30人が選ぶ2025年の展覧会90:山田裕理(東京都写真美術館 学芸員)
数多く開催された2025年の展覧会のなかから、30人のキュレーターや研究者、批評家らにそれぞれ「取り上げるべき」だと思う展覧会を3つ選んでもらった。今回は、東京都写真美術館 学芸員の山田裕理によるテキストをお届けする。

「藤田嗣治 絵画と写真」(東京ステーションギャラリー 7月5日~ 8月31日 ほか)

「藤田嗣治の絵画と写真」という展覧会名から、当初は写真が絵画制作のたんなる資料として扱われるのではないかと訝しんだ。しかしそれは杞憂であった。藤田が撮影した写真群のみならず、同時代アーティストによる藤田を撮影した写真、ウジェーヌ・アジェやアンドレ・ケルテスらの作品も交えながら、藤田の文化的背景と創作の源泉が立体的に示され、絵画と写真が呼応しつつ章を追うごとに藤田の視覚世界の奥行きが浮かび上がっていた。
故藤田君代夫人は、フランスのエソンヌ県と東京藝術大学にプリントやネガ、カメラ機材を寄贈した。エソンヌ県に寄贈された写真資料だけでも2000点を超えると言われている。その膨大な量と多様性が、本展においても明確に示されていた。これらは今後の研究を大きく進展させる重要な基盤となるだろう。来年には他会場での巡回が予定されている。
「『ヒロシマ・広島・hírou-ʃímə』全日本学生写真連盟の写真表現と運動」(MEM 8月2日〜9月7日)

本展は、1968~71年に全日本学生写真連盟が広島で実施した集団撮影「8・6広島デー」に焦点を当て、その実態を多角的に検証するものであった。同連盟では、福島辰夫の指導のもと、社会的視点を重視した写真実践が推進されていたものの、その匿名性と集団性ゆえに活動の内実や個々の作品評価に関するこれまでの調査は十分とは言い難かった。
本展では作品に加え、現地レポート、撮影準備会の記録、役割分担を示す文書など副次資料が体系的に提示され、連盟の組織的運営を可視化した点がとくに重要であった。その活動の構造と理念を再考するための貴重な契機となった。
「Peter Hujar: Eyes Open in the Dark」(Raven Row 1月30日〜4月6日)
セルフポートレイト、スーザン・ソンタグらアーティスト・コミュニティの友人たちの肖像、揺らめく水面の連作、そしてスナップショットのコンタクトシート──1960年代にイースト・ヴィレッジを拠点としたピーター・ヒュージャーの個展では、こうした私的でとらえどころのない断片が、むしろ彼の感性の核心を示す形式として提示されていた。
ヒュージャーは友人との親密な時間を静かにすくい取り、その奥に潜む内省の波動をそっと浮かび上がらせる。死へと向かう時間を抱えながら写し取られたこれらの像には、瞬間が孕む終末のメメント・モリ的感覚と、微細な暴力性を帯びた視線が内在する。静謐な会場に散りばめられた断片によって、このヒュージャーの美学が純度高く立ち現れる空間が構成されていた。



