2025.1.6

小西真奈「Wherever」に見る、画家のタッチの変遷

風景画の可能性を拡張し続けるアーティストの小西真奈。初期の代表作から最新作までを網羅する、自身初となる美術館での大規模な個展「Wherever」が府中市美術館で2月24日まで開催中だ。

文・撮影=中島良平

第1章「Gardens」展示風景より、左から《Crocodile》(2023)、《Flamingos》(2024)、《Water Lilies》(2024)。《Water Lilies》は出品作のうちの最新作
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 雄大な自然を題材に、大画面の隅々まで描き込んだ理知的な絵画スタイルが評価され、2006年VOCA展で大賞を受賞した小西真奈。近年は即興的な筆運びで身近な題材を描くように、スタイルを固定することなく風景画の可能性を拡張し続ける。府中市美術館で開催中の小西真奈「Wherever」は、キャリア初期の代表作から最新作までおよそ100点の絵画作品が並ぶ作家にとって最大規模の個展だ(会期は2025年2月24日まで)。

第3章「Paintings 2004-2009」展示風景より、左から《キンカザン1》(2005)、《キンカザン2》(2005) この2作品を対象作品として、小西は2006年にVOCA賞を受賞した

 「小西さんから大型作品2点を寄贈したいとの申し出を受け、アトリエに調査に伺ったことがきっかけになりました」と、担当学芸員の神山亮子は開催までの経緯を話す。初期の緻密に描き込んだ作品から、即興的で余白を感じさせる作風へと変化したことが見て取れ、またその近作に魅力を感じたことから個展を依頼したという。

 そして、美術館で初となる大規模な個展を開催することを決めた小西。「この規模の空間で成立させられるか不安で、『作品が足りない!』となって目覚めるような悪夢をよく見ました」と、神山の依頼を受けた当初のことを笑いながら話す。

 「お話をいただいたのは2年前のことですが、神山さんには本当に伴走していただけたと感じています。徐々に描く楽しみが戻ってきて、会場に入ってからの設営も、空間に新たに絵を描くような感覚で楽しむことができました」。

小西真奈

 展示は3章で構成される。第1章は「Gardens」。2023年から2024年にかけて描かれた油彩画を中心に、3つのスペースに分けて展示される。同じテーマやモチーフ、色やかたちの共通点などに着目した小西自身のアレンジで、作品同士がさまざまな関係を結びながら展開を見せる、色彩豊かな「空間絵画」が生まれた。2024年に描かれた《Water Fountain 1》から展示へと誘われる。

第1章「Gardens」展示風景より、左が《Water Fountain 1》(2024)
第1章「Gardens」展示風景より
第1章「Gardens」展示風景より
第1章「Gardens」展示風景より

 初期の作品では、2006年のVOCA展で大賞を受賞した「キンカザン」で宮城県の金華山に取材し、撮影したプリント写真をもとに描いたように、自然の造形が特徴的な景勝地に人物を配し、緻密に描き込むことで静寂に支配された異界を思わせる世界を生み出してきた。第1章「Gardens」に展示されている2022年から2024年にかけて描かれた作品を見ると、フリーハンドの線や絵具の滴りも目立ち、サイズも初期作品よりも小さくなったこともあり、より軽快で柔らかな光が感じられる。張り詰めた空気感というよりも、柔らかな空気に鑑賞者が融け込んでいけるような印象だ。

 キャンバスの下地が見えている部分があれば、即興的なストロークで生まれる効果をそのまま生かしたような描写もあり、緻密な画面づくり、筆致のコントロールを感じさせる初期作品から大きな変化を見せる。完成と未完成の関係を曖昧にしたまま、モチーフから感じた光や色のイメージをナマのままに画面に残したプロセスが感じられる。

第1章「Gardens」展示風景より
第1章「Gardens」展示風景より

 作風が変化したふたつのターニングポイントがある。2010年に長男を出産し、自宅を離れて景勝地へと取材に赴けないばかりか、自分で好きなように時間を使って絵を描くことができなくなったこと。もうひとつが2020年のコロナ禍。やはり外出が制限され、住まいから近くの東京都立神代植物公園の温室や、武蔵野の河岸段丘の景色に目を向けるようになった。人物のポートレイト作品もあわせて展示されている理由を問われると「結局、モチーフとして好きなものを描いていれば楽しいんです」と画家。

 「ジェニファー・バートレットの画集がひとつのきっかけになったのですが、身近なプールを様々なタッチで、画角を変えながら描くことで、彼女は多様な表現を絵にしました。すごい場所に行かなくても面白い絵を描けるということが彼女の作品からわかったので、自分も身近で親密なモチーフに惹かれていきました。温室などの人工物の直線をフリーハンドで描き、その直線のリズムを手で表現することに楽しさを見出しました」。

第1章「Gardens」展示風景より
第1章「Gardens」展示風景より、左から《Cliff 1》(2024)、《Cliff 2》(2024)。風景の抽象化を進行させたかの印象を与えるこの2点は、久しぶりに身近なモチーフを離れて壮大な景色を描いた2024年夏の作品

 続く第2章は、「Drawings」。展示されているのは、2020年から2023年にかけて鉛筆で描かれたドローイング作品と、関連する3点の油彩作品だ。

第2章「Drawings」展示風景より
第2章「Drawings」展示風景より

 油彩作品とドローイングが並んだ3組の展示を見ると、油絵の準備段階で描かれたスケッチのようにも見えるが、同じ構図であっても、必ずしもドローイングが先に描かれたわけではないという。いずれも、画家自らが撮影した写真をもとに描いた作品であり、純粋にモチーフを同じくするだけで、どちらがどちらのために描かれたという関係性をもつわけではない。目の前の対象を直感的に読み取り、目で見た情報を直接手に伝達して描かれたような躍動感が画面を覆っている。

 そして最後の第3章が、「Paintings 2004-2009」。時間を遡るかたちで小西真奈の画風の変遷をたどる展示により、小西の評価が確立されたキャリア初期の作品の数々を最後の展示室で見ることができる。

第3章「Paintings 2004-2009」展示風景より

 時期を遡る展示構成によって、より明確に伝わってくることがある。第1章に展示された作品から伝わってくるのは、即興的な筆運びによる画面の躍動感、光の移ろいも含めた軽快さだ。しかしそこから感じられるのは、どれだけ即興的に筆さばきを行ったとしても、決して崩れることのないたしかな空間把握と描写力だ。たしかな技量が、絵の自由な表現を如何様にも可能にしている。「1日たりと何も描かずに過ごす日は考えられない」というほどに、絵を描くことは小西にとって当たり前の行為なのだ。

第3章「Paintings 2004-2009」展示風景より、右手の作品《みんな水に向かっていく》(2007)が、個展開催のきっかけとなった、小西から府中市美術館に寄贈された作品の1点。もう1点《三人と馬》(2005)は、コレクション展示室に展示されている
第3章「Paintings 2004-2009」展示風景より
第3章「Paintings 2004-2009」展示風景より

 印象派の画風を現代にアップデートしたかのような、第1章「Gardens」に集められた鑑賞者の心を躍らせるような作品の数々。コロナ禍でのひとつの楽しみ(気晴らし?)として、ステイホーム期の作品を集めた第2章「Drawings」の鉛筆によるドローイングと、過去の取材写真をもとに夢想して描いた遠くの景色。キャリアの原点に位置し、最初に画風を確立させた時期の確固たる作家性に裏打ちされた第3章「Painting 2004-2009」の大型作品群。展示を追うことで、絵の楽しさと絵がもつ力を体感することができるはずだ。