2025.9.13

「永遠なる瞬間 ヴァン クリーフ&アーペル ― ハイジュエリーが語るアール・デコ」(東京都庭園美術館)に込められた思い。ディレクター、キュレーター、セノグラファーが語る

ハイジュエリー メゾンのヴァン クリーフ&アーペルをアール・デコ期の芸術潮流に着目しながら紹介する展覧会「永遠なる瞬間 ヴァン クリーフ&アーペル ― ハイジュエリーが語るアール・デコ」が、東京都庭園美術館で開催される。本展にかける思いを、パトリモニー&エキシビション ディレクターのアレクサンドリン・マヴィエル=ソネ、副館長の牟田行秀と担当キュレーターの方波見瑠璃子、セノグラファーの西澤徹夫がそれぞれ語った。

聞き手・文=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長) ポートレート撮影=手塚なつめ

左から牟田行秀(東京都庭園美術館副館長)、方波見瑠璃子(担当キュレーター)
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アレクサンドリン・マヴィエル=ソネに聞く、ヴァン クリーフ&アーペルのアーカイヴの価値

アレクサンドリン・マヴィエル=ソネ

──「永遠なる瞬間 ヴァン クリーフ&アーペル ― ハイジュエリーが語るアール・デコ」には、メゾンのアーカイブのコレクションを中心に出展されます。ヴァン クリーフ&アーペルはアーカイブの重要性についてどのように考えているのでしょうか。

アレクサンドリン・マヴィエル=ソネ 過去のクリエイションにふれることは、メゾンにとって新たなクリエイションを生み出す糸口になり、過去の作品の意匠やディティールが、新たに創作される作品にも反映されます。それらを責任をもって次世代につなぎ、スタイルを維持していくことで、メゾンのアイデンティティが維持されるのです

 同時に私たちのもうひとつの重要なミッションは、幅広い方々にメゾンの歴史や技術をアーカイブを通じて知ってもらうことです。技術についての理解を深めていただくとともに、メゾンのものづくりへの姿勢と、職人の技について紹介することを重視しています。今回の展覧会でも、本館ではアーカイブを展示しますが、同時に新館では時代を超えていまに生きる様々な職人の匠の技を紹介し、その魅力を広く日本の人々に知ってもらいたいと考えています。

アレクサンドリン・マヴィエル=ソネ

──今回の展覧会の大きなテーマとして「アール・デコ」が掲げられています。ヴァン クリーフ&アーペルにとって、アール・デコとはどのような時代だったのでしょうか。

ソネ ヴァン クリーフ&アーペルの創業は1906年ですが、これはフランスでアール・デコが生まれた時代と一致します。アール・デコはメゾンにとっての原点とも言える芸術の潮流ですし、アール・デコの装飾やパターンから様々な作品が生まれた、非常に重要な時代だったと言えるでしょう。

──朝香宮邸だった東京都庭園美術館は、当時のアール・デコの意匠をいまに伝える貴重な存在です。アール・デコという時代をともにしたヴァン クリーフ&アーペルのアーカイブと邸宅が邂逅するこの機会をどのようにとらえていらっしゃいますか。

ソネ 最初に東京都庭園美術館を訪れたときは、まるで宝探しをしているような気持ちになりました。これほど完璧にアール・デコの様式が保存されていることは大変珍しく、まるで1930年代の過去へ戻ったような気分になりました。こうした館の意匠とメゾンの作品をどのように組み合わせるのか、それを考えることは非常に楽しい作業でした。重厚な大理石でつくられた暖房器具や、自然光と混ざり合うガラスの照明とメゾンの作品とのあいだに、どのような対話が生まれるのだろうかと期待が高まっています。

──今回の展覧会を通じて、来場者はどのようなことを知ったり、感じたりすることができると考えていますか。

ソネ まずは歴史の連続性、つまり約120年間のあいだに生まれた、様々な芸術やデザインの潮流を見ることができます。アール・デコ期のみならず、1960~70年代における技術や表現の自由さなども見どころではないでしょうか。日常における身の回りのものから様々なインスピレーションを得て作品をつくっていることがわかってもらえると思います。それらはきっと、現代に何かをつくろうとする人にとっても、様々なアイデアをもたらすはずです。また、職人の巧みかつ精緻な仕事を見ることができることも本展の魅力と言えるでしょう。例えばバラをモチーフとしたブレスレットひとつとっても、その花弁の細やかなつくりや、やわらかな表現などには目を見張るものがあります。それらの巧みな技が生み出す存在感は、ぜひ実物を見て確かめてほしいと思います。

パリ、ヴァンドーム広場22番地に創業したヴァン クリーフ&アーペル最初のブティック 1906 Van Cleef & Arpels Archives ©Van Cleef & Arpels

副館長と担当キュレーターが語るヴァン クリーフ&アーペルの魅力

左から牟田行秀(東京都庭園美術館副館長)、方波見瑠璃子(担当キュレーター)

──まずは本展の担当学芸員である方波見瑠璃子さんに、準備をするなかで感じたヴァン クリーフ&アーペルの魅力について教えていただきたいです。

方波見瑠璃子 ヴァン クリーフ&アーペルのジュエリーは、そのアイデアを様々な人に届けたいという思いが強く感じられるものばかりです。第一次世界大戦中の物資難のときには、木材であるレターウッドをジュエリーとして昇華させるなど、困難な環境のなかでも新たな価値を提案し、装う喜びを中産階級の人々に届けようとする姿勢がつねに感じられるメゾンと言えるでしょう。

 そしてその精神は、メゾン創業のときに隆盛していた、アール・デコのそれとも通じるように思います。アール・デコは、それまで上流階級のものだったジュエリーが、中産階級の人の手にも届くようになった時代に生まれた文化です。ルネ・ラリックのガラス製品などが典型ですが、希少な高級素材ではなく、当時としては少し高価であったものの手の届く素材を使いながら、より多くの人にクリエイションを楽しんでもらおうという意識があったはずです。現在のヴァン クリーフ&アーペルも、そういった当時の思想を強く継承していると言えるのではないでしょうか。

左から方波見瑠璃子、牟田行秀

──東京都庭園美術館というアール・デコ建築とともに仕事をしてきた牟田行秀副館長は、アール・デコという潮流についてどのように考えていらっしゃいますか。

牟田行秀 今年はアール・デコ博覧会と呼ばれたパリの現代装飾美術・産業美術国際博覧会から100周年です。フランスにはバロックやロココといった装飾美術の潮流と伝統がありましたが、アール・デコはこういった明確な様式としては最後のものと言えます。以降は、統一的なデザインの潮流が出てくることはなく、戦後はモダニズムが世界中に浸透し、いまに至るまで圧倒的に優位なものとしてあり続けている。こういった歴史を踏まえながらモダニズムの前史としてアール・デコをとらえると、現代的な生活スタイルの基本ができあがった時代の潮流だと言うことができます。その時代を、約100年後である現在の視点から検証することには、大きな意味があるのではないかと私は思っています。

牟田行秀

方波見 今回の出品作品でいえば、第3章「モダニズムと機能性」で出品されている機能性を備えたジュエリーが、当時の生活スタイルをよく反映していると言えるでしょう。南京錠(カデナ)をかたどった《カデナ リストウォッチ》(1943)や、口紅、パウダーコンパクト、ライター、ノートなどを収めるケース《カメリア ミノディエール》(1938)などに宿っている、生活の道具に美を持ち込もうという意識は、現代の感覚とも通じるものがあります。

カデナ リストウォッチ 1943 イエローゴールド、ルビー ヴァン クリーフ&アーペル コレクション ©Van Cleef & Arpels
カメリア ミノディエール 1938 イエローゴールド、ミステリーセット ルビー 、ルビー ヴァン クリーフ&アーペル コレクション ©Van Cleef & Arpels

牟田 そこに装飾の本質があるような気がしますよね。装飾は、純粋芸術と応用芸術という分け方で考えれば、応用芸術です。純粋芸術に比べると軽視されがちですが、実際には日常生活を豊かにしてくれる存在と言えます。生活に紐づいたものとして、改めて装飾とは何かを考えてみよう、というのが本展が提案したいことのひとつです。

方波見 生活のなかに美を見出す、というアール・デコの基本的な姿勢は、現代を生きる人にも多くの示唆を与えてくれます。100周年というと遠い時代の文化のようにも思えますが、いまを生きる人々の感覚にとても近いですし、非常に示唆に富んだ展覧会になるのではないでしょうか。

──開催にあたってはどのような苦労がありましたか

牟田 朝香宮邸だった東京都庭園美術館は、もともと住居として使われていた建物です。日が高くなればカーテンを開け、暗くなれば閉めるという当たり前の生活があったわけです。今回展示するジュエリーもまた、日常生活のなかで身に着けるものですよね。そういったものを、本来に近い姿で見せてあげたいという思いがありました。カーテンを開けて自然光が館内に差し込むようにし、できるだけ往時の状態に近い空間のなかで同時代のジュエリーが見られるように心がけました。昼と夜で、同じ作品でもまったく違うように見える、そんな体験ができるはずです。

方波見 作品を館内のどこに置くか、といったところも気を使いました。ジュエリーと部屋の壁や床、それぞれの色に関連性を持たせたり、照明や装飾との関連性も意識しながら展示を構成するよう心がけました。ジュエリーと建築、双方を交互に見ていただくと、思わぬつながりが見えてくるのではないでしょうか。

東京都庭園美術館 本館 正面外観 画像提供=東京都庭園美術館

──美術館は作品を展示する場であると同時に、作品を研究し、未来へとその情報を伝えていくという大切な役割も担っています。今回の展覧会はヴァンクリーフ&アーペルがアーカイブを重視していたからこそ実現できたと思いますが、美術館としてこうしたメゾンの姿勢に共感するところは多いのではないでしょうか

方波見 展覧会に取り組むうえで、ヴァン クリーフ&アーペルが支援しているジュエリーと宝飾芸術の学校「レコール」の提供する動画を見て、その技術を学びました。職人たちの技術に敬意を払い、技術を後世へと残していくための後進を育てる活動を支援するメゾンの姿勢があったからこそ、学芸員の立場からジュエリーの技術についての知見を深めることができたように思います。

牟田 展示作品を選ぶ際に本国へ調査に行ったのですが、どの作品を誰に販売したのか、という顧客リストがしっかりと管理されていることにも驚きました。ただ販売して終わるのではなく、それが誰のもとで愛用されているのかを記録することで、文化そのものを保存しようとしていると感じました。

──本展は現代の鑑賞者にどのような学びや気づきをもたらすと考えていますか。

牟田 20世紀は社会構造が大きく変わり、ものづくりの在り方も変わりました。装飾に対する考え方もその影響を受けていて、時代背景とデザインは本来不可分なものです。第一次世界大戦が結果的に技術革新をもたらし、新素材が生まれていく。デザインの変遷というのはたんなる流行ではなく、そこにある時代背景も含めて学ぶことが大切ですし、その観点を大切にした展覧会ですので、汲み取ってもらえるとうれしいです。

方波見 アール・デコ博覧会の際には、アンサンブル展示と呼ばれる、空間をトータルでコーディネートして楽しむという提案がなされました。今回の展覧会も、アール・デコで統一された空間で、その部屋とコーディネートしたジュエリーを展示します。生活空間を全体で見ながら整えていく、そんな、いまに通じる時代の精神を感じていただけたらと思っています。

絡み合う花々、赤と白のローズ ブレスレット 1924 プラチナ、エメラルド、ルビー、オニキス、イエローダイヤモンド、ダイヤモンド ヴァン クリーフ&アーペル コレクション ©Van Cleef & Arpels

セノグラファーが語るアール・デコ建築だからこそ可能な展示

──数々の展覧会会場のデザインを手がけてきた西澤徹夫さんですが、本来は邸宅であった東京都庭園美術館に展示空間を構築することは、さらに難しさが伴うと思います。今回の設計にあたり、とくに工夫をされた点はどこでしょうか。

西澤徹夫(西澤建築事務所)

西澤徹夫 アール・デコの様式がそのままに残った美術館建築と、高い技術で繊細な装飾が施されたヴァン クリーフ&アーペルの作品、それぞれの対話が成立するための場をどうやってつくるのかということを強く意識しました。通常のホワイトキューブのように白い展示台を置いてしまうと、その異物感が空間を壊してしまいます。また、作品も小さいものが多く、広大で複雑な空間との大きさの差を埋めるために、展示台の素材や大きさを調整したり、自然光との関係を考慮したりといった工夫が必要でした。

──展示を準備するうえで、改めて旧朝香宮邸という同館本館の建築について、気がついたことはありますか。

西澤 展示に活かすことができる要素を探すために、館内の様々な箇所を計測し、調度品も隅々まで研究しました。そのなかで改めて驚いたのは、和風の部屋も、書斎や書庫も、サンルームもあり、それぞれがじつは異なる設計思想を持っていること、そしてそれをひとつの邸宅としてまとめている技術の高さです。現代建築は白やグレーといった色調の統一がなされていたり、コンクリート、鉄、ガラスといった素材に共通性があるし、装飾を使わないので、ひとつの世界観のもとにまとめやすい。でも、東京都庭園美術館は、さながら異なる作家の作品をひとつの展覧会にまとめているようなキュレーションがなされていて、それは現代を生きる我々にはなかなかできないことだと思いました。

──アール・デコの様式は、私たちにどのような示唆を与えてくれるものなのでしょうか。建築やデザインの観点から教えてください。

西澤 例えば本館では、ルネ・ラリックによるガラスのレリーフが正面玄関の扉にあしらわれていたりするのですが、どこか日本的な美意識も感じられます。フランスから持ってきた様式を、日本人が住むために日本の場所に適応させているわけですから、それだけアール・デコは寛容な様式だったんですよね。 その点では規格化された現代のデザインのほうが息苦しく感じたりもして、もっと自由でいいのではないか、といった思いにも駆られます。

西澤徹夫

──ヴァン クリーフ&アーペルに現代まで継承され続けている「サヴォアフェール(匠の技)」を紹介する第4章「サヴォアフェールが紡ぐ庭」が展開される新館は、展示のためにつくられた空間です。ここでは本館とはまた異なる思考で展示方法が求められます。

西澤 鑑賞者の体験を考慮すると、本館と新館の展示をつなぎ合わせることはとても難しい仕事だと感じています。アール・デコの邸宅建築から、ガラス張りの廊下を通ってホワイトキューブへと向かうとき、来場者の気持ちは切り替わってしまうだろうし、そこを連続させることは非常に難しい。それなら、まったく異なる体験としてそれぞれを演出するほうが自然だと考え、作品を見せるのではなく来場者が自ら歩みを進めてサヴォアフェールの数々と出会う、さながら庭を散策するような鑑賞ができるように会場を構成しています。

──西澤さんの創意と工夫がふんだんに込められた本展のセノグラフィーから、デザインや建築、アートの道を志す学生たちが学べることがあるとしたら、どんなことでしょうか。

西澤 私は東京藝術大学で講義もしているのですが、なかには「美術館では作品と純粋に向き合いたいので、キャプションはいらない」という学生がいたりします。それは、いまの時代の考え方としては正しいかもしれませんが、これだけ情報があふれているなかでは、作品、キャプション、監視員の椅子、消火器の表示まで、すべてが展覧会の構成要素なわけです。 それをどのように調和させるかということを、セノグラファーは考えている。だから、作品と純粋に向き合っていると思っても、そのときの自分は建築空間のひとつの要素になっていると言えるし、什器の高さや壁の色まで、様々な情報から影響を受けたり、あるいは自分が影響を与えたりしているわけです。

 100年以上の歴史を持つメゾンと展覧会をつくるときは、自分のオリジナルな要素を出すということは、そもそも難しい。すべてが調整で成り立っているんです。でも、それはとてもクリエイティブなことだし、建築的なことだと僕は信じて取り組んでいます。 現代において何かをつくるというのは、おそらくそういうことではないでしょうか。自分の仕事がそのなかでどう位置づけられるのか。歴史のなかでどのような立場を与えてもらえるのか。そういったことを考えることの重要性が、少しでも伝わるとうれしいですね。