伝えていくために、いまできることをすべてやるべきだと考えています。

四代田辺竹雲斎 Connection-Yin and YangⅠ 2013
Photo by Tadayuki Minamoto

──竹雲斎の歴史を振り返ることは、竹工芸の未来を切り拓こうとする際にどのような役割を果たすのでしょうか?

 将来完成した「竹伝書」をもとに、歴代竹雲斎の仕事を振り返れば、そこには脈々と受け継がれてきた技術だけではなく、時代とともにアップデートとブレイクスルーを繰り返してきた、革新の歴史を知るでしょう。我が家には、「伝統とは挑戦なり」という家訓があります。伝統とはただ昔と同じことを繰り返すことではなくて、代々継承した技術やスタイルや精神性を武器に、それぞれの時代に新しい挑戦を続けること。その積み重ねが、後から振り返った時に伝統と呼ばれるようになるのです。「竹伝書」は決して技術のハウツー本ではなく、各時代に、その時代にしかできない表現があることを理解し、ブレイクスルーできる能力を身につける大切さを学べるものになるはずです。

──現在、竹雲斎さんはアーティスティックな造形の作品や、展示場所で組み上げ、その後解体される巨大なインスタレーション作品など、伝統的な竹工芸の枠組みを超えた作品を数多く手がけていますが、現代に竹工芸をアップデートして、ブレイクスルーするうえで心がけていることはありますか?

 いまの時代を生きる工芸美術家として、何を残し、何を捨て、何を表現するべきなのかということを正しく判断しながら、人を感動させられるような世界観を持てるように心がけています。その中心にあるのが、「守破離」という考え方です。何を守り、どのように破り、どう離れていくのか。軸足の置き方によっても、表現や世界観はまったく違う方向に向かっていきます。歴史や文化や基礎といった「守」の部分を学んで理解できていないと、それを破ることも、離れることもできません。

LIFE CYCLES 2022
JAPAN HOUSE LA, USA
Photo by Tadayuki Minamoto

──ラグジュアリーブランドをはじめ、日本の車メーカーや、珍しいところではハーバード大学の教授と数式をテーマに協業するなど、異業種とのコラボレーションにも意欲的に取り組んでいらっしゃいますが、そういった活動の裏にはどんな想いがあるのでしょうか?

 私の活動の根底にあるのは、竹工芸の魅力を世界に広く伝え、未来へと繋いでいくことです。竹工芸に限らず、日本の工芸美術には、自然素材の可能性を追求すること、世代を超えた技術の継承、そして文化的・歴史的背景という3つの要素があり、そういうものは世界中探してみても、なかなか見つかりません。これまで西洋の価値観を中心に世界が動いてきたなかで、日本の伝統工芸や、そこに宿る精神性は、世界に対して新しい価値観を提示できる稀有な存在になり得ると考えています。そういった点においても、伝統と革新を両立させていくことが命題となっている海外のラグジュアリーブランドに対して、日本の伝統工芸はとても魅力的に映っているのでしょう。それ以外でも、テクノロジーが発達した現代だからこそ、手仕事や伝統や素材の持つ魅力に対する意識は、世界中で高まっていると思います。

CONNECTION –GODAI– 2019
オドゥンパザル近代美術館、トルコ
Photo by Tadayuki Minamoto

見えない部分にまで込められた、匠のこだわりと美意識

──漆器の伝統技法を用いて制作されたクレドール ゴールドフェザー トゥールビヨン限定モデルを見て、何か共感される部分はありますか?

クレドール ゴールドフェザー トゥールビヨン限定モデル GBCF999
クレドール ゴールドフェザー トゥールビヨン限定モデル GBCF999

 伝統工芸はどれだけ優れた技術を持っていても、昔から変わらない表現を続けているだけでは、たちまち古いものとして現代人の共感が得られないものとなってしまいます。その点においても、腕時計の文字盤というこれだけ小さい世界の中にダイナミックな世界観を表現したことで、漆芸によって新しい価値観を見せられることが証明されています。よく見ると、切金の上に何層か漆を塗り被せている部分は、うっすらと赤みのかかった深みのある色が表現されており、トゥールビヨンを太陽に見立てた蒔絵や光の角度によって表情を変える螺鈿と相まって、非常に多層的で立体的なデザインとなっています。また、裏面にもとても細かい装飾が施されており、普段は見えない部分にもこだわる工芸の美意識を感じました。私が20歳ぐらいの頃、竹籃をつくる父の作業を見ていたときに、最終的に布を被せて見えなくなる縁の部分にものすごく拘っている父に対して、私は「なぜ見えなくなる場所にそんなに時間と労力を使うのか」と質問しました。そうしたら父は、「100年後にこの布が破れて中が見えたときに、この時代の人はこんなところまで美しくつくっていたんだって、感心してくれるだろう」というんです。細かいところに美しさを感じられるものは、より愛着を持って使ってもらえるはずです。

──日本の伝統工芸に対する世界的な注目が高まっているいっぽうで、後継者不足や文化的な衰退という問題にさらされている側面もあると思いますが、竹雲斎さんにとって、竹工芸の未来はどのように見えていますか?

 たしかに、竹の生産者は年々減少しており、私が作品によく使う黒竹の生産者に関しては、遂に日本に1社だけになってしまいました。現代のライフスタイルの中で竹が使われる頻度が減れば減るほど、竹の生産者も減り続け、放置された竹林は荒んでいきます。竹工芸は陶芸や漆器などと比べるととても地味ですが、竹という素材自体は1年で成長するうえに、軽くて強靭で、加工もしやすく、食べることもできて、建材としても使えるという高いポテンシャルを持っており、これからの世の中に様々なソリューションを与えてくれるでしょう。だから他の竹工芸の家ではどんどん後継者がいなくなっているなかでも、私の息子には、「いまこそ竹をやるべきだ!」と教えています。

 日本の精神性や文化を象徴する皇室文化然り、20年に一度社殿や神宝を新調することで、1300年前から技術と文化を繋いできた伊勢神宮の式年遷宮も然り、日本人は古来、技術や文化や精神性を継承し、未来に繋ぐことの重要性を理解し、当然のように実践してきた。四代 田辺竹雲斎と、クレドール。両者の邂逅は、日本が世界に誇る伝統工芸の魅力と、そこに秘められた無限の可能性について気づかせてくれた。