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2026.3.23

地域レビュー(東京):石田裕己評 松岡はる主宰「ノン 第一回」、芳賀菜々花主催「『牢』vol.3」

ウェブ版「美術手帖」での地域レビューシリーズ。本記事は、石田裕己が昨年11月から今年1月にかけて東京で開催されたパフォーマンスのなかから、松岡はる主宰の「ノン 第一回」と芳賀菜々花個展「前だけ見て進もう My Way」の関連イベントとして実施された「『牢』vol.3」を取り上げる。2025年の東京で同時に出現した、パフォーマンス形式による新たな試みについて考察する。

文=石田裕己

松岡はる《生活ってなに》(2025) 撮影=黒坂ひな
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アウェイな環境から生まれる表現

松岡はる主宰「ノン 第一回」(吉祥寺周辺)

松岡はる《生活ってなに》(2025) 撮影=黒坂ひな

 昨年11月27日の19時頃、私は吉祥寺マルイ(*1)へ向かっていた。松岡はるの《生活ってなに》を観るためだ。SNS上で公開された地図によれば、それはエレベーター内に展示されているという。同作は、「ノン」というアートイベントの一部だった(*2)。「ノン」は松岡自身による企画であり、パフォーマンスを中心とした複数の作品を、一晩、ほんの数時間だけ吉祥寺でゲリラ的に出現させる、というのがその基本的な開催形態だ。今回は「第一回」と銘打たれているが、前身である「点滅」(昨年5月に第1回を開催)を含めると、実質的には4回目にあたる。

 それらしき場所に着き、ボタンを押して少し待つ。エレベーターが到着し、扉が開く。するとそこにいたのは、掃除をする1人の若い女性だった。はっきり清掃員だと分かるユニフォームではなく、普段着にエプロンという格好だ。家事を思わせるラフな装いで、商業施設の清掃員としては違和感があるが、そういう職場環境なのだと考えれば納得できなくもない。彼女は、床や外壁の掃除にひたすら没頭していた。こちらを向き、顔をはっきりみせることはない。

 彼女が松岡であることはほぼ間違いないと思われたが、確信しきれなかった。半ばじろじろと、半ば遠慮がちに視線を遣る。エレベーターを間違えたかもしれない、作品は別にあるのかもしれない、清掃員が来て発表を中断した可能性もある──このような雑念が次々と浮かび、彼女を作品とみなして安全にまなざすことはできなかったのだ。そうこうしているうちに、エレベーターはすぐに別の階へ到着する。その間、約十数秒、ほんの一瞬というほかない。ほかの利用者の迷惑になるので、そのまま長時間滞在しつづけるわけにもいかない。戸惑いは尽きないまま、私はそそくさとその場を後にする。

 松岡と面識のある私自身ですらこうだったのだから(なにしろ、松岡の誘いを受けて以前の「点滅」や「ノン」に参加したことさえあるのだ)、松岡の風貌をよく知らない鑑賞者のなかに、より強い戸惑いを覚えたものがいたであろうことは想像に難くない。「ノン」の存在を知らないビルの利用者の多くに至っては、これがアーティストによる介入だとすら気づかずに通り過ぎたはずだ。

 本作をめぐっては、「メンテナンス・アート」を標榜しつつ公共空間における清掃労働に着目したミエレル・レーダーマン・ユケレスの実践など、不可視化されがちな家事(的)労働に光を当てることを試みてきたフェミニスト・アートの文脈から論じることもできるだろう。しかし、ここでは別の文脈との接続を試みたい。すなわち、本作および「ノン」という企画が強く意識していると思しき、1960年代の日本などで頻繁に見られた都市空間でのゲリラ的なパフォーマンスとの関係だ(本作が真っ先に想起させるのは、ハイレッド・センターによる《首都圏清掃整理促進運動》(1964)であろう)。

 そうしたパフォーマンスは往々にして、公共空間の一角を疑似的に占有することを試みるものだった。行為を通して周辺の人々の注意を引き付け、場の雰囲気を一変させ、「いまこの瞬間から、この場を掌握するのは私だ」と宣言する。インスタレーションについて論じるボリス・グロイスの言葉を借りれば、公共空間の「象徴的な私有化」(*3)と呼べるような身振りだ。彼らがそのような試みを行ったのは、現行の秩序が浸透しきった都市空間の只中に、周囲から隔絶された特異な場を打ち立てるためだった(*4)。パフォーマンスに居合わせる鑑賞者に対して、いまここを超出するような経験をもたらそうとしていたのだ。

 松岡が普段着にエプロン姿でエレベーターを掃除するとき、彼女はまさにこの「象徴的な私有化」を文字通りに実演している。商業施設とはいえ、不特定多数が訪れうる公共的な場であるはずのエレベーターを、あたかも自分が普段居住し生活する空間であるかのように掃除することで、その内部をどこか異質な空間へと変貌させる(*5)。「ノン」を知らないものも含め、エレベーターの利用者たちをそうした空間へと誘いこもうとしていた点で、本作は60年代的な実践群と明確に地続きだ。

 かといって、松岡がそうした実践を素朴に反復していたというわけではない。施設を利用する人々にせよ、「ノン」を目当てにやってきた鑑賞者にせよ、松岡によって掌握され、周辺から隔絶された空間へと入った、とはっきり認識することは難しい。先に述べたように、松岡と清掃員とのあいだにある境界はとても曖昧で、その行為は普通の清掃と誤認されかねないからだ。そして、仮に異質な空間に入ったという認識が生じても、それはすぐに中断されざるを得ない。エレベーターという場が、すぐに脱出するよう要請してくるからだ。ここは私が私有する空間だ、と告げる松岡の声は、あまりにか細いのだ。

 「ノン」の企画それ自体も含めて、行為を通じて空間を占有する戦略を生真面目に反復しつつも、それを妨げる条件もあえて同時に引き受けること。継承しつつ、同時に距離も取っているという点で、松岡はこの戦略に対してアンビバレントな態度を取っているように思える。この距離には2つの側面がある。清掃員と見分けがたい装いや、エレベーターという状況設定ゆえの鑑賞の瞬時性は、現行の秩序に対する外部のような空間を創出する余地が、現代の作家にはもはやほとんど残されていないという厳しい認識の表れとして読める。しかし同時に、介入のささやかさはまた別のことをも示している。つまり、非日常や異空間を大々的に宣言するような派手な行為の限界が明白になったいまでも、生活空間に紛れ込んでしまいかねない地味な行為には、外部を垣間見せる可能性がわずかながら存在しているかもしれない、という認識を、そこに見て取ることもできるのだ。この二重の距離を前提に、松岡は介入を実行してみせる。エレベーターに乗り込んだ者が、たった一瞬、周辺の空間とは異なる場への越境を感覚する、そういった可能性に賭けてみせるのだ。

 ここで、松岡および「ノン」について補足しよう。2001年生まれの松岡はるは、武蔵野美術大学在学中から吉祥寺のArt Center Ongoingにインターンとして関わってきた。「ノン」とその前身である「点滅」が吉祥寺を基本的な舞台としているのは、この活動を通じて得た人的なつながりに、企画が大きく依拠しているからだ(*6)。

 「ノン」という試みの核心のひとつは、先行世代を中心とする既存のアートスペースや人的ネットワークと協力しながら、そこに還元されない独自の発表の場をつくり出そうとしている点にある。その場は、街中での発表を基本とし、しかも一晩のうち数時間しか行わないという時間的な制約のもとに置かれている。その点で、慣習的な展覧会の形式とは大きく異なる。

 こうした条件は、パフォーマンスという表現形式と親和性が高い。「ノン」が表向きはパフォーマンスイベントを標榜していないにもかかわらず、パフォーマンスが中心となっているのはそのためだろう。そもそもパフォーマンスは、一般的な展覧会空間とは相性が悪い。展覧会は基本的に、長時間の開場と、観客がどのタイミングで出入りしても同様の鑑賞経験が成立することを前提としている。また基本的に最低でも数日間の会期が前提される以上、特定の行為を継続するタイプのパフォーマンスでさえ、その形式に収めることは容易ではない。「ノン」の重要性はまずもって、支配的な形式との相性の悪さゆえに等閑視されかねない若手作家によるパフォーマンスを、まとめて通覧できる場をつくり出している点に認められる。

船橋陽南乃《南極ワンごおり》(2025) 撮影=黒坂ひな
細井昇平《きるきられる》(2025) 撮影=黒坂ひな
村田峰紀《ドローイング》(2025) 撮影=黒坂ひな

 しかし「ノン」の意義は、そうした発表機会の創出にとどまらない。松岡が参加を呼びかける表現者の多くは、現代アートの文脈で活動する若手であり、一般的な展覧会という形式での発表をある程度内面化している。「ノン」はそうした作家たちを、普段とは異なるアウェイな環境へと放りこみ、そこで表現を行うという課題へと取り組ませる。必ずしも作品を見に来たわけではない人々の目に晒されるという、全体に共通する条件はもちろんのこと、マルイならマルイ、バーならバーという具合に、作家はその空間に固有の性格をふまえたうえで作品を構想しなければならないのだ(パブリックアートの制作を頻繁に依頼されるほどの地位を得た作家ならともかく、若手であればこうした機会は基本的に稀であろう)。さらに松岡はパフォーマンスを主軸に活動しているわけではない作家にも「ノン」への参加を呼びかける。パフォーマンス中心のイベントへと誘うことで、自分がこれまで培ってきた技術や表現語彙を十全には生かせない表現形式に挑む機会を与える。松岡はこのように、通常の展覧会では生まれにくい実践を誘発しうる構造をつくり出しているのだ。

*1──同作は、19時から20時には吉祥寺マルイで、20時から21時にはアトレ吉祥寺で、21時から22時は吉祥寺PARCOで実施された。
*2──ほかの出品作家は、村田峰紀、金光虎次郎、砂田紗彩、細井昇平、船橋陽南乃。開催時間は19時から22時。
*3──ボリス・グロイス「インスタレーションの政治学」星野太・石川逹紘訳、『表象12』(月曜社、2018、69頁)。この論考の中核をなしているのは、キュレーターとアーティストの差異についての議論である。グロイスによればキュレーターは、「空っぽで中立的な公共空間」(67頁)としての展示空間を「大衆の代表者として」(67頁)管理しているがために、「公的に責任を負」(71頁)っており、自分自身の選択の正当性を論証によって人々に対して説明する必要がある存在である。対してアーティストは、「公的な展示空間を象徴的に私有化する」存在であり、「その展示に含まれるオブジェの選択や、インスタレーション空間全体の構成について、芸術家がそれらを公に正当化することは想定されていない」のだ(69頁)。「この空間に入ることにより、来場者は民主的な合法性を付与された公的な領土を離れ、主権的かつ権威主義的にコントロールされた空間へと参入する。いわば、ここにおいて来場者は、違法のちにある難民なのだ。彼らは国外追放者となり、芸術家によって課された異国の法に従わねばならない」(71頁)。
*4──例えば黒ダライ児は、60年代の都市空間などで展開された「反芸術パフォーマンス」を包括的に論じた『肉体のアナーキズム』(grambooks、2010)のなかで、そうした実践の狙いのひとつを、わたしのここでの要約に近しい空間論的な語彙によって整理している。黒ダによれば、当時の実践者たちが置かれていたのは「都市規模の均質化」が急速に進行する状況であった。彼らはそこにまだかろうじて残されていた「時間的・空間的な隙間」を占有し、奇妙で往々にして過激な「儀式」を立ち上げる。そうすることで、「こぎれいな都市空間のなかに農村的なもの」を出現させるなど、周囲とは断絶した別様の場を切り開こうとしていたというのだ(481〜482頁)。また赤瀬川原平は後年の回想(『東京ミキサー計画 ハイレッド・センター直接行動の記録』、筑摩書房、1994)において、自分がハイレッド・センターにおいて試みたのは、「自分のアトリエみたいに町の中を歩いて」みせることで、「いまだ芸術という言葉で開封されていない作家のアトリエ内の状態というものを、そのまま町全体に拡大」することであったと述べている(14頁)。赤瀬川にとってアトリエとは、彼が芸術の本質と見なす「秘密芸術」が全面的に顕在化する場であった。「秘密芸術」についての赤瀬川の記述は曖昧ではあるが、「ナマの芸術、というかモロの芸術」、「不定形な有機的スタイル」、「生活空間一般に地つづきでつながっている」(すべて12頁)といった表現をふまえれば、それは個々の制作行為に先んじて存在している芸術家の創造的な力、あるいは創造する芸術家自身の生のようなものであると捉えられる。こうした「秘密芸術」は、絵画や彫刻といった「ある一定した固いスタイル」(12頁)を生み出す源泉でありながら、作品というかたちに定着された瞬間に見えなくなってしまう──「芸術のスタイルだけは公的に示されているにしても、芸術そのものはそのスタイルの奥の方に隠されているのです。ある種の暗号みたいなもので表を固めて、その奥深くに隠れ潜んでいるのです」(11頁)。対してハイレッド・センターが路上で行う特異な行動は、作品という媒介を取り払い、「秘密芸術」を直接に出現させようとする試みであった。それによって、アトリエに近しい空間を都市の内部に局所的に創出しようとしていたわけである。さらに赤瀬川は、そうした異質な局所を生み出す実践を積み重ねることで、東京全体をまったく別様なものへと変化させることさえ期待していたとさえ述べている。
*5──公的空間に対する私的なものの濫入は、松岡が一貫して関心を寄せているテーマであるようだ。例えば、(わたし自身は未見だが)「点滅」の第2回(2025年7月)において松岡は、父親が撮影した自分の幼少期のホームビデオを編集し直し、スペインバルであるカフェ モスクワで上映している。
*6──そもそもこの企画は、松岡および「点滅」の段階では企画に参加していたヤマモトオルが、Ongoing代表の小川希を通じてビデオインフォメーションセンター代表の手塚一郎と面識を得たことに端を発するものであるという。吉祥寺のハモニカ横丁内に複数の店舗を構える経営者であり、撮影協力を通じてアングラ演劇といった前衛芸術の動向に関与してきた手塚が、自身の店を新企画の会場として貸すことを快諾したのだ。さらに、村田が「ノン 第一回」に出品していることに顕著なように、Ongoingとの関わりが深い中堅作家による協力も見られる。

等閑視されてきた実践に焦点を

芳賀菜々花主宰「『牢』vol.3」(WHITEHOUSE

即興演奏集団・野流によるパフォーマンス 撮影=tsubasanaito

 注目すべきは、先行世代を中心とする既存のアートスペースや人的ネットワークと協力しながら、そこに還元されない独自の発表の場をつくり出すことで、パフォーマンスを中心に特異な実践を救い上げようとする若手による試みが、2025年東京で、「ノン」以外にも出現したことである。2000年生まれのアーティスト・芳賀菜々花による「牢」がそれである。

 美大出身ではない芳賀の出発点は、現代アートへの関心ではなかった。クラブやバーのように人が集まり熱を帯びる場への興味から、そうした場のひとつとして新宿のWHITEHOUSEに通い始めたのが最初の契機だという。運営の卯城竜太(Chim↑Pom from Smappa!Group)をはじめとするWHITEHOUSE周辺の人々との交流を深めるなかで、芳賀は次第にパフォーマーとしての活動を開始し、2025年4月には「牢」の第1回を開催するに至る(*7)。「DJ、ライブ、パフォーマンス、ダンス、インプロ、展示、インスタレーション、滞在制作、物販、チャリティ、調理、その他もろもろ、"生"がぶつかり合う、一夜限りのイベント!」と銘打たれたその企画は、以降も継続的に開催されることとなる。なお、本稿の以下の記述は、芳賀の初個展「前だけ見て進もう My Way」(WHITEHOUSE、2025年12月20日〜1月25日)にあわせて開催された「『牢』vol.3」(WHITEHOUSE、2026年1月20〜25日)の鑑賞経験に基づく。

 この企画の際立った特徴として、まず参加者の構成を挙げなければならない。「vol.3」においては、開催期間を通じて会場内に作品を展示するもの(*8)と、各開催日の所定の時間中にパフォーマンスを発表するものとに役割が分かれていたが、後者においては、作品と鑑賞者のあいだに一定の距離が前提とされる空間(ホワイトキューブ的な展示室や、舞台と客席が分かたれた劇場)を主たる発表の場としてきた表現者と、鑑賞する主体と鑑賞される対象とが截然と分かれるのではなく、場全体が一体化して盛り上がっていくことを前提とするライブハウスやクラブを主戦場とする作家たちが混在していた(*9)。この混淆性は、芳賀がライブハウスやクラブの熱気を現代アートと等価なものとして経験してきたという来歴に起因するものと考えてよいだろう。

 ライブハウスやクラブを主戦場とする表現者の存在や、それによって形成される客層は、「牢」の受容空間の性格を大幅に規定する。パフォーマーは、鑑賞者から切り離された距離のある作品として静かにまなざされることを許されず、見るだけではなく動きもするものたちからなる沸騰する場の中心を担う何かへと変貌してゆく(*10)。前2回の会場が幡ヶ谷のFORESTLIMITというクラブ/ライブハウスであったのは、そもそもこうした受容空間をつくり出すことそれ自体が芳賀の狙いであったことの証左と見てよいだろう。そうした表現者が引き続き参加していたことに加え、これまでの「牢」の積み重ねによって形成された客層が会場を埋めたことで、現代アートとの親和性が高い空間であるWHITEHOUSEを舞台とする「『牢』vol.3」においても、同様の受容空間は一定以上に維持されていた。パフォーマーへの歓声や野次が飛び交う事態が散見されたことからもそれは明確である。

芳賀菜々花によるパフォーマンス 撮影=tsubasanaito
ダンサーの前川友萌香と水泥公園東京によるパフォーマンス 撮影=tsubasanaito

 受容空間の変容は、そこに引き出された表現者の実践それ自体にも作用しうるし、芳賀はそのような作用を狙っていたとも考えられる。作品と鑑賞者の距離が保たれた場に慣れた表現者たちを、熱狂する集団の中心にいることが求められ、これまでの実践がそのままでは成立しないかもしれない状況に置くこと(*11)。そこから思いがけない何かが生じることへの期待が、「牢」の混淆性を支える動機のひとつとなっているのだ(ライブハウスなどを主戦場とする表現者たちに対しても、普段共演する表現者たちとは性格を異にするものたちと共存させることで、何かしらの作用を引き起こすことが目指されていたとはいえるだろう)。わたしが鑑賞したものでいえば、三野新の《無敵》(2025)は劇場で上演されていても違和感のないメタ演劇のリーディング公演という趣で、会場全体の熱気とはいささかトーンが異なっていた。観客もまた、基本的には静かに耳を傾けてはいたものの、いつでも集合的な熱狂へと切り替わりうる場の圧力が、つねにそこには漂っていた(実際、三野に続く田村虹賀、羽鳥直人の上演においては熱狂が生じていた)。そのような雰囲気が、三野の実践をわずかに変調させていたように思われる。

三野新《無敵》(2025) 撮影=tsubasanaito

 さらに、あらかじめ依頼した作家たちによる枠に加えて、アンデパンダン形式で発表が行われる時間を導入していることもまた、「牢」について考えるうえで重要である(なお、わたし自身、そこに自作を持ち寄っている)。第2回に引き続き第3回でも実施されたこの試みには、おそらく二重の意図がある。ひとつは、作品というかたちにはまだ結晶化していないものの、何かしらの表現を試みてみたいと考えてはいる人々に対して、人前でパフォーマンスをする経験を気軽に積める機会を与えることだ。それによって、表現者としての実践を前進させるために手を貸そうとしているのだ(*12)。もうひとつは、事前の審査や選考を経ない有象無象が集まり、めいめいが好き勝手にふるまう制御不可能な空間のなかから、思いもよらない興味深い表現が出現することへの期待である。

アンデパンダン形式によるパフォーマンス 撮影=tsubasanaito

 「ノン」と「牢」はそれぞれ異なる文脈から出発してはいるが、どちらも先行世代の蓄積に依拠しながら、それに還元されない場を若手が自らつくり出そうとする試みという点で共通している。パフォーマンスを中心に、通常の展覧会形式では等閑視されかねない実践に焦点を当て、表現者を普段とは異なる条件へと放り込むことで、思いがけない何かを引き出そうとする構造もまた、両者に通底する。こうした試みが2025年の東京に同時並行で出現していることは、さしあたり記録されてよいだろう──そこから具体的にどのような実践が生まれ出てくるのかはいまだ未規定であり、「ノン」および「牢」の真の意義を測ることができるのは、まだ先ではあるだろうが。

*7──この記述は、「前だけ見て進もう My Way」の開催に際して発表された卯城による説明文に依拠したものである。
*8──小野まりえ、海生、tsubasanaito、矢野央祐、米澤柊、田中勘太郎。*9──大きく分ければ、花形槙、吉田萌、前川友萌香、布施琳太郎、田村虹賀、三野新が前者、水泥公園東京、zzzpeaker、ギザドド、honninman、宮崎隼門、羽鳥直人、野流が後者に属していたといえる。
*10──パフォーマーと鑑賞者のこうした関係は、フランスの作家・俳優・演出家であるアントナン・アルトーの残酷演劇が目指すものとして、フランスの哲学者、ジャック・ランシエールが(いささか図式的に)整理する様態に近しいように思われる。「観客は、差し出されるスペクタクルを平穏に検討する観察者の立場から引き抜かれなければならない。そして、スペクタクルを統御するという幻想を失って、演劇行為の魔法の円のなかに引き込まれなければならない。こうして、観客は理想的な観察者の特権と引き換えに、自らの完全な生命力を手中に収める存在の特権を得るのである」(ジャック・ランシエール『解放された観客』梶田裕訳、法政大学出版局、2013、7〜8頁)。むろんランシエールは、このような仕方で演劇のスペクタクル性、すなわち、舞台上にあるものから距離を取って静かにまなざすという鑑賞様態を除去することに対してきわめて批判的ではあるのだが。
*11──芳賀は第2回における布施琳太郎の参加について、「ギャラリーでお見かけすることが多かった布施さんを地下のハコに閉じ込めてパフォーマンスさせてみたかった」と述べている。この発言は、上記の芳賀の姿勢を典型的な仕方で示している。
*12──ここで興味深いのは、芳賀が最初に作品を発表したのが、「TOMO年越美術館 2023-2024 いる派 PRESENTS 身体アンデパンダン24時」(トモ都市美術館、2024)であったということだ(これも前掲の卯城の説明文による)。これは、「いる派」を標榜し展示空間に常駐する作品を発表してきた小寺創太が、同じくアーティストのトモトシの協力のもと、2021年から3年にわたり開催していた、大晦日に一日中パフォーマンスを行い続ける作家を無審査で募る企画であった。芳賀がそこで発表したのは、《24時間、ワンチャン絞死する状況で過ごしてみる》(2024)という作品だった。この来歴をふまえれば、芳賀はここで、小寺らが自分に対して果たした役割を、今度は自らほかの人々に対して演じようとしているように思われるのだ。