追悼 刀根康尚──大友良英による追悼文
実験的な音楽表現で知られ、音楽と美術の境界を超える活動を行ってきたアーティスト・刀根康尚が2025年5月12日に亡くなった。親交のあった音楽家・大友良英による追悼文を掲載する。

恐らくほとんどの音楽家は、なんらかの方法で自身がつくり出す音の美的な価値判断をしながら演奏や作曲をしている。わたしとて例外ではない。自分の演奏を美的な価値判断に合わせてどう鍛え上げていくかで日々過ごしていると言っても過言ではないだろう。その意味で音楽家は美術家よりはずっと身体的でプリミティブな存在だ。
美術は遥か以前から、この美的価値判断そのものに強い意思を持って疑問を投げかけることから創作を始めるようになっていった。現代の音楽はそんな美術の発想に強い影響を受けているけれど、わたしに言わせれば、たんに美的価値判断を時代に応じて更新してきたに過ぎない。無意識に美的な判断をすることへの距離をとったのが今の美術、そんな面倒臭いことはせずにその時代にカッコいいもんならOKとしたのが今の音楽。かなり雑で乱暴ではあるけど、わたしはそんなふうにとらえている。
そんななかで、1960年代から今日に至るまで徹底的に現代美術的な発想で音楽をつくり続けてきたのが刀根康尚だ。その立ち位置は音楽家であるのか美術家であるのかすらわからないし、当然その作品は美術とか音楽といったカテゴリーを最初から超えてしまっている。
こんなことを言うと、「境目なんてものは、もともとないもの、ゴチャゴチャが当たり前」。そんな答えが返ってきそうだ。
刀根さんがこだわり続けたのは複製とメディアだった。
「複製っていうのは、再現手段ですよね。でも、複製を手段としてではなくて、複製そのものがアートになり得るんじゃないか、と」
「基本的にはメディアをどう使うかということなんです。メディアは手段であるというふうに考えないで使う」(ともに拙著『音楽と美術のあいだ』より)
初期にはテープレコーダーを、また80年代以降はCDやmp3等のデジタル複製技術を、さらには最近ではAIを使い、その技術を生んだ製作者の意図とは異なるバグのようなものを拡張、あるいは暴走させることで刀根さんは作品をつくり続けた。その探求はデジタルやアナログのテクノロジーだけではなく、最古のメディアでもある文字の解体にも向かっていた。
当初の目的を失い暴走する複製機械が出す音は、徹底的に無機的でありながらこれまでのどんな音楽よりも暴力的でもあった。刀根さんがノイズの元祖として、世界中のノイズメーカー達からリスペクトされている所以だ。でも、その刀根さん自身は、出てくる音の結果を美的な判断に委ねることを拒否し続けてもいた。