キムスージャが語る、「点から無限への旅程」
建築物のガラス窓を回折格子フィルムで覆うインスタレーションや、「ポッタリ」という手法により風呂敷でオブジェを包む作品などで知られている韓国出身の現代アーティスト、キムスージャ。その制作を約40年近くで見てきたソウルのアトリエ・エルメス芸術監督、アン・ソヨンによるインタビューを通じ、キムの代表作を振り返りながら、その作品世界に潜む多様な思想を読み取る。
光の実験室:光に包まれる空間には様々な生がある
──いままでほぼ40年近く、あなたの作品制作の全過程を近くで見守ることができたのは、とても幸せなことでした。1980年代末にグループ展で作品を初めて見て以降、90年代初めにMoMA PS1に通った時期に重ねた対話、そして95年のヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展でナム・ジュン・パイク先生がサポートしてくださった「トラのしっぽ」展を進める過程でともに考え、制作に携わったことは、印象深く記憶に残っています。
あなたの作品は、とても瞑想的かつ強烈なエネルギーを帯びているため、観る者たちの心に強い共感と慰めを呼び起こすという特徴があると思います。何よりも作品一つひとつが生命力を持ち、歳月が過ぎても変わり続ける点でも秀でていますね。例えば、1980〜90年代に制作され、その特定の問題を反映した作品が今日でも変わらず同時代の作品として再読されたり、展示企画者たちの関心によって同じ作品でも多方面から再解釈できるというのは、あなたの作品世界が持つ唯一無二の力だと思います。私は、針が布や対象にふれ合う点から、縫う行為がつくり出す人と人とのネットワークの問題、そしてポッタリ(風呂敷包み)の移動と包容の概念が人間世界を超え、自然や光とともに宇宙にまで概念的に拡張していく、その過程に注目しています。これを包括的に定義して、あなたの作品世界は「点から無限への旅程」と言ってもいいかもしれません。
その作品世界は、時代性に言及する意味があまりないくらい、作品一つひとつが現在性と全体性を備えています。ですから今日の対話は、苦戦した最近のプロジェクトから始め、自由な時間旅行をするのはどうでしょうか。いま進行中のプロジェクトのなかで、コペンハーゲンのフレデリクスベア美術館にあるシスターネルネに設置されている作品《Weaving the Light》(2023)について、まず紹介していただければと思います。かつての地下貯水池を活用した展覧会場なので、まったく自然光が入らない空間に光を導入したと聞きました。制作についてお聞かせください。
キムスージャ(以下、キム) 私はいままで、光がまったくない暗闇のなかで光をつくり出し、それにさらに反応するといった制作を行ったことはありません。今回は4400平米ほどの規模で、3つの地下室に分けられているシスターネルネという昔の地下貯水池で制作しなくてはならず、そこは100パーセントの湿度をつねに維持する水が存在するという特殊な空間でした。もちろん、水を全部抜いてしまうという選択肢もありましたが、それはあえてしませんでした。
1つ目の地下室に降りていくと床が濡れており湿度が非常に高く、2番目の地下室は1番目の部屋に比べて水がたまっていて、三番目の地下室は水が満杯に溜まっていました。私は暗闇と鏡の代わりになる水、そしてこの3つの地下室全体をひとつの経験のスペクトルととらえ、どうすればその状況を充分に解釈し、実体化し、そして観客に何か特別な体験を与えることができるのか悩みました。その結果、私がこれまで使ったことのない人工の光を暗闇にもたらすという表現を思いついたのです。
それまでは、オブジェや新しい空間などの建築的な要素を新たに制作するのではなく、与えられた空間条件のなかに最小限に介入し、最大限の経験で応答するという姿勢で制作を続けてきました。シスターネルネの空間形態は、フランス・ボルドーのCAPCボルドー現代美術館と同様、赤壁のアーチ型をしていました。この暗い空間の中で、私はアーチ状の建築的空間全体に、光のタブローであるアクリルパネルを吊り下げました。私はガラス窓のあるアーチ型の構造物に回折格子フィルムを使用したことはあるのですが、今回はなかったので、ガラス窓の代わりに総数48個の大型アクリルパネルを設置し、回折格子フィルムを付着させました。そして、空間と位置ごとにそれぞれ異なる光源を用い、角度や光の強度を細かく調節しながら、互いに影響し合う光のスペクトルを演出しました。いわば、その空間全体をひとつの光の実験室ととらえたのです。
この光の実験室で私は、出発点から3番目の地下室に至るまでに、観客が徐々に経験を拡張できるような空間を演出してみました。2番目の地下室は10〜20センチメートルほどの水で満ちているため、観客が木でできた歩道を使って水際まで行けるようにしつらえ、フィルムを通過しながら鏡の効果によって水面に拡散された光による虹の饗宴を見ることができるようにしました。観客が水際を歩くとき、木のパネルの振動によって生じた細かい波が遠くまで連動していく様相を見ることができるわけです。そして最後に3番目の地下室では、多様なスペクトルの光のパノラマを一目で見ることができるように設置しました。
つねに湿度100パーセントの空間なので、冬はとても寒いうえ、水がいっぱいに満ちており、電気照明を設置するにはかなり苦戦しました。しかしながら、きわめて困難な空間条件下でも、現場のスタッフたちの豊かな作業経験のおかげで予想外の成功を収めることができました。私は今回のプロジェクトが、これまでの光の表現の集大成でありながらも、新たな一幕を開いたと感じています。
──光の実験室という、人工光を利用したプロジェクトが新たな一歩となったことは大変興味深いです。これからも一層期待できますね。
キム また特別と言っていいのは、私がこの作品を概念的にとらえ、展示タイトルを《Weaving the Light》としたことです。つまり、光を編むという概念に基づいて、このプロジェクトを進行したわけです。約40年に及ぶ制作過程において私は、裁縫すること、編むこと、そして包むことというテキスタイルに関わる行為と実験を、呼吸し、眺め、歩くことなどを通し、あるいは家事労働という日常的な行為を通して、発展させてきました。そして今回は、光を製織(織物のようにつくる)する行為として可視化してみたのです。実際には光が自ずと織り成すのですが、あたかも私が(あるいは観客が)光を織り成しつくり出しているかのように、製織の主体を擬人化し、光のスペクトルや針の形象、機能などと結びつけて、その空間内で積極的に体験できるようにしました。
──これまで制作してきたのは主に自然光を用いた作品なので、作家が作品で追求する方向性と実際の自然光が時々刻々と変わりながらつくり出す、いわば、コントロールすることのできない状況と出合う体験だったのですね。「光の実験室」という概念のように、今回の制作を契機に、光のないところに人為的に光を持ち込む、いわば製織する、つくり出していくという、より積極的な介入を始めたという印象を受けます。
キム 光をコントロールするというのが新しい要素であり、その過程を通じて生まれる観客の意図しない動きや、パフォーマンスによって無限の光の言語が誕生する瞬間が私にとっても、とくに魅力的なのです。
──新しい試みについてお話を聞くことができて良かったです。これまでの作品を振り返ると、あなたは「光」を非常に重要な媒介として扱ってきました。「光」を扱う作家もいますが、彼らの表現はなんらかの形態や造形として結実するものだ言えます。他方、あなたの作品は光と空間との相互関係による、形の定まらないものです。展覧会場である建築物の窓をひとつの契機としてとらえ、内と外の空間すべてを盛り込んだ様相を見ることができるようにしたと言えます。光を通じて無限の機能性を展望させてくれると思うのですが、光を扱うことになった契機や光に対する考えを、もう少し聞かせてください。
キム 実際、色から光への転換を初めに試みたのは2003年、劇場の照明を初めて使用したニューヨークのアートスペース「ザ・キッチン」でのコラボレーション時であり、以後、劇場の照明をポータブル形式に再現したヴィデオ・プロジェクションを通じて取り組み続けてきました。
ザ・キッチンでリンダ・ヤブロンスキーが企画した「Spotlight Readings」では、《To Breathe – Invisible Mirror / Invisible Needle》の原型となる舞台照明を初めてスクリーン・プロジェクションしながら、ひとつのステージ作品として公開しました。この作品の前にMoMA PS1スタジオで制作した、布とはしご、パスタマシーンなどのオブジェを使った初期の作品《Deductive Object》で電球を初めて導入し、アン・ソヨン先生とともに参加した「トラのしっぽ」展でも、色であり、物質でもある布を古びた倉庫の壁の穴に差し込み、ポッタリ(風呂敷包み)の作品を隅に設置し、蛍光灯を壁に立てかけておきましたね。それ以後、クリスタルパレス(ソフィア王妃芸術センター)で初めて自然光と回折格子フィルムを用いた《To Breathe – A Mirror woman》(2006/08)を制作しました。キャンバス布の縦糸と横糸の十字の表面と構造から派生するペインティングのあらゆる作業の基盤が、回折格子フィルムというナノスケールの十字形スクラッチというプリズムを通し、虹の光に変換されたのは、私にとってまさに絵画に対する根本的な問いが生まれた瞬間でした。それはひとつの転換点であり、ある意味そのときから私の制作は、色から光へと概念と次元が拡張されたと言えます。
そして私が回折格子フィルムを使うようになったことは、1970年代末から80年代初めにつねに考え探ってきた平面、あるいは世界の構造、言語と精神の構造としての垂直と水平を表す十字記号とも関連しています。私はとくに韓国の建築、家具、ハングルの構造や自然の諸現像を注意深く観察し、研究して大学院で論文にまでまとめました。そうした蓄積が結果的には、私が問うてきた絵画における平面性、そして絵画の表面と構造の問題をさらに深く考えさせることになったのです。
回折格子フィルムの1センチメートル内には、ほとんどナノスケールの約5千個の垂直と水平からなるスクラッチがあり、光がその面に届く瞬間、回折して透明となり、反射して五方色の光の筋を誕生させるのです。私が長いあいだ探し求めてきた世界の構造、平面の構造と連携した問いが、この回折格子フィルムを使った光の表現へとつながったのは、必然だったと思います。そのときから光への旅が始まったと言えます。ですから、ほかの作家たちが使用する光と私が使用する光は、文脈がかなり異なっていると言えるでしょう。私は、より美術的な文脈において根本的な構造かつ材料として光を扱ったのです。
クリスタルパレスで制作した作品の場合は、私がこれまで積み重ねてきたポッタリ(風呂敷包みの作業)という表現方法を建築物へと応用した点でも、より決定的な契機になったと言えます。透明な建築物をフィルムで覆ったことで、建築的なポッタリが生まれたのです。空いた空間を包み、光とパフォーマーの生が出合うことで、同時に生きている人の様々な生も一緒に包まれると、とらえています。
縫うと織る:呼吸することであり、生きること
──製織の概念を拡張させ、新たな材料や建築構造物を使用したのに加え、あなたはそこに「To Breathe」という前提を掲げています。以前からその前提を重視してきたがゆえに、物理的な空間自体が生と連関し、私たちがそのなかでともに呼吸し感じることができる可能性を得るわけでしょう。「To Breathe」という概念を導入し探求することになった背景についても、お話しいただけますか。
キム 回折格子フィルムを使用したのは、私がそれをひとつの布として見たからであり、それゆえ概念的にはポッタリ、すなわち風呂敷で包むという表現に適していると考えたからです。
要するに、吸い込む息と吐き出す息が絶え間なく交差する「呼吸」という概念を取り入れたわけなのですが、いわば息が停止した瞬間を私たちは死と見なすでしょう。つまり、裁縫することや編むことと同じように、境界を行き来する現象としての呼吸を取り入れた作品は、生と死、あるいは自己と他者を結ぶものと言えるのです。
つねに垂直と水平の空間として次元と概念を拡張する私の制作活動において、二元性の問題は絶えず進化する重要なひとつの軸だと言えます。ちなみに、ここで言う二元性とは、二元性として終わるのではなく、無限大に生成され、変化し、消滅し、変異されながら再解釈され、それがまたほかの世界を創出するという意味を持っています。ですからアイディアはふっとにわかに、稲妻のように浮かび上がり、二元性についての私の認識に概念的な進化をもたらしてくれるのです。
──あなたの作品自体がきわめて普遍的なメッセージを持っているので、ともすれば私たちの考える生と距離感が生じてしまう可能性があります。にもかかわらず、その表現は実際に生きて呼吸するかのように、現実の生と連結している。「針の女」シリーズのように、作家が「呼吸する」というコンセプトを与えたため、空間自体が有機体のようになり、経験する者の生までも巻き込むように感じられました。