EXHIBITIONS

児島善三郎 松を描く

兒嶋画廊
2025.04.26 - 06.08
 兒嶋画廊で「児島善三郎 松を描く」が開催されている。

「昨年から松の研究に終始してゐます。松が意のままに描けたら、日本の風景は初めて油画として生きて来るかと思ひます。日本に於て松のない名勝と云ふものは考へられない位ですから」(『美術』3月号、1935、児島善三郎「独立展予報」より)。

 各時代の画業は、滞欧時代を除いて、アトリエを構えた場所ちなんで呼び習わされる。福岡から上京し借家住まいをしていた板橋、染井時代、その後自身のアトリエを初めて構えた代々木時代前期、滞欧期を挟み代々木時代後期、1936年から国分寺時代が始まり、太平洋戦争の終戦を経て51年からの荻窪時代と移っていく。アトリエを移すたび、研究の対象や画風も変化した。

 善三郎は22歳で結核を患い約5年間、妻子を東京に残し実家のある福岡で療養生活を送っていた。そのあいだ、ほとんど絵を描かなかったと自伝に記している。その頃を振り返って善三郎は「私はそのあいだに人間の修養をした。生命の尊さを知った。いまも私が、来る日、来る日を惜しんで仕事しているのはその時代の生命への愛着の実感から来ている。病室の小さな窓から外を流れる雲の姿を幾年眺めて過ごしただろう。死に直面して私のただひとつの悔いは健康な頃の日を冗費したただそれだけであった」と記している。

 今回取り上げる「松の木と日本の自然風土」は、久遠の生命の美を希求する善三郎にとって、身近にありながら重要なモチーフであったとされている。代々木時代のアトリエの庭には自身で築山をつくり、中心には松の木が植えられ、画中では身をくねらせるように描かれている。また、瀬戸内や房総や伊豆の風景画では海と崖の狭間に屹立する松の姿が多く描かれた。

 1936年に代々木のアトリエを後にし転居した国分寺は、野川の河岸段丘の上に位置する松林の中の別荘地であった。敷地の中には松の大木があり、松の木のあいだから下に広がる野川両岸の田圃は、数多くの作品を生み出すモチーフとなった。

 善三郎の作品において、松は、季節毎に主役になったり引き立て役になったりしながら、もっとも重要なモチーフとして扱われたものだ。本展では、児島善三郎の重要なモチーフのひとつである「松」をテーマに、油彩、水彩、水墨、デッサン約20点を展示している。