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2025.10.10

銃後の女性たちからとらえる「戦争の空気」。能勢陽子評「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」、「爆心へ」

戦後80年の今年、日本各地では戦争を題材にした展覧会・アートプロジェクトが多く開催された。そのなかから、「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」(東京国立近代美術館)およびコレクティブ「爆心へ」の試みをレビュー。銃後の女性に着目し、戦争をめぐる新たなナラティブについて考える。

文=能勢陽子(東京オペラシティ アートギャラリー シニアキュレーター)

「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」(東京国立近代美術館)展示風景より、女流美術家奉公隊《大東亜戦皇国婦女皆働之図》(1944) 撮影=木奥惠三
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不安と願い、反映する展覧会

 「戦後80年」であり、「昭和100年」でもある2025年の夏、戦争を主題とする多くの展覧会が開催された。2022年にロシアがウクライナに侵攻し、2023年にイスラエルが圧倒的な武力でガザへの攻撃を続ける世界で、「戦後80年」はこれまでの周年とは違った響きを持つだろう。「戦争の世紀」といわれた20世紀は過去のものではなく、戦争が起きてしまえばもう戦後の周年を数えることはできなくなる。もはや戦地に赴いた人々から直接話を聞くことは叶わず、空襲や疎開などの戦時下の生活を覚えている人々も徐々に少なくなっていくなかで、戦争のリアリティはますます薄れつつある。しかし世界情勢を眺めれば、戦争は遠い国の話ではなく、いつそこに巻き込まれてもおかしくないという不安が湧いてくる。

 「戦後80年」は、どのような区切りで、それはどのように現在へと続いているのか。過去は過ぎ去った現在であり、未来はこれから必ず訪れる現在である。終戦とともに、「軍国主義と戦争」の戦中から「平和主義と経済」の戦後へと、ガラリと変わったわけではない。そこには、一国史に集約できない無数の生があった。今夏開催された展覧会やプロジェクトの多くは、これまであまり戦争の表象や語りの主役になってこなかった人々にも焦点が当てられていたように思う。戦争画から同時代の報道や広告などの資料、そして直接戦争を知ることのない現代作家たちによる多様な媒体と手法による作品は、戦場の兵士のみでなく銃後の女性や子どもたち、戦争に抵抗した人々だけでなく積極的に協力した人々、そしておそらく国民の大多数を占めていたであろう、命を賭けた反抗も能動的な協力もできなかった人々──これらすべての人々を掬い取っていた。まず世界恐慌が起き、強国がブロック経済を形成して、軍部が戦争へと突き進んでいったと、おそらく私たちはそんなふうに考えている。しかし戦争には、国家間の領土問題や植民地をめぐる覇権争いだけでなく、宗教や伝統、時代や地域により異なる正義が複雑に絡み合って起きてくる。戦中に制作された美術作品を現在の文脈で見直したり、現代作家たちの多様な試みを介して浮かび上がってくる当時の人々は、白黒図式に当て嵌めることのできない、戦争の複雑さを知らせてくれる。それは、いまもっとも重要な問いであるはずの、なぜ人々は戦争へと押し流されそれを止めることができなかったのか、ということを考えさせる。

 「戦後80年」を機に、予想していたより多くの展覧会やプロジェクト、関連企画が開催されたことは、現在の私たちの不安や願いの反映であるといえるだろう(*1)。本稿では、戦争への多角的なアプローチのなかから、戦中に絵画を描き、また時を超えて取り上げられた銃後の女性たちを通して、当時の社会に行き渡っていた「戦争の空気」を捕まえてみたい。

*1──2025年夏に開催された戦争に関わる展覧会で、筆者が足を運ぶことができたのは以下の通り。「自由を扶くひと 望月桂」(原爆の図丸木美術館、4月5日〜7月6日)、「被曝80年企画展 ヒロシマ1945」(東京都写真美術館、5月31日〜8月17日)、「戦後80年《明日の神話》次世代につなぐ 原爆×芸術」(川崎市岡本太郎美術館、7月19日〜10月19日)、「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」(東京国立近代美術館、7月15日〜10月26日)、「被曝80周年記念 記憶と物 モニュメントミュージアムアーカイブ」(広島市現代美術館、6月21日〜9月15日)、そして美術館ではないが、「多孔的なアーカイヴ・探照」(思文閣銀座、6月6日〜6月28日)、「演劇は戦争体験を語り得るのか—戦後80年の日本の演劇から」(早稲田大学坪内博士記念演劇博物館、5月12日〜8月3日)、「戦場の女 チェン・チンヤオ」(eitoeiko、7月23日〜8月23日)、そしてバスツアーや上映会を行った「爆心へ」(「爆心へ」実行委員会、8月15日・8月16日)である。このほかにも、今夏には博物館や資料館で、戦争を主題とする多くの展覧会が開催された。

女性画家たちが描いた戦争画

「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」(東京国立近代美術館)

 米軍からの無期限貸与として戦争記録画153点を収蔵する東京国立近代美術館では、「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」が開催されていた。過去最多となる戦争記録画24点を展示した本展は、コレクションだけでなく、借用した作品や資料なども合わせて、1930年代から70年代の戦前から戦後にかけての時期に、戦争がいかに「記録」され、またどのように「記憶」されたかを、美術館という記憶装置において問うものであった。

「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」展入り口 撮影=木奥惠三

 日中戦争から太平洋戦争にかけて、陸海軍は前線における兵士たちの姿を内地に伝え、それを永遠に留めるべく、画家たちに作戦記録画の制作を依頼した。写真による迅速な記録と伝達が可能な時代に、絵画はなお、描かれる対象の神話化に貢献するメディアであると考えられていたのだ。戦争画は、西洋絵画のヒエラルキーの最上位を占める歴史画に倣って、大胆かつ厳かな構図で大画面に展開され、戦場の兵士たちの活躍を伝える一大スペクタクルとなった。ドラクロワやベラスケスの歴史画に範を取った藤田嗣治の戦争画は、勇壮な迫真性で今も観る者に迫ってくる。しかしその芸術性こそが、戦争画の位置付けを困難にしている。たんに国民を総力戦に導くためのプロパガンダなら廃棄しても良いが、芸術作品であるなら保存・公開すべきであるというアポリアを抱えているのである。戦争画は、人間に潜む暗い欲望を露わにしながら、芸術が熱情で人々を束ねて突き動かすプロパガンダになりえることを、鋭く突きつけてくる。

 さて、本展に展示された勇壮な戦争画はほぼ男性画家の手によるものだが、女性画家たちが描いた戦争画も展示されていた。長谷川春子が呼びかけ人となって結成された「女流美術家奉公隊」による《大東亜戦皇国婦女皆働之図》(1944)である(*2)。奉公隊には三岸節子や桂ゆきも参加しており、桂がその下図を手がけたという。

女流美術家奉公隊《大東亜戦皇国婦女皆働之図》(1944)の展示風景 撮影=木奥惠三

 吉良智子著『女性画家たちの戦争』によると、女性画家たちが戦争画を描くことになった背景には、複数の要因があった。まず、1943年に画材が配給制になり、丙ランクに位置付けられた多くの女性画家が絵を描き続けるには、戦争画しかなかったということ。また、陸海軍に献納された戦争画は、当時日本全国を巡回して大変な人気を博したといい、押し寄せた観衆は、絵画を前に兵士たちの活躍に喝采を送り、ときに涙を流した。当時日本画に比べて需要が低かった洋画の、さらに女性画家たちが、戦争画に向ける大衆の賞賛に浴したいと思っても不思議はなかった。    

 しかし女性画家たちが描いたのは、戦争画の花形としての戦闘図ではなく、女性や老人、子供たちが過ごす銃後の生活であった。《大東亜戦皇国婦女皆働之図》は歴史画を思わせる大画面ではあるものの、約50人の女性画家たちが代わる代わる部分的に描いているため、全体の統一感を欠き、巧みな写実性や精緻な構図は見られない。工場や建設現場、通信所や農村で勤労奉仕をする女性たちの姿を描いたこの絵は、雄々しさや緊迫感がなく、どこか牧歌的で和やかでさえある。

 学徒勤労動員が発布された翌年の1944年に女子挺身勤労令が出され、12才から40才未満の女子の軍需工場を含む様々な場での労働が義務付けられるようになった。奉公隊は絵を描いて国に貢献するだけでなく、幾人かはこうした勤労奉仕にも積極的に従事したという。男性画家が戦争画に描く女性の多くが、銃後で兵士のために祈り、また偲ぶ姿で描かれるのに対して、本作で女性画家たちが描いたのは、ともに手を携えて働く姿であった。しかし、多くの女性画家が短期間で描き上げたこの巨大な絵画は、その明るさのなかに、国民を同じ方向に向かせた時代の空気の同調圧力も、また感じさせるのであった。

*2──「女流美術家奉公隊」による《大東亜戦皇国婦女皆働之図》については、吉良智子『女性画家たちの戦争』(平凡社、2015)を大いに参考にさせてもらった。

「女の子たち風船爆弾をつくる」

「爆心へ」(広島、長崎、東京)

 終戦記念日の8月15日には、美術作家の新井卓、川久保ジョイ、小林エリカ、竹田信平、そしてキュレーターの三上真理子によるコレクティブ「爆心へ」の上映会とトークを聴きに、日比谷公園に向かった。写真、映像、映画、小説、漫画、VR等により、原爆や原発の問題に長く向き合ってきたアーティスト4人とキュレーターからなるこのコレクティブは、記録保存装置としての美術館や博物館の外側で、世界中の至る所や人々の心のなかにある「爆心」を、点と点で結ぶことを試みていた。

「爆心へ」のステートメントを、以下に引用する。

 私たちは 〈爆心〉を、人間だけでなくすべての生命に対する残虐行為の中心と定義する。そこには、声を持たずに命を奪われたものたちが存在し、私たちの生は、その周りにある。私たちは、芸術、行動、研究、物語を通して、〈爆心〉を語るオルタナティブな形式と方法論を探究する。

1.すべての 〈爆心〉は地続きである
2.〈爆心〉はだれにも所有されない
3.すべての〈爆心〉は等しく重みを持つ

 私たちは、ある〈爆心〉を認めながら他の〈爆心〉を否定することで、暴力を正当化したり、苦しみを階層化する、あらゆる言説を拒絶する。私たちは、いかなる権威や社会構造による差別や暴力にも屈しない。私たちは、それぞれ多様な個性を認めながら、敬意にもとづいた対等な対話と、コレクティブとしての合意によって行動する。(*3)
アートバス〈爆心へ〉号と〈爆心へ〉企画メンバー(左から新井卓、三上真理子、小林エリカ、竹田信平、川久保ジョイ) Photo by Hal Xing, Courtesy of 爆心へ To Hypocenter

 「爆心へ」のメンバーは、展示やトークを行う場所として、パブリックとプライベートの間にあり、個人と個人を結ぶことのできる、バスの中の小さな空間を選んだ。アートバス「爆心へ」号は、8月2日から8日にかけて、東京を出発して広島と長崎を巡り、展示や制作、ワークショップ、インタビューなどを行い、東京に戻ってきた(*4)。8月15日はコレクティブメンバーの映像作品の上映とトーク、小林エリカによるバスツアー、そしてアメリカ南西部とマーシャル諸島で行われた核実験をめぐる映像作品が上映された(*5)。80年前に日本にできた「爆心」と、その後辺境と見做された地に穿たれた「爆心」を結び、暴力により生まれた虚空に、新たな意味を充填しようとしていた。

 その翌日には、小林エリカ脚本、音楽家の寺尾紗穂の企画・選曲による、2023年に上演された朗読歌劇『女の子たち風船爆弾をつくる』の上映会が行われた(*6)。女流美術家奉公隊と同じく、戦中に勤労奉仕として風船爆弾づくりに携わった3人の女の子たちの物語である。日露戦争30周年を迎えた年から終戦にかけてのあいだ、日本が海を超えて戦争をしているときも平穏だった彼女たちの暮らしにも、桜の花が咲くたびに戦争の影が忍び寄ってくる。女学校に通うようになった女の子たちは、有楽町の宝塚歌劇場の建物に集められ、和紙をコンニャク糊で貼り合わせ、一緒に大きな風船を造った。しかし彼女たちは、それが細菌を積むかもしれない爆弾だとは知らされていないままだった。約9,300発揚げられたうちの約1,000個が海を渡って遠くアメリカ西海岸に到達し、オレゴン州で子供1人と妊婦1人を殺傷したのだった。

小林エリカがガイドをつとめる「女の子たちの敗戦日ー皇居周辺をめぐるバスツアー」。2025年8月15日、アートバス〈爆心へ〉号で、80年前のその日のできごとをなぞりながら「女の子たち風船爆弾をつくる」にまつわる場所を巡るバスツアーを東京で行った Photo by Akiko Nishimura, Courtesy of 爆心へ To Hypocenter

 宝塚歌劇に熱中したり、紅茶を淹れて読書をしたり、電車道をスキップで駆け抜けたりする彼女たちの日常は、少女らしい煌めきにあふれている。彼女たちが零すのは、好きだった宝塚歌劇を観られなくなったり、憧れていた制服の代わりにモンペを履かなければいけなかったりするようなことである。そんななかでも、空襲に備えて服のまま眠ったり、防空壕に逃げ込んだり、同級生が空襲で亡くなったりと、彼女たちの身にも戦争が迫ってくる。しかし女の子たちは、特段戦争に反対するような言動はしていない。ただ、戦勝の報せが入るたび、「わたしたちの兵隊」と呼びかけて声援を送る声が、徐々に小さくなっていくのである。そして、終戦を迎えてそっと窓の外を覗いて町にポツポツと燈る灯りを見て安堵し、モンペを履いていたため日に焼けず真っ白な脚をシゲシゲと眺めるのであった。

 おそらく多くの人たちは、戦争に対して特別な構えや準備があるわけでなく、気がつけばこんなふうに戦争に巻き込まれている。戦争画を描いた女流美術家奉公隊や、正しくは知らされないままに風船爆弾を造った女の子たちを、いまの時代の価値観から安易に非難することはできない。時が時なら私たちも同じことをしたであろうし、いわば彼女たちは私たちの似姿でもある。戦争を主題にした芸術作品といえば、その残酷さや暴力性、人々の悲劇や理不尽さが胸を打つものが思い浮かぶが、こうした一見穏やかに見える銃後の女性たちの日々にも、戦争のリアルが色濃くある。時代のイデオロギーに呑み込まれて能動的に協力し、あるいは為す術もなくやり過ごすした人たちの日々は、特殊な時代の特別な出来事ではなく、この私たちの日常と地続きに繋がっているのである。

〈爆心へ〉上映とトークセッション(2025年8月15日、16日) Photo by Papero, Courtesy of 爆心へ To Hypocenter

*3──https://bakushin2025.cargo.site/%E3%80%88%E7%88%86%E5%BF%83%E3%81%B8%E3%80%89%E3%81%A8%E3%81%AF-about-to-hypocenter
*4──8月2日に東京を発ち、8月3日から6日にかけて広島で、小林エリカによる対話から人と場所の記憶を浮かび上がらせる『過去のポートレート』の制作、新井卓による太陽光によるサイアノタイプを使用したキルティングワークショップと展示を行い、その後長崎に移動して、8月6日から8日にかけては竹田信平が「アンチ・モニュメント」をテーマにしたVRワークショップとバスツアーを行った。 
*5── 8月15日には、「『爆心』をめぐる映像作品上映会&トークイベント」として、コレクティブメンバーの映像上映のほか、被爆者団体「武蔵野けやき会」会長の松田隆夫を迎えたトークや、核と環境問題をアートを介して編み直すコレクティブ・ボムシェルトーの映像上映、またマーシャル諸島共和国の詩人・環境活動家のキャシー・ジェトニル=キジナー氏の映像上映とオンライントーク、そしてコレクティブ・メンバー全員によるトークが行われた。
*6── 音楽朗読劇「女の子たち 風船爆弾をつくる」は、2023年6月19日に王子ホールで上演され、2025年8月16日に「爆心へ」の企画として記録映像の上映が行われた。出演:角銅真実、寺尾紗穂、浮、古川麦、脚本:小林エリカ、選曲:寺尾沙穂、小林エリカ。

これからの「戦後」

 「戦後80年」を機に開催された展覧会やプロジェクトは、戦争を直接には知らない世代の企画者や美術作家による、現代の地点から見た「戦争の空気」をとらえ直そうとする試みであった。戦争を主題にしようとするとき、自らが体験したこともないトラウマをどう表現するのか、またいまはもういない他者とどう向き合えばよいのかという問題に突き当たる。しかし美術作品には、当事者の経験から創られるものばかりではない、他者の身体を借りてようやく現れる、ある「遅さ」がある。芸術はときに国家を代表し、称揚するものになるが、それが形作る共同性や同質性に抗うことのできる、「個」としての強さを持っている。2025年の夏に開催された展覧会やプロジェクトは、大きな物語も小さな物語も含めて、過去の戦争を未来に向けて語り続けようとする、新たなナラティブの模索のように思われたのだった。