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2026.6.23

地域レビュー(四国):塚本麻莉評「上野駅と猪熊弦一郎の《自由》」展(丸亀市猪熊弦一郎現代美術館)/「現代地方譚13 風立つところ」(すさきまちかどギャラリー/旧三浦邸・せいえいビル4階)

ウェブ版「美術手帖」での地域レビューのコーナー。本記事では、塚本麻莉(高知県立美術館主任学芸員)が、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で開催されている「上野駅と猪熊弦一郎の《自由》」展と、高知県須崎市のアーティスト・イン・レジデンスプログラム「現代地方譚13 風立つところ」の2つを取り上げる。

文=塚本麻莉

「上野駅と猪熊弦一郎の《自由》」展の展示風景。正面に見えるのが《自由》の再現展示(途中) 撮影:木奥惠三
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見られると思った、のに

「上野駅と猪熊弦一郎の《自由》」展(丸亀市猪熊弦一郎現代美術館)

 四国住まいの身の上だが、東京のJR東日本・上野駅には仕事柄よく訪れる。駅中央改札の上方に、ピラミッド型の壁画が設置されていることに気づいたのはいつからだろう。いまでは改札を通るたびに、目線を上げてそれを見る。

  画家・猪熊弦一郎の《自由》。1951年に完成した巨大な壁画である。

修復が終わりお披露目された直後の壁画《自由》 撮影:木奥惠三(2026年3月)

 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で開かれている「上野駅と猪熊弦一郎の《自由》」展は、当初の想像とは異なる内容だった。筆者は、展覧会名にもある壁画の実物が展示されていると思っていたのだ。あんな大壁画を東京から香川に持ってくるなんて大変すぎる。輸送費を考えるだけで目眩がする──などと勝手に想像していたのだが、本展で《自由》は出品されていなかった。それもそのはずだ。横幅27メートル、高さ5メートル。そもそも簡単に輸送できるようなサイズではない。

  それにしても、不在の作品にフォーカスした展覧会とは、いったいどのようにして成立するのだろうか。

上野駅の《自由》

 壁画《自由》は、猪熊が49歳のとき、1951年12月に設置された。駅の改札外側を向く本作は、改札を通過しなくとも駅を訪れる誰もが鑑賞できるパブリック・アートだ。

 本展は資料展示が充実していた。というか、《自由》にまつわる関連資料が展示の大半を占める。なかでもとくに目を引いたのは、戦後の上野駅に関する猪熊の言及だ。

 「上野駅というところは、東京の中で一番気の毒で不幸せな世相を反映して・・・(中略)・・・暗い世界をそのまま見せているようです」(*1)

 戦後間もない時期の上野駅は、浮浪者や戦争孤児らがたむろする混沌とした場所だった。猪熊はそこに、「新鮮で明るい色彩や単純な形によって、毎日この駅を通る大勢の人達の生活に、希望と喜びを与えたい」(*2)と考えて制作に着手した。

猪熊弦一郎《自由》原画(1951) ⓒ公益財団法人ミモカ美術振興財団

 だが、こうした画家の理想主義的な考えだけで、これほどの規模の壁画が成立するはずもない。展示資料からは、広告代理店・宣弘社の小林利雄の尽力があったことが浮かび上がる。小林が「人々に安らぎを与えようと」国鉄を根気強く説得した結果、「広告壁画」の制作が許可され、その作者として猪熊に白羽の矢が立てられた(*3)。《自由》は、営利主義だけによらない、復興期のモダニズム的な理念に裏打ちされた関係者の熱意によって実現したコミッションワークであった。

《自由》の実寸再現展示がもたらすもの

 他方で、本展最大の見どころは、会期中に実施するワークショップの成果とプロジェクターを併用した《自由》の原寸大の再現展示だろう。筆者が訪れた4月末時点では、同月に実施されたワークショップ「27メートルの壁にいろんな青をぬる」により、展示室壁面には《自由》の青い原寸大「下地」が生まれていた(*4)。そのうえに原画の線描が間断的に投影されることで、実物のスケールが体感できる。会期中にこうしたワークショップを段階的に行うことで、最終的には展示室内に「壁画を完成させる」という。

左壁が、青い原寸大「下地」の上に投影された原画の線描 撮影:木奥惠三
SPREAD《自由》の色彩の採集(1回目)(2024) ⓒSPREAD

 線描が投影された壁面を眺めながら、筆者はあることに気がついた。プロジェクションにより壁画のスケール感が純化され、普段上野駅では風景の一部として見過ごしがちなイメージが、「見るべきもの」としてあらためて立ち上がるのだ。

 《自由》は、その設置経緯からも明らかなように、上野駅という巨大な公共空間のなかで、戦後日本の希望を視覚化する役割を期待されていた。ところが、その役割は戦後の復興が進むなかで、慌ただしい日常風景に溶け込み、やがて埋没した。

SNSで話題となった横断幕 撮影:木奥惠三

 2025年の《自由》の修復作業において、壁画を覆うシートの前に掲げられた「《自由》を修復しています」と書かれた横断幕の写真がSNS上でもたらした反響も、このことを裏付ける。SNSにアップされた写真には、横断幕前半の文字「猪熊弦一郎 壁画」が写っておらず、概念としての「自由」を修復するという誤解を生み、ネタ化されて話題になった(このときの横断幕も本展で展示されている)。名詞「自由」が前景化した背景には、壁画の一般的な認知度が薄れていたことにも一因を求められるだろう。

 本展は、壁画《自由》の歴史を掘り起こすだけでなく、プロジェクションによる脱文脈化によって作品を再提示した。さらに、実物が不在であることを逆手に取った参加型イベントを通じて、本来は戦後モダニズム的な公共性を帯びていた《自由》を「いま・ともにつくるもの」へと翻案し、現代的な感覚に根付いた「わたしたちの《自由》」──パブリック・アートとして、新たな文脈から立ち上げようとしていた。

*1──猪熊弦一郎「上野駅の壁画について」『美術手帖』1952年、美術出版社、49頁。
*2──同上。
*3──塩田道夫『上野駅物語』1982年、弘済出版社、170頁。
*4──筆者は「27メートルの壁にいろんな青をぬる」(4月25日、26日)のワークショップ後の壁面を見て本稿を執筆した。

その光は誰に届くのか

「現代地方譚13 風立つところ」の小松千倫作品(すさきまちかどギャラリー/旧三浦邸・せいえいビル4階)

 猪熊は「絵画は独占するものではない」という考えに基づき、駅を利用する大衆に見られることを前提に《自由》の制作を進めた(*5)。

 いっぽうで、高知県須崎市のアーティスト・イン・レジデンス(以下、AIR)プログラム「現代地方譚13 風立つところ」で目にした、美術家・小松千倫の作品群は、猪熊とは異なる態度で、公共の場における作品の在り方を問い直していた。

 高知市内から高速道路を使って40分程度の距離にある高知県須崎市は、太平洋に面した小さな港町だ。そこで2014年から始まった現代地方譚は、高知県内外のアーティストが、須崎市でのレジデンス経験を起点に制作を行うAIRを主軸とするアート事業である。

 小松の作品は、成果発表展の主会場にあたる、すさきまちかどギャラリー/旧三浦邸と、そこから徒歩10分程度の場所にあるせいえいビルに設置されていた。なお、まちかどギャラリーは、大正時代の商家建築「三浦商店」を前身とする、日本家屋のつくりを活かした複合交流施設だ。

小松千倫《うみのあかり/Sea Light》(2026) 海上標識灯の漂流物、懐中電灯のLED、ケーブルボックス、Arduino Nano 写真提供:すさきまちかどギャラリー/旧三浦邸

 ギャラリーの主屋を進むと、畳の上に置かれた小さなオブジェクトが目に入った。小松による《うみのあかり/Sea Light》は、破損した海上標識灯や懐中電灯といったマテリアルから構成された小品である。内部に仕込まれた懐中電灯は、須崎の海岸線から見える灯台といった「光るもの」の点滅パターンをなぞり、絶えず微かな光を放つ。

 この作品の前に置かれた座布団に座ると、サウンドインスタレーションの《Half Address(susaki)》の音声が自動再生された。本作からは、灯台にまつわる物語を土佐弁で語る音声が流れる。語りに耳を傾けると、目の前でちらちらと光る小さな「灯台」が、畳上で海の借景を生み出しながら、脳裏に断片的な詩的イメージを呼び起こした。

またしても、見逃す

 ギャラリーを後にしてもうひとつの展示会場、せいえいビルを目指して歩く。道中で通り過ぎた昭和の風情を湛える商店街では、シャッターを下ろした店も多い。

 小松の作品はビルの4階にあった。コンクリート壁に囲まれた仮設的な空間で存在感を放っていたのは、窓に向けて置かれた無数の懐中電灯からなる構造物だ。

小松千倫《まちのあかり/City Lights》(2026) 流木、麻紐、懐中電灯、ACアダプター、DC-DC 写真提供:すさきまちかどギャラリー/旧三浦邸

 本作《まちのあかり/City Lights》は、「須崎市、高知市、南国市で集めた非常用の懐中電灯で時報を打つための灯台」だという。ところが、作品が時報を打つタイミングは17時から23時までの毎正時から5分間に限られていた。筆者が訪れたのは昼間だったため、作品は沈黙している。

小松千倫《貝殻式探波者(私たちは波の集合である)/ The Wave Explorer Made of Shells (We Are the Gathering of Waves)》(2026) Raspberry Pi、ReSpeaker、サーボモーター、木材、流木、貝殻、漂流物 写真提供:すさきまちかどギャラリー/旧三浦邸

 点灯を見るのを諦めて窓の外に目をやると、背後でカタカタと忙しい音が聞こえた。音の出どころ──もうひとつの作品の《貝殻式探波者》は、木材やモーターから構成される縦長の構造体である。その頂点に取り付けられた貝殻は、外部の「音の波」を感知すると、発生源の方向を指し示す。具体的には、電車や車の通過音など、ビル周辺で発生した音が作品に届くと、その方向へと貝殻が向きを変える。

 ところが、筆者が試しに靴音を出してみても、あまり反応しない。解説によれば、必要なのは「持続した音の波」らしい。かつて海底で波に揺られた貝殻が、地上では空間を震わせる音の波に反応して、それが発された方向を知らせてくる。人間とは異なる感知システムで、《貝殻式探波者》は環境に応答し続けているのだ。

 須崎における小松の作品群には、それを見る人間の存在に関係なく、「発する」という挙動が繰り返し現れた。音、声、光。それらは誰かに届けられることを前提としながら、必ずしも受け取られる保証はない。そこには、環境=自然との関係のなかで、人間中心主義を相対化する意識が通底していた。

 ビルを降りて、作品が置かれていた一角を見上げた。夜の帳が下りるころ、4階の窓に光が灯るのだろう。傍らでは貝殻が音を立てて動いているかもしれない。

夜間に光を放つ《まちのあかり/City Lights》 写真提供:すさきまちかどギャラリー/旧三浦邸

 せいえいビルは須崎駅の近辺にあるが、なにぶん過疎の進んだ小さな街だ。夜の人通りは多いとは言えない。だが、だからこそ、《まちのあかり》が発する光は鮮明だろう。鑑賞者が不在のなかでも点灯するという、自然現象の在り方にも似た態度は、光を目撃する人間の想像力をかえって押し広げる。

 結局、筆者は最後まで時報の光を見ることはできなかった。だが、誰に見られていなくても光を放つという、その在り様だけは確かに見ることができた。

*5──猪熊弦一郎「近代美について」『大分合同新聞』1953年、大分合同新聞社、2頁。