2024.12.18

偶然性から生まれる不確かな絵画。対談:ウェイド・ガイトン×中野信子

絵画の伝統的な形式とデジタルによる印刷技法を融合する制作方法で知られる作家 ウェイド・ガイトン。彼の日本初個展「Thirteen Paintings」に合わせて、脳科学者・中野信子との対談イベントを開催。脳科学の視点から見る作品の魅力とは。

文=山内宏泰 通訳=田村かのこ

中野信子とウェイド・ガイトン © LOUIS VUITTON / Akane Kiyohara
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 ニューヨークを拠点に活動を続けるウェイド・ガイトンの日本初個展「Thirteen Paintings」が、エスパス ルイ・ヴィトン東京で幕を開けた。ガイトンはエプソンの大型インクジェットプリンターでキャンバス布に多様なモチーフを印刷し、その過程で生じるエラーやインク液垂れなどを積極的に作品へ取り込んでいく。プリンターを絵筆代わりにしてイメージを操ることで、現代における絵画の可能性探究の先陣を切り、また作家性のありようにも揺さぶりをかけているのだ。来日を機におこなわれた、脳科学者としての多様な発信のほか創作やキュレーションも手がける中野信子との対談の様子を紹介する。

ウェイド・ガイトン「Thirteen Paintings」展の展示風景より、《Untitled》(2022)
Courtesy of the artist and Fondation Louis Vuitton, Paris
Photo: © Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton

セレンディピティを招き入れる

中野信子(以下、中野) ガイトンさんと私はともに1970年代生まれ。デジタル機器やデジタルメディアが人の生活に浸透していく過程を、リアルタイムで経験した世代です。そのことが、プリンターを駆使してデジタルイメージを絵画に仕立てる作風に、影響を与えているのでしょうか。

ウェイド・ガイトン(以下、ガイトン) テクノロジーへの素朴な関心はたしかにありましたね。私は小さいころ美術の時間が好きではなく、得意でもありませんでした。大学生になってようやくアートに関心を持つようになり、絵を描いてみたものの、まったくうまくいかなかった。そのとき目に留まったのがプリンターでした。書類をプリントするのが仕事のこの機械に、絵を描かせてみたらどうなるか? そう思いついて試してみたら、見たことのないおもしろいアウトプットが現れた。それでプリンターを作品制作に取り入れるようになったのです。

 制作時に私が扱うのはデジタルデータですが、プリンターはもちろん物理的なモノとして存在しますし、作品自体もキャンバスにプリントをしたモノであり、いざ展示するとなればこのかさばる物質を梱包して現場へ運び込まないといけないけません。デジタル・テクノロジーを用いて制作しているというのも事実ですが、実態としては、オールドファッションな手法をとっているものだなとつくづく思います。

© LOUIS VUITTON / Akane Kiyohara

中野 ガイトンさんはプリンターをあえて「誤用」し、インクが漏れたり画像が擦れたりする予期せぬインシデントを、作品の一部として生かしています。機械のエラーを「愛しいエラー」として受け入れる姿勢に、外界や他者に対する温かい眼差しを感じます。科学の世界ではこうした偶然の産物を「セレンディピティ」と呼んで、新しい発見や進化へつながるものとして重視しますが、ガイトンさんもエラーを創作における重要な要素と認識していますか?

© LOUIS VUITTON / Akane Kiyohara

ガイトン 制作の際に自らエラーを招き、偶然を呼び込もうとしているのはたしかです。そのほうがおもしろいものを生み出せると、経験的に知っているので。私はアーティストとして活動していますが、自分を特別にクリエイティブと思ったことはありません。外界に広がる大きなネットワークのなかのひとつの小さい存在として、つど試行錯誤し問題解決に励んでいるだけと感じています。作品をつくるときの私は、ソフトウェアやプリンターの調子、キャンバス地のコンディション、温度や湿度といった様々な条件の調整役に過ぎません。そうやって何とか保った状況から自然に生まれてきて可視化されるのが作品であって、そこに自分でコントロールできる余地はほとんどありません。

中野 自身の作品について、ガイドンさんはかねてこう述べています。「私の作品は版画であり版画ではなく、写真であり写真ではなく、絵画であり絵画ではなく、この不確かな状態にあることを心地よく感じている。作品がどのように定義されるかは、観る人の視点によって決まる」。アートはつくり手の内部で完結するのではないことを強調しているように読み取れます。こうした外に開かれた姿勢に、ガイトン作品の魅力があると思えます。

ガイトン 創作において自分がすべてをコントロールできるとはまったく思っていませんし、制作のプロセスで自分が何をしているのか、どちらに転んでいくのか本人もわかっていないことは多いです。アートは私にとって、いつもミステリアスなものです。

 私の作品は不確かな状態にあって、どう定義されるかは観る人の視点によって決まるとよく言っていますが、ジャンルとしては絵画に分類されることが多いでしょうか。絵画という存在はたいへん興味深いものです。絵画のおもしろさのひとつは、その歴史において常に「絵画とは何か」を問い続けてきたところにあります。絵画とは何かを議論することによって、ありとあらゆる表現を「これも絵画だ」と、受け入れ吸収してきたのです。「こんなのは絵画じゃない」とジャンルを限定しようとする動向はどの時代にも見られますが、その動き自体をも絵画史に取り込んでしまう懐の広さがあります。

 私の作品も以前から、「これは絵画か? 絵画とは呼べないんじゃないか?」などと問われ続けてきました。ですが考えてみれば、そうした問い自体が絵画を巡る言説として扱われ、絵画史を築く糧となっていくのです。議論を呼ぶということが大切という訳です。自分のやっていることが、絵画とは何かという問いの一部になれるというのは、おもしろいことだと感じます。

ウェイド・ガイトン「Thirteen Paintings」展の展示風景より、《Untitled》(2022)
Courtesy of the artist and Fondation Louis Vuitton, Paris
Photo: © Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton

東京の街並みを作品に取り込む

中野 エスパス ルイ・ヴィトン東京での個展「Thirteen Paintings」では、13点の絵画で構成される《Untitled》が公開されています。13枚で1セットという形式には、どのような意味が込められているのでしょうか。

ガイトン 《Untitled》は13枚が合わさってひとつの作品をなしていて、1枚ずつ壁に掛けて展開もできるし、ひとところにまとめて彫刻作品として展示することもできます。スタックするときは表と表を合わせた一対をつくり、続いて裏と裏で合わせた一対をつくり……と重ねていきます。ぎゅっと詰まったかたまりのなかに様々な情報が凝縮され、同時にいつでも拡張し得るポテンシャルを秘めた、ひとつのボリュームとして立ち現れることとなります。

 13枚というのはその数字に意味があるのではなく、それくらいがちょうどいい分量だからです。作品をスタジオに立てかけて保管する際に、これ以上枚数が多いと倒れる危険性があります。これより少ないと、彫刻作品としての厚みがもの足りなく感じられます。

ウェイド・ガイトン「Thirteen Paintings」展の展示風景より、《Untitled》(2022)
Courtesy of the artist and Fondation Louis Vuitton, Paris
Photo: © Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton

中野 可変性が高いつくりになっていることは、創作上の重要なポイントになっているのですか? 

ガイトン 多様なレイヤーを重ねていくことが、私の作品づくりの基本であり、可変性があると、それだけでいくつものレイヤーを生み出すことができます。絵画内にプリントされている内容も、たくさんのレイヤーが含まれ折り重なっています。自分が制作する様子を写真に撮ったものもあれば、スタジオをリノベーションしている様が写っていたり、作品をつくっているのと同じコンピュータで見ていたニュース画面も組み込んでいます。

 自分が日頃している行為のすべては等価で、記録され作品に組み込まれ得るものとしてあります。だから私の作品は、私が何をしてきたかの記録にもなっていて、自分自身が忘れてしまっていることでも、絵画を見ればそのときの私が何を考えていたかわかります。

ウェイド・ガイトン「Thirteen Paintings」展の展示風景より、《Untitled》(2022)
Courtesy of the artist and Fondation Louis Vuitton, Paris
Photo: © Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton

中野 東京での展示はどんなものにする構想だったのですか。

ガイトン 私にとって初めて披露される作品なので、《Untitled》の13枚すべての表面をしっかり見せたほうがいいだろうと考えました。ところが展示空間の写真を送ってもらったところ、会場はガラス張りで壁面がほとんどなく、そのままでは13枚の絵画を壁に並ることは不可能だった。ならば窓面を壁代わりに用いるしかありません。天井が写った写真をよく見てみると、ライトを吊るす白いパイプがあることに気づきました。このパイプと同じもので構造体を組んで絵画を掛けられないかと相談し、窓の前面を壁代わりにして絵画を並べる展示が実現しました。

ウェイド・ガイトン「Thirteen Paintings」展の展示風景より、《Untitled》(2022)
Courtesy of the artist and Fondation Louis Vuitton, Paris
Photo: © Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton

中野 ガラス張りの開口部が外界と直接つながっているように見えるのが、この空間の特徴です。否応にも目に飛び込んでくる東京の街並みと作品を、どう調和させようとしましたか。

ガイドン 街の光景がよく見えることは教えてもらっていたので、それもひとつのレイヤーとして鑑賞体験に入れられたらと考えました。鑑賞者が絵画から絵画へと視線を移すあいだに街の光景が見えることで、内と外の関係性が曖昧になったり、外にあるものが内側へ入り込んでくる感覚を持てるよう工夫しました。また、展示しているうち一枚の作品画面には、ニューヨーク・マンハッタンにある私のスタジオで撮った写真が使ってあり、ダウンタウンの様子が窓越しに写り込んでいます。この空間で眺めているものが、東京の光景かマンハッタンの光景なのかわからなくなるような効果が出たら面白いですね。

 展示するときはいつも、その場にあるものや条件を柔軟に取り込んでいくことを、最大限に心がけます。もちろんいざ展示作業となれば、作品同士の間隔や動線の確保など現実的に決めなければいけないことは多いですが、それ以外はできるかぎりオープンに、場所に感応しながらつくっていきたいのです。ちなみに絵画を壁面に掛ける際は、人の目線の高さに合わせるのがセオリーですが、私は作品と身体全体で向き合ってほしいので、いつもかなり低い位置に設置するようにしています。

© LOUIS VUITTON / Akane Kiyohara

中野 脳科学・生物学の視点からすると、生物とは自身の内と外の境界を持つものと定義できます。そして生物の内側は呼吸や摂食などによって、つねに外界と物質的な出入りがある。生物は環境とインタラクティブであることによって存在します。

 展示を見ていると、作家も鑑賞者も個人という存在が街に溶け込んでいき、アノニマスになっていく感覚を覚えます。自分とは、環境との相互作用のなかで立ち上がってくる、不確かな一個の現象であるのだなと強く感じます。

© LOUIS VUITTON / Akane Kiyohara

ガイトン うれしい感想です。私は普段スタジオにひとり籠もって制作していても、街から流れ込んでくるものと密接に関わりを持ち続けていると感じているので。今回初めて訪れた日本での経験もまた、私の一部となって、次の作品に反映されるのは間違いありません。日本語が読めず話せない私にとって、日本で過ごす時間は、いきなり映画の世界へ飛び込んでしまったかのようにとらえどころのない、それでいて強烈な印象を残すものでした。東京から何を持って帰り、どんなことが自分のなかに長く留まるのかはまだわかりませんが、大きい影響は出るだろうと思っています。

ウェイド・ガイトン「Thirteen Paintings」展の展示風景より、《Untitled》(2022)
Courtesy of the artist and Fondation Louis Vuitton, Paris
Photo: © Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton