単数的にして複数的な探究。中島水緒評「ヒルマ・アフ・クリント展」
東京国立近代美術館で6月15日まで開催中の「ヒルマ・アフ・クリント展」。そこでは代表シリーズ「神殿のための絵画」を中心に、ひとつの世界観や宗教的なテーマが体系的に描かれている。いっぽうで、ひとりの画家が描いたとは思えないほど、シリーズごとの表現様式の多様性が際立っている。この二面性をどのように考えればよいのか。美術批評家・中島水緒がレビューする。

単数的にして複数的な探究
1.
近年再評価の機運が高まるスウェーデンの画家、ヒルマ・アフ・クリント(1862-1944)の展覧会が東京国立近代美術館で開催された 。代表的な作品群「神殿のための絵画」(1906-1915)をはじめ、初期から晩年までの作品をバランスよく配したアジア初の回顧展である。作品の借用が難しいのか、重要なシリーズのいくつかが抜け落ちているのは残念だが(*1)、今回の展覧会が謎多き画家を検証する土壌をつくったことに異論の余地はないだろう。
1944年、路面電車からの転落によるケガがもとで不慮の死を遂げるまで、アフ・クリントは精力的に制作を続けた。本展に集まった約140点の作品は、終生衰えぬ画家の勤勉さと、勤勉の域をもはや超えるファナティックな衝動を証明するものである。よく語り継がれるように、彼女が「神殿のための絵画」の制作に取り組んだきっかけは、アナンダ、アマリエルといった名で呼ばれる「高次の霊的存在」からの啓示だったというが、まとまった数の作品を通観すると、「啓示」だけでは説明のつかない画家の強靭な意志がむしろ浮き彫りになってくるのだ。
いったい何がアフ・クリントを駆り立てていたのか。霊的存在による導きが本当にあったかどうかはともかく、世界の成り立ちを知りたい、真理に到達したいという願望、バラバラに分断された世界像・宇宙像を統合するという神智学的なテーマが彼女を突き動かしていたのは間違いない。これは、ひとりの人間が成し遂げるにはあまりにも途方もないプログラムである。だがもし、そのプログラムに挑んだのが彼女ひとりではなかったとしたらどうか。
宇宙の真理をもとめる霊的探究がもっとも壮大なスケールで表現されているのは、足かけ10年もの制作期間を費やした「神殿のための絵画」だろう。これらを構成する193点の絵画は、「Ⅰ」から「Ⅹ」までの数字を振られたグループ、もしくは「WU」「WUS」「US」「SUW」といったアルファベットの名称をもつ複数のシリーズに分類され、その分類を部分的に重ね合わせながら厳密に体系化されている(例外的に、分類からはずれた作品群や、グループ/シリーズのための習作もある)。


この重層的なシリーズ構成のなかで、アフ・クリントはさまざまな様式を実行した。最初のシリーズ「原初の混沌、WU /薔薇シリーズ、グループⅠ」(1906-07)では、渦状の抽象的な形態、あるいは精子や麦の穂を思わせる図像があらわれ、創世記的な世界観が描かれる。続く「エロス・シリーズ、WU /薔薇シリーズ、グループⅡ」(1907)では、淡いピンクを基調とした画面に花弁のような形態が据えられ、図案風の平面的な構成が展開される。「知恵の樹、W シリーズ」(1913-15)では巨大樹のモデルに託した宇宙像が細密描写で描かれ、「白鳥、SUW シリーズ、グループⅨ:パートⅠ」(1914-15)においては2羽の白鳥が幾何学的な形態へと変態するプロセスがストーリーテリング的な流れで表現される。シリーズの最後を飾るのは、巨大な黄金色のオーブと階梯状の三角形が鎮座して礼拝の対象さながらに厳かな雰囲気を醸し出す「祭壇画、グループⅩ」(1915)だ。


具象/抽象の単純区分では追いつかないほどの作風の変化である。近年ではアフ・クリントを抽象絵画の先駆者とする見方が喧伝されているが、彼女はカンディンスキー、モンドリアン、マレーヴィチといった抽象絵画の草創期に重要な仕事を残した作家たちとは明らかに異なる原理で動いている。「神殿のための絵画」では、渦巻き、螺旋、カタツムリ、十字架、卵型の形態といった象徴が繰り返しあらわれ、グループ/シリーズ間をつなぐ連関や対関係も随所に見受けられる(*2)。確固たる世界観や宗教的なテーマが全編を通して感じられるのだが、そのいっぽう、ひとりの画家が描いたとは思えないほどに様式が分裂しているのも看過できない特長だ。一見して「きれい」と形容せざるを得ないファンシーな色遣いと、ニュー・ペインティングを彷彿とさせるキッチュな人物像が、あるいはキリスト教から東洋哲学までを横断した多様なコンテクストが、「神殿のための絵画」のなかに節操なく詰め込まれている。こうした様式の複数性ないし異種混交性を、どう解釈すべきか。

*1──今回の展覧会には出品されていないが、「神殿のための絵画」のなかでも異彩を放つ「US シリーズ、グループⅦ/グループⅧ」(1908 / 1913)、「鳩、UW シリーズ、グループⅨ:パートⅡ」(1915)のような作品群を検証する機会があれば、シリーズ全体の印象が大きく変わってくるはずである。
*2──例えば「US シリーズ」は、紙に水彩で描かれたグループⅦ(17点)と油彩によるグループⅧ(7点)で構成されるが、一部の作品は「WUS /七芒星シリーズ」と同時期に、それらのスタイルを踏襲するかたちで描かれている。おそらくグループⅦが「WUS /七芒星シリーズ」のグループⅤに、グループⅧがグループⅥに対応していると考えられる。「神殿のための絵画」の後半という大事な局面において、グループ/シリーズ間をつなぐ靭帯の役割を果たしたのが「US シリーズ」であるのかもしれない。