2025.5.19

第一弾に杉本博司。ワタリウム美術館「Oriza」プロジェクトが示すこれからの文化支援のありかた

開館35周年を迎えた東京・神宮前のワタリウム美術館が、文化施設の継承と支援を目的とした新プロジェクト「Oriza(オライザ)」を始動した。第一弾には杉本博司が参加し、自ら撮影した美術館の建築をマルチプル作品として発表。

文・撮影=王崇橋(ウェブ版「美術手帖」編集部)

左から和多利恵津子(ワタリウム美術館 館長)、袴田浩友(Oriza発起人)、杉本博司、和多利浩一 (ワタリウム美術館 CEO)
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 今年で開館35周年を迎える東京・神宮前のワタリウム美術館が、新たな取り組みとして「Oriza(オライザ)」プロジェクトを立ち上げた。第一弾として発表されたのは、現代美術家・杉本博司による新作マルチプル作品《WATARIUM ART MUSEUM 2025》。建築家マリオ・ボッタが設計したワタリウム美術館の外観をとらえた本作は、限定25点で制作され、5月26日から申込受付が開始される。

民間発の文化的遺産支援の新たなかたち

 「Oriza」は、現代アーティストの作品をエディション付きで制作し、その収益を文化的遺産の修復や運営支援に活用することを目的としたプロジェクトである。ワタリウム美術館が長年抱えてきた財政的困難をきっかけに、有志が集まり、約3年にわたる構想と検討を経て実現に至った。

 「このままでは美術館の運営が立ち行かないのではないかと、ここ数年ずっと悩み続けていました」と語るのは、同館館長の和多利恵津子。「私たちはこれまで、東京の街を使った展覧会や、地方での芸術祭など、自由な表現活動を大切にしてきました。しかし、日本の制度のなかでは、そうした活動への公的支援が得にくく、予算的にはつねに厳しい状況でした」と、その背景を明かす。

杉本博司と和多利恵津子

 いっぽう、同館CEOの和多利浩一は「ほかの美術館のように年度ごとの予算があるわけではなく、ワタリウムではつねにゼロから展覧会をつくり上げなければならない。限りなく儲からない株式会社というかたちでなんとか35年やってきたが、そろそろ運営のあり方そのものを見直さなければならない時期に来ている」と語る。

和多利浩一と袴田浩友

「文化財」ではなく「文化的遺産」としての支援

 「Oriza」という名前は、ラテン語で稲を意味する「Oryza」に由来する。縄文時代に芽生え、弥生時代に実った稲作文化になぞらえ、アート・文化・テクノロジーが交差する新たな地平から、日本の文化を耕し、未来へと紡いでいくことを目指している。

 本プロジェクトでは、文化庁による「国宝」や「重要文化財」といった指定を受けていない、いわば制度の隙間に置かれた文化施設を支援対象とする。その背景について、「Oriza」発起人のひとりである袴田浩友は「私たちはこれを『文化財』ではなく『文化的遺産』と呼んでいます」と説明する。

 「ワタリウム美術館のように、公的な指定を受けていないものの、日本文化の発信において重要な役割を果たしている施設にこそ、支援の手を差し伸べる必要がある。有形・無形を問わず、今後の日本にとっての『宝』となるものを、民間の力で守っていくことが『Oriza』の理念です」。今後は年に2〜3回のペースで、異なるアーティストによる新作と、それに紐づく寄付先を発表していく計画だという。

袴田浩友

杉本博司《WATARIUM ART MUSEUM 2025》

 プロジェクト第一弾となる作品は、世界的な現代美術家・杉本博司による《WATARIUM ART MUSEUM 2025》。自身の代表作「建築」シリーズの文脈を受け継ぎつつ、ワタリウム美術館の建物を独自の視点で撮影したピグメントプリントだ。作品には杉本の直筆サインが入り、日本伝統の桐箱とフェルト布で丁寧に収められている。

 「建築というのは、完成した建物そのものよりも、建築家の頭の中で思い描かれた姿こそがもっとも美しい。実際に建てられる段階では、現実との妥協が入ってしまう。だから私は、焦点をぼかすことで建築の“魂”を可視化する手法をとってきたのです」と杉本は作品の制作意図について語る。

作品について語る杉本博司

 本作は、作品価格6000米ドル(税・送料別)に加え、別途700米ドル以上の寄付をワタリウム美術館に行うことで購入する権利が得られるという形式をとっている。これは、文化的遺産支援の意志を明確に示すものとして、「Oriza」プロジェクトならではの制度である。

WATARIUM ART MUSEUM 2025

 和多利恵津子は「たんに資金を集めるということだけではなく、アーティストの創造性とクオリティを世界に発信していくことも、『Oriza』の重要な役割です」と述べる。また、今後は支援先の文化的遺産を日本全国に広げ、アーティストとのコラボレーションや、アトリエツアー、貸切イベントなどの体験型プログラムも企画されている。さらに、デジタル通貨による寄付や国際的なコミュニティ形成など、先進技術を取り入れた展開も視野に入れている。

 日本では、国の指定を受けない多くの文化資源が、いままさに存続の危機に直面している。そのなかで、民間による継続的かつ自発的な文化支援の仕組みとして、「Oriza」が果たす役割は、今後ますます大きくなるだろう。