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2026.5.17

なぜモダニズム建築は壊されてしまうのか。専門家・松隈洋が語る、いま私たちに問われていること

丹下健三による代表作のひとつ、旧香川県立体育館(通称「船の体育館」)の解体が進んでいる。なぜこのようなモダニズム建築は壊されてしまうケースが相次ぐのか。その背景と、モダニズム建築を守るために必要なことを近代建築史の専門家である神奈川大学教授・松隈洋と考える。※本稿は「美術手帖」オフィシャルYouTubeで公開中の動画「アート・インサイト」の内容を編集したものです。5月18日24時まで、すべての方に全文お読みいただけます。

聞き手・構成=東留伽・橋爪勇介(編集部)

2026年4月に解体工事が始まった旧香川県立体育館 写真提供:旧香川県立体育館再生委員会
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解体が決まった「船の体育館」

──日本を代表する建築家のひとりである丹下健三が設計した旧香川県立体育館(通称「船の体育館」、1964竣工)が解体されることとなり、2026年4月10日に解体工事が始まりました。なぜこういった貴重なモダニズム建築が壊されてしまうのかを考えていきたいのですが、そもそも「モダニズム建築」とは何を指すのでしょうか。

松隈 1920年代から70年代くらいまでのあいだに世界中で展開された新しい建築の潮流のことを言います。もっとも大きな特徴は、鉄筋コンクリートという当時としては新しい構造体を使う点です。それによって、日常で使われている建築物を機能的で合理的なものに変えていこうというものでした。その始まりに位置するのはル・コルビュジエやバウハウスなどです。日本では少し遅れて、戦後の1950年代に本格的に取り入れられ、70年代にかけて世界的に見ても重要なモダニズム建築がどんどんつくられました。例えばル・コルビュジエに直接学んだ坂倉準三がつくった神奈川県立近代美術館 鎌倉館(現・鎌倉文華館鶴岡ミュージアム、1951竣工)や前川國男が設計した神奈川県立図書館旧本館(1954竣工)、丹下がつくった広島の平和記念資料館(1955竣工)もその一例です。

神奈川県立近代美術館 鎌倉館(現・鎌倉文華館鶴岡ミュージアム) 撮影:編集部

──そうしたモダニズム建築のひとつである旧香川県立体育館の解体を聞いたとき、どう思われましたか?

松隈 本当に失望しました。香川県にはこれまで様々な歴史的建築を大事に残してきた歴史があります。その象徴が、旧香川県立体育館と同じ丹下建築の香川県庁舎(1958竣工)です。一時は取り壊しの危機に瀕したものの、最終的に本格的な耐震改修をしたうえで、国の重要文化財に指定されました。丹下のもとで技師として手伝っていた山本忠司が設計した瀬戸内海歴史民俗資料館(1973竣工)も国の重要文化財に指定されています。つまり、50年代の香川県庁舎と70年代の瀬戸内海歴史民俗資料館が重文になった。旧香川県立体育館はちょうどそのあいだにつくられたもので、世界遺産登録を目指す国立代々木競技場と同じ1964年完成です。もう二度とつくれない建築であり、次世代に残せば建築文化県のシンボルになったはずですが、そういう選択をしなかった。民間で組織された旧香川県立体育館再生委員会が買い取って新たなかたちで活用するという動きも見られましたが、結局は解体へと進んでしまいました。

旧香川県立体育館の内部 写真提供:旧香川県立体育館再生委員会

──二度とつくれないとのことですが、この船のようになっている形状は当時からしてもかなり難しいことだったのでしょうか。

松隈 いまはコンピューターですべて構造計算できますが、当時は手書きの手回し計算機で行っていました。いま、地元の建築士会の方々がコンピューターを使って記録保存のために実測していますが、もともとの手書きの図面と重ね合わせてもかなり正確です。それだけ職人たちが一生懸命つくった跡が、あそこにはあるのです。

 あの形は、敷地が狭いので体育館を浮かしてその足元にロビーをつくった結果です。閉じた体育館ではなく、開かれた戦後の新しいかたちの体育館をつくろうとした。下をガラス張りのロビーにして、上がっていくと宇宙船の中に入ったような感覚がある。この建築空間をうまく使って次の時代に相応しい役割を与えることができれば、戦後の建築の新しい在り方として画期的なものになるはずです。

モダニズム建築を守る仕組み、どうつくる?

──例えば東京では旧原宿駅舎(1924竣工、2020解体)や東京海上日動ビル本館(前川國男設計、1974竣工、2022解体)、旧原美術館(渡辺仁設計、1938竣工、2021解体)などのモダニズム建築が失われました。いっぽうで残された建物もあります。

松隈  三重県伊賀市にある旧上野市庁舎(1964竣工)は坂倉準三の設計です。 有志たちの粘り強い活動により保存され、現在はホテル・図書館として活用されています。また、南青山のポーラ青山ビルディング内には、フランク・ロイド・ライトの弟子である建築家・土浦亀城(つちうら・かめき)の自邸(1935竣工)が移築保存されています。

2021年に閉館し、解体された原美術館 撮影:編集部
旧上野市庁舎(三重県伊賀市)は現在、スモールブティックホテル「泊船(はくせん)」および図書館として活用されている 撮影:編集部

──こうしたモダニズム建築を守る取り組みとして、例えばヨーロッパなどではどのようなことが行われているのでしょうか。

松隈 フィンランドには『The Finnish Architectural Policy(フィンランド建築政策)』という国がまとめた冊子があります(1998) 。序文は当時の総理大臣パーヴォ・リッポネンが書いており、「What is architecture?(建築とは何か)」という哲学的な問いからスタートしています。そして「Good environment is a basic right of every citizen(良い環境はすべての市民にとって基本的な権利である)」と謳っている。またフィンランドでは初等教育できちんと建築のことを教えているのです。例えばフィンランドを代表する建築家、アルヴァ・アアルトの生涯を描いたマンガがすべての図書館に入っている。それくらい建築文化を国民の財産としてとらえている。残念ながら日本では大学で建築を専攻しないかぎり、日常に使っている建築物に関心を持つチャンスはなかなかありません。あと50年もすれば20世紀の建築文化がたどれなくなってしまいます。

『The Finnish Architectural Policy(フィンランド建築政策)』の表紙

 近年、ユネスコやイコモス(国際記念物遺跡会議、世界中の歴史的建造物や遺跡の保存・修復を目的とする専門家のNGO)も20世紀建築の保存に動き出しており、2011年には「20世紀遺産の保存のための取り組み方法」(マドリッド文書2011)というものを策定しています。これは「20世紀の遺産を保存する責務は、それ以前の時代の遺産を保存する私たちの義務とまったく同等に重要である」という内容です。その象徴が2016年のル・コルビュジエの世界遺産登録で、日本の国立西洋美術館(1959竣工)も世界遺産になりましたよね。

──日本でもそういったモダニズム建築を守る制度をつくる必要がありそうですね。

松隈 日本の文化庁も柔軟になってきており、髙島屋日本橋店(高橋貞太郎設計、1933竣工)のように、営業を続けながら百貨店建築として最初に重要文化財に指定された例も出てきています。先のマドリッド文書にも「リビング・ヘリテージ(生きる遺産)」という言葉がありますが、20世紀の「日常普段使いの建築」を大切にする視点を持たなければいけません。建築家も職人も、まさか自分が生きているあいだに壊されると思って建築を一生懸命つくりませんよ。上野にある東京文化会館(1961竣工)などは、設計した前川國男が「あと100年は使ってほしい」というメッセージを残しています。日本のモダニズム建築が多く生まれた1950年代は、お金はないけれど優秀な職人たちがいた。建築は簡素だし、不具合もたくさんあると思います。しかし、建築を目の前にすれば、当時の人々の志の高さはいまでも感じられるはずです。そういうものを大事にするみんなの目がないと、私たちの身近な環境をよくできない。そこがいま、一番問われているのだと思います。