2025.6.9

「Keith Haring: Arching Lines 人をつなぐアーチ」(中村キース・ヘリング美術館)開幕レポート。彫刻作品からみるヘリングの公共性

山梨県北杜市にある中村キース・ヘリング美術館で、「Keith Haring: Arching Lines 人をつなぐアーチ」が開幕した。会期は2026年5月17日まで。

文・撮影=大橋ひな子(ウェブ版「美術手帖」編集部)

展示風景より、《無題(アーチ状の黄色いフィギュア)》(1985)
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 山梨県北杜市にある中村キース・ヘリング美術館で、キース・へリングの没後35周年を記念し、彫刻作品に焦点を当てた「Keith Haring: Arching Lines 人をつなぐアーチ」が開幕した。会期は2026年5月17日まで。

 キース・へリングは1980年代のアメリカ美術を代表するアーティストで、人や犬といったモチーフを輪郭線のみで描く独自のスタイルが特徴である。1979年に、出身地であるペンシルベニア州からニューヨークに移住した直後から、地下鉄構内の広告板にチョークで描く「サブウェイ・ドローイング」を開始。「誰にでも届く視覚言語」の可能性を追求してきた。さらに、世界各地での壁画制作、アートを多くの人々に届けることを目的とした「ポップショップ」の展開、社会的メッセージを発信する活動など、従来のアーティストの枠にとらわれないプロジェクトを実現してきた。

そんなヘリングの作品を1987年から収集していた中村和男が、精神性に富んだヘリングの作品と豊かな自然との化学反応に期待し、約300点以上のコレクションをもとに山梨県北杜市に設立した美術館が、中村キース・ヘリング美術館である。

 本展は、ヘリングの没後35周年を記念して、同館が新たに収蔵した全長5メートル超の彫刻《無題(アーチ状の黄色いフィギュア)》を中心に、同館所蔵の全13点の彫刻作品を通じて、ヘリングの作品世界を多角的に知ることができる展示となっている。

 会場は3つの空間で構成されており、それぞれを回遊しながらヘリングの作品を様々な角度から探る。とくに、平面作品と立体作品を比較しながら、その類似性や連関について思考するきっかけを与える構成になっている。

 1つ目の空間は「闇の展示室」と呼ばれ、その名の通り照明の暗い部屋の中で作品を見ることになる。《無題》(1982)は、ヘリングが拾った板にチョークで描かれた作品だが、シンプルなモチーフでありながら、ひと目でその作者を認知させる力が備わっており、誰にでも伝わる表現を目指したヘリングの姿勢が感じられる。

展示風景より、《無題》(1982)

 また平面作品である《グローイング3》(1988)には、ヘリングのドローイングスタイルを代表する太く均一な線が使われており、黄色と黒のコントラストが印象的だ。ヘリングの作品によく登場する単純化された人間の形が、シンメトリーな構図のなかで増殖している。

展示風景より、《グローイング3》(1988)

 同じく鮮やかな黄色が印象的な《ジュリア》(1987)は、まるで踊っているかのような動きを想起させるいっぽうで、別の角度からは顔を下に向けたうなだれているようにも見える。立体だからこそ、その角度によって多様な側面をもっていることを感じさせる。

展示風景より、《ジュリア》(1987)

 同じ展示室に共通点を想起させる平面作品と立体作品を共存させることで、線による表現からキャリアをスタートさせたヘリングが、三次元の表現にどう向き合ったのか、比較しながら思考を巡らせることができるだろう。

 続いて同じ闇の展示室には、1983年に蛍光塗料を用いて制作されたペインティング《無題》および版画作品《無題》が展示されている。これらは、会期中の土日の13〜14時の間のみ、ブラックライトのもとで特別展示される。同館では約5年ぶりのライトアップ展示となり、へリングが生きた80年代ニューヨークのサイケデリックな空気を想起させる空間で作品を見ることが可能だ。通常ライトとブラックライトでは全く異なる表情を見せる本作。ぜひ時間を狙って行き、見比べてほしい。

展示風景より、《無題》(1983)

 また同じ展示室には、《オルターピース キリストの生涯》(1990)も展示されている。オルターピースとは祭壇画のこと。本作はヘリングがエイズで亡くなる2週間前につくられたものだ。同性愛者であることをカミングアウトしながら、宗教的な作品もつくっていたという事実は、ヘリングのポップなイメージからはあまり想像がつかないが、ヘリングを多角的に知ってほしいという意図から展示されている。

《オルターピース キリストの生涯》(1990)

 続いて、2つ目の空間は、前後の展示室をつなぐ空間となっている。ここではヘリングの彫刻作品制作に関する資料などが展示されている。

展示風景より

 平面作品を当時多く制作していたヘリングは、ギャラリストのトニー・シャフラジから「君のアルファベットを風景に置いてみたらどうだ」という提案を受けたことで、1985年から彫刻作品を制作し始めた。

 制作は、アメリカ・コネチカット州「リッピンコット」という伝統的な鋳造所で行っており、そのときの写真が展示されている。この鋳造所では1966年の創業以来、ロバート・インディアナやドナルド・ジャッドなど、名だたるアーティストたちが、大規模な彫刻を制作してきた。さらに、その後ヘリング初の彫刻作品の発表は、老舗であるレオ・キャステリ・ギャラリーで行っている。「まるで聖域のような場所だった」とヘリングが表現するそのギャラリーの壁に、幼少期から描き続けてきたキャラクターを描き、彫刻とともに発表。これは格式高い美術界に一石を投じる試みだったといえる。

展示風景より、リッピンコットで初めて制作した彫刻作品
展示風景より、レオ・キャステリ・ギャラリーでひらいた個展のポスター

 87年には国際的な芸術祭「ミュンスター彫刻プロジェクト」にも出品を果たしている。自身の描いてきたモチーフを三次元化し空間に拡張させることで、絵画表現とは異なる公共性と永続性を追い求めながら、社会とのつながりも大事にしていたことが資料より窺える。

 そして3つ目の空間は、「希望の展示室」。湾曲したかたちが印象的な、天高のある展示室となっている。ここでも様々な作品が展示されているが、特筆すべきはヘリングが実施してきた社会的なメッセージを込めたアートプロジェクトに関わる作品だろう。本展では、こうしたプロジェクトを、キース・ヘリング財団から寄贈を受け新収蔵することになったポスターや写真、映像資料を通じて紹介している。

展示風景より

 アートによる大衆とのコミュニケーションの可能性を信じていたヘリングは、なかでも子供たちとの関わりを大事にしたプロジェクトを多数手がけている。ヘリングにとって子供たちは、未来を体現する存在であり、インスピレーション源でもあった。

 自らが制作した、クイーンズ地区の子ども病院へ彫刻を寄贈するプロジェクト「ロング・アイランド・フォーカス・オン・アート1988」のためのポスター(1988)や「エイズ:真実で恐怖をなくそう 10代のためのガイド」のポスターが展示されるなか、一際目を引くのが、《マウント・サイナイ病院のための壁画》(1986)だ。本作は米国最大規模の病院であるニューヨークの「マウント・サイナイ病院」の小児病棟でアートセラピストを務めていたダイアン・ロードから依頼を受けて制作したもの。

 患者のために絵を描いてほしいという依頼から、85年から86年にかけての3度にわたる訪問のなかで、多くの子供たちに絵を描いた。本作は、最後の訪問の際に、病院の許可を得て小児病棟に描かれたもの。89年に小児病棟の建物の建て替えに伴い撤去され、30年以上にわたって人目に触れることなく大切に保管されていた、大変貴重なものだ。

展示風景より、《マウント・サイナイ病院のための壁画》(1986)

 アートに接続しづらい人にもアートを届けるためのアクションを大事にしていたヘリングの姿勢を、一貫して感じることができる。

 そして展示の最後に、本展の目玉となる、同館の新収蔵品である《無題(アーチ状の黄色いフィギュア)》(1985)が、中庭に展示されている。ヘリングの彫刻制作の出発点となった作品のひとつで、全長約5メートル、高さ約2メートルの大型作品だ。本作は完成後にニューヨークの公園などに設置され、子供が触って遊ぶことができた。当時の閉鎖的で格式張っているアート界に対して、アートの本質を問い直すヘリングの挑戦を映し出すものとなっている。開放的な中庭に設置されている本作は、天候や季節、時間などによっても見え方が大きく変わるだろう。

展示風景より、《無題(アーチ状の黄色いフィギュア)》(1985)

 なお同館では、本展と同時期に、同館の建築を担当した北川原温の美術館初個展である「北川原温 時間と空間の星座」も開催中だ。同館を構成する6つの要素「さかしまの円錐」「闇」「ジャイアントフレーム」「自然」「希望」「衝突する壁」を軸に、模型や資料を通じて建築のプロセスなどを紹介する内容となっている。設計にあたって、ヘリングについての深い洞察と数々の試行錯誤を行った北川原の思考を知ることで、さらにヘリングについても深く理解することができるだろう。こちらもぜひ会期中にあわせて足を運んでみてほしい。