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2026.6.28

「瀧口修造 書くことと描くこと」(アーティゾン美術館)開幕レポート。批評と創作を往還した思索の軌跡に迫る

東京・京橋のアーティゾン美術館で「瀧口修造 書くことと描くこと」が開幕した。会期は10月4日まで。会場の様子をレポートする。

文・撮影=三澤麦(編集部)

「瀧口修造 書くことと描くこと」の展示風景(4階)。手前にあるのは瀧口によるオブジェなど。奥の壁面には評論の一節が掲載されている
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 東京・京橋のアーティゾン美術館で「瀧口修造 書くことと描くこと」が開幕した。会期は10月4日まで。担当は島本英明(同館学芸員)。

写真家・安齊重男が撮影した瀧口修造(1978年1月)

 瀧口修造(1903〜79)は富山県生まれ。1921年に上京後、慶應義塾大学で西脇順三郎に師事してシュルレアリスムへの関心を深め、自らも詩作を開始。30年にはフランスの詩人アンドレ・ブルトン(1896〜1966)の『超現実主義と絵画』を翻訳・刊行し、以降はシュルレアリスムの造形活動を中心に論じるようになる。50年代には美術批評の執筆に盛んに取り組むほか、「読売アンデパンダン」展の批評やタケミヤ画廊の作家選定を手がけ、58年の第29回ヴェネチア・ビエンナーレではコミッショナーを務めた。そんな瀧口は、60年頃から突如としてドローイングや水彩の制作を始め、同年10月に初個展を開催。70年代にかけて数々の自作を発表し、79年にこの世を去った。

「瀧口修造 書くことと描くこと」の展示風景(4階)

 1920年代に詩作を始め、戦前・戦後を通じて美術への思索と執筆を重ねた瀧口の歩みは、まさに「書く」営みに貫かれていた。その瀧口が60年頃から本格的に試み始めたのが、自ら「デッサン」と称した造形作品の制作だ。本展は、「書く」ことを通じて世界と対峙してきた瀧口にとって、「描く」とはいかなる行為だったのかという問いに焦点を当てる。詩作から批評、展覧会企画、作家との交流まで、その活動の全体像を視野に収めながら、多様な実験的技法による自作と、パウル・クレー(1879〜1940)やマルセル・デュシャン(1887〜1968)、ジョアン・ミロ(1893〜1983)ら関連作家の作品をあわせた約140点が一堂に会する。

シュルレアリスムを生きた瀧口修造

 会場は5階と4階の展示室を用いて、大きく2部構成で展開されている。

5階の展示風景。石橋財団の近代コレクションにおける選りすぐりが展示されている

 まず5階では「石橋財団コレクション選」として、印象派から1940年代のフランスやドイツのマスターピース26点を展示。当時の日本の動向と地続きで見られる構成であるとともに、会場中盤から特集される瀧口の活動時期とも重なりあう内容だ。

5階には、詩人・批評家としての瀧口の仕事が並ぶ。これに対応するように、壁面には関連する作家の作品が展示されている

 この特集では、詩人・批評家としての瀧口の足跡をたどることができる。シュルレアリスムの詩の研究と実践、すなわち「シュルレアリスムを生きるということ」を体現してきた瀧口が、いかにして創作活動へと向かったのか。その道筋を示すように、ここでは初期の詩の仕事から美術世界への導入部が紹介されている。

各作品への瀧口による論評がキャプションとして掲載されている

 また、同時代の作家たちの作品についての瀧口の論評が、キャプションとして添えられている点も見逃せない。石橋財団のコレクションが瀧口の言葉を通じてどう見えてくるのかという実験的な試みであり、作品の新たな魅力とともに、瀧口の深い洞察力が浮かび上がってくる。

瀧口による「描くこと」の実践

 続く4階では、本展のもうひとつの核である「描くこと」に焦点を当て、1960年代以降に制作された瀧口の「デッサン」の数々が並ぶ。

4階の展示風景
瀧口による「デッサン」の数々

 1959年頃、自身で作成した年譜のなかで瀧口は、他者の作品を批評することへの疑問を抱き始めたと記していた。この心境の変化の背景にあったとされるのが、1940年代半ばから50年代にかけてフランスを中心に展開された前衛芸術運動「アンフォルメル」との接触だ。さらに、1958年の初渡欧でブルトンやアンリ・ミショー(1899〜1984)らフランスの詩人、そしてデュシャンらと交流したことも、言葉では到達できない「創作の真髄」を意識させる契機になったと本展では分析されている。

左から、瀧口修造《無題》(1966)、《無題》(1965)

 瀧口は自身の取り組みを「デッサン」と称しているものの、具体的なモチーフを描いているわけではない。ただ自らの手の動きに身を任せ、何とも言い表すことのできない線を引く。その行為を通じて、理論を超えた「根源的な創作の動機」に自らが触れることで、既存の批評のあり方を解体する意識が瀧口のなかに芽生えていった。

《ミロの星とともに》(詩:瀧口修造 / リトグラフ:ジョアン・ミロ、1978)。1960年以降、批評の執筆を控えていた瀧口であったが、特定の作家に対しては言葉を贈り物のように捧げていた
『マルセル・デュシャン語録』(1968)

 このフロアでは、瀧口による描くことの実践と、交流のあった作家たちの作品があわせて展示されている。瀧口が「書く」ことから「描く」ことへとシフトした動機や、その変遷のきっかけを照らし合わせながら紐解ける構成となっている。

 いっぽうで、本展が提示する重要な視点は、瀧口の歩みがたんに「描く」という行為に到達して終わったわけではない、という点だ。「書く」ことの限界を知ったからこそ自ら手を動かし、そこで得た「身体的な実感」を、再び批評という「書く」行為へと還元していった。瀧口が試みたのは、批評と創作を往還させることで、芸術に新たな解釈の可能性を切り開くことだったのではないか。

 本展は、瀧口修造が生涯をかけて挑み続けた思索の旅路を、同館の充実したコレクションとともに目撃できる貴重な機会となっている。