「特別展 武家の正統 片桐石州の茶」(根津美術館)レポート。江戸の武家茶道を牽引した知られざる茶人に迫る
千利休により完成された侘び茶。その理念と美学は多くの武家にも継がれ、武家茶道が江戸期を通じて広く浸透した。その重要な存在が片桐石州という藩主であり、石州流茶道の祖である。この茶人に注目した初の展覧会「特別展 武家の正統 片桐石州の茶」が根津美術館で開催中だ(撮影は美術館の許可を得ている)。

片桐石州とは何者か
片桐石州(せきしゅう・1605~73)は、戦国武将・片桐家の血を引き、江戸時代には大和国小泉藩(現・奈良県大和郡山市)の二代藩主として約1万3000石の所領を持つ大名だ。幕府の役職を務めるいっぽうで茶の湯を極め、茶道・石州流の祖として知られる。千利休の実子・千道安(せんのどうあん)に茶の湯を学んだ桑山宗仙(くわやまそうせん)の弟子として、利休流の侘(わ)び茶を基本としながらも、大名らしい厳粛な茶会を開き、二代将軍・秀忠が重用した古田織部(ふるたおりべ)、三代将軍・家光に献茶した小堀遠州(こぼりえんしゅう)に続き、四代将軍・家綱の前で点前(てまえ)を披露して、武家茶道の地位を確立した。
利休の侘び・寂びと、威儀を正す武家の茶の両輪を軸とした石州の茶は、江戸時代を通じて大名や武家に広く浸透する。石州流からは江戸城の茶を取り仕切る「数寄屋坊主」が多数輩出され、多くの著名な大名茶人がこの流派の茶を行っていたそうだ。まさに徳川政権下における武家の茶道の正統といえる石州流と、その祖・片桐石州を顕彰する展覧会「特別展 武家の正統 片桐石州の茶」が根津美術館で開催されている。現代では、なかなか知る機会がない武家茶道の歴史は、その重要性とともに、茶道具の鑑賞のポイントや楽しみをより広げてくれるだろう。
展示はまず、石州20歳のときに従五位下石見守に叙任された際の衣冠束帯の正装姿の肖像と、彼が制作した茶杓の代表作や石州の文化的ネットワークから、人物にアプローチする。

石州は29歳のときに幕府から、戦国時代に大部分が焼失した京都の知恩院を再建するための作事奉行(建築や土木工事などの建設事業の担当)に任ぜられる。落成を迎えるまでの8年間、彼は京都に滞在し、職務の傍らに京都の文化人との交流を深めて、自身の素養を培ったようだ。以降も京都に屋敷を構えて付き合いは続く。大徳寺の芳春院での綬号や高林庵の建立といった寺社との関り、憧れの茶人・小堀遠州とのやり取り、千家の茶人との深い付き合いなどが、残された書状や茶道具からうかがえる。
