
地域レビュー(関西):大槻晃実評「美術の歴史と歴史の美術」(和歌山県立美術館)、茨木市立キリシタン遺物史料館 常設展示
ウェブ版「美術手帖」での地域レビューのコーナー。本記事では大槻晃実(芦屋市立美術館学芸員)が、「美術」と「歴史」という普遍的テーマを作品を通じて問い直した展覧会「美術の歴史と歴史の美術」(和歌山県立美術館)と、国家による宗教統制の歴史を現代に伝える茨木市立キリシタン遺物史料館の2展を取り上げる。
ウェブ版「美術手帖」での地域レビューのコーナー。本記事では大槻晃実(芦屋市立美術館学芸員)が、「美術」と「歴史」という普遍的テーマを作品を通じて問い直した展覧会「美術の歴史と歴史の美術」(和歌山県立美術館)と、国家による宗教統制の歴史を現代に伝える茨木市立キリシタン遺物史料館の2展を取り上げる。
戦後80年の今年、日本各地では戦争を題材にした展覧会・アートプロジェクトが多く開催された。そのなかから、「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」(東京国立近代美術館)およびコレクティブ「爆心へ」の試みをレビュー。銃後の女性に着目し、戦争をめぐる新たなナラティブについて考える。
ウェブ版「美術手帖」での地域レビューのコーナー。本記事は、山﨑香穂(東京都写真美術館学芸員)が今年7月から9月にかけて東京で開催される展覧会のなかから、「野村在 どうしようもなくかけがえのない」、「MAMプロジェクト033クリスティーン・サン・キム」を取り上げる。2つの展示から、「聞く」以外の行為による「音」との対峙について考察する。
ウェブ版「美術手帖」での地域レビューのコーナー。本記事は、塚本麻莉(高知県立美術館主任学芸員)が四国で開催された展覧会のなかから、3つの展覧会を取り上げる。竹崎和征と猪熊弦一郎の作品から、作家の死後、その存在と作品の継承を考える。
ウェブ版「美術手帖」での地域レビューのコーナー。本記事では、柴山陽生(横浜国立大学)が関東圏(東京を除く)で開催された展覧会のなかから、2つを取り上げる。戸田沙也加と小林万里子、アンドレア・マイヤーズによる作品から、人間と植物、そして環境とのつながりを考察する。
ウェブ版「美術手帖」での地域レビューのコーナー。本記事では、黒沢聖覇(キュレーター)が奄美大島の泥染を起点とした展覧会「考土 code -奄美-」(Mikke Gallery)と、オーストラリア先住民女性アーティストの表現を取り上げた「彼女たちのアボリジナル・アート」(アーティゾン美術館)の2展を批評的に取り上げながら、場所固有の伝統や記憶が、東京という都市空間においていかに再解釈されるのかを探っていく。
福岡にある田川市美術館で開催された「像の旅 伊藤高志映像実験室」展を美術評論家・清水穣がレビューする。伊藤高志のコマ撮り実験映像から読み解く、伊藤が追求した芸術の核とは?
石川にある金沢21世紀美術館が主催する「AIR KANAZAWA」に招聘されているSIDE COREが、同アーティスト・イン・レジデンスの成果報告プログラムとして開催した「SIDE COREとともに『 能登半島に行く』」「SIDE COREとともに『野焼き』」を美術批評家・椹木野衣が評する。能登半島で経験したビジティングプログラムを発端に生まれた「つながり」について椹木が考察する。
2025年のヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展は、「Intelligens. Natural. Artificial. Collective.」というテーマのもと開催中。MIT教授カルロ・ラッティによるキュレーションは、AI時代の建築の可能性と限界を見せるものだったが、果たしてそこに未来はあったのか。エイドリアン・ファベル(社会学者/現代美術の批評家)と田村将理(建築・都市研究者)が今年のビエンナーレをレビューする。
MISA SHIN GALLERYで開催された、足立智美の個展「古い未来の楽器と新しい昔の楽器(と文字)((人工知能による))」(2025年3月29日〜4月26日)を畠中実がレビュー。現実世界では目にしたことがないような不思議な形状を持つこれらの楽器は、生成AI(人工知能)を介してイメージが制作されている。足立によるこの試みはいったい何を意図しているのだろうか。
ウェブ版「美術手帖」での地域レビューのコーナー。本記事は、齋木優城(キュレーター)が今年6月から8月にかけて東京で開催される展覧会のなかから、3つの展覧会を取り上げる。それらはいずれも、「他者」とともに生きるとはどういうことか、美術の実践を通して私たちに問いかけるものとなった。
ウェブ版「美術手帖」にて新たに始動した、地域レビューシリーズ。本記事は、パフォーマンス作家/アートライターの石田裕己が今年4月から6月にかけて東京で開催された展覧会のなかから、「TOPコレクション 不易流行」と藤中康輝『光の中で眠る』を取り上げる。本展覧会とパフォーマンス/インスタレーションより、「断絶」の感覚が明らかにすることについて考察する。
ウェブ版「美術手帖」にて新たに始動した、地域レビューシリーズ。本記事は、山﨑香穂(東京都写真美術館学芸員)が今年4月から6月にかけて東京で開催された展覧会のなかから、「細野さんと晴臣くん」展と「すずえり」展を取り上げる。各展覧会より、アイデンティティの形成と女性としての生き方について考察する。
ウェブ版「美術手帖」にて新たに始動した地域レビューのシリーズ。本記事は、原田美緒(東京都現代美術館学芸員)が今年4月から6月にかけて東京で開催された展覧会のなかから、小林エリカと平山匠による2つの展覧会を取り上げる。芸術は、いかにして語られざるものに光を当てるのか──その問いを軸に、鋭いまなざしが注がれる。
原爆の図 丸木美術館で開催中の「望月桂 自由を扶くひと」展(〜7月6日)。1919年、日本でもっとも早いアンデパンダン展のひとつとされる黒耀会を結成した望月桂の幅広い活動を紹介するこの展覧会を、アーティスト・中島晴矢がレビューする。
1911年、平塚らいてうは「元始女性は太陽であった」と高らかに書き記した。2025年、その言葉の意味がいま、再び問われている。KOTARO NUKAGA Threeで開催中の「『元始女性は太陽だった』のか?」展(〜6月14日)では、異なる世代・視点を持つ3人のアーティストが、戦争と母性、制度と記憶、そして未来の身体をめぐって問いを投げかける。本稿で評論家・キュレーターとしてフェミニズム展を牽引してきた笠原美智子(長野県立美術館館長)は、展覧会の構成をたどりながら、現代日本におけるフェミニズムの現在地と、その可能性を考察する。
Yumiko Chiba Associatesで開催された「北川一成、山本尚志、日野公彦│文字と余白 仮称」展を美術評論家・清水穣がレビューする。グラフィックデザイナーの北川一成と、前衛書家の山本尚志・日野公彦らの作品を組み合わせ、書の芸術性にフォーカスした本展を通じて、「文字の力」とは何かを再考する。
東京・四ツ谷にあるMikke Gallery・Studio・Windowで開催された「浮茶:利休とバーのむこう」を美術批評家・椹木野衣が評する。「浮茶」とは何か。そして、アートディレクター・緑川雄太郎によって設えられたこの空間での「浮茶」体験とはどのようなものだったのか。緑川とともに茶室で過ごした時間を振り返りながら、椹木が考察する。
東京国立近代美術館で6月15日まで開催中の「ヒルマ・アフ・クリント展」。そこでは代表シリーズ「神殿のための絵画」を中心に、ひとつの世界観や宗教的なテーマが体系的に描かれている。いっぽうで、ひとりの画家が描いたとは思えないほど、シリーズごとの表現様式の多様性が際立っている。この二面性をどのように考えればよいのか。美術批評家・中島水緒がレビューする。
東京ステーションギャラリーで開催された、造形作家・宮脇綾子による個展「生誕120年 宮脇綾子の芸術 見た、切った、貼った」(2025年1月25日~3月16日)を、アーティスト・碓井ゆいがレビューする。創作アプリケの表現手法を用いて制作されてきた宮脇の作品の特徴、そしてその活動を通じて見えてくる「手芸」と「美術」、ジェンダー的構図はどのようなものか。