偶然性から生まれる不確かな絵画。対談:ウェイド・ガイトン×中野信子
絵画の伝統的な形式とデジタルによる印刷技法を融合する制作方法で知られる作家 ウェイド・ガイトン。彼の日本初個展「Thirteen Paintings」に合わせて、脳科学者・中野信子との対談イベントを開催。脳科学の視点から見る作品の魅力とは。
ニューヨークを拠点に活動を続けるウェイド・ガイトンの日本初個展「Thirteen Paintings」が、エスパス ルイ・ヴィトン東京で幕を開けた。ガイトンはエプソンの大型インクジェットプリンターでキャンバス布に多様なモチーフを印刷し、その過程で生じるエラーやインク液垂れなどを積極的に作品へ取り込んでいく。プリンターを絵筆代わりにしてイメージを操ることで、現代における絵画の可能性探究の先陣を切り、また作家性のありようにも揺さぶりをかけているのだ。来日を機におこなわれた、脳科学者としての多様な発信のほか創作やキュレーションも手がける中野信子との対談の様子を紹介する。
セレンディピティを招き入れる
中野信子(以下、中野) ガイトンさんと私はともに1970年代生まれ。デジタル機器やデジタルメディアが人の生活に浸透していく過程を、リアルタイムで経験した世代です。そのことが、プリンターを駆使してデジタルイメージを絵画に仕立てる作風に、影響を与えているのでしょうか。
ウェイド・ガイトン(以下、ガイトン) テクノロジーへの素朴な関心はたしかにありましたね。私は小さいころ美術の時間が好きではなく、得意でもありませんでした。大学生になってようやくアートに関心を持つようになり、絵を描いてみたものの、まったくうまくいかなかった。そのとき目に留まったのがプリンターでした。書類をプリントするのが仕事のこの機械に、絵を描かせてみたらどうなるか? そう思いついて試してみたら、見たことのないおもしろいアウトプットが現れた。それでプリンターを作品制作に取り入れるようになったのです。
制作時に私が扱うのはデジタルデータですが、プリンターはもちろん物理的なモノとして存在しますし、作品自体もキャンバスにプリントをしたモノであり、いざ展示するとなればこのかさばる物質を梱包して現場へ運び込まないといけないけません。デジタル・テクノロジーを用いて制作しているというのも事実ですが、実態としては、オールドファッションな手法をとっているものだなとつくづく思います。
中野 ガイトンさんはプリンターをあえて「誤用」し、インクが漏れたり画像が擦れたりする予期せぬインシデントを、作品の一部として生かしています。機械のエラーを「愛しいエラー」として受け入れる姿勢に、外界や他者に対する温かい眼差しを感じます。科学の世界ではこうした偶然の産物を「セレンディピティ」と呼んで、新しい発見や進化へつながるものとして重視しますが、ガイトンさんもエラーを創作における重要な要素と認識していますか?
ガイトン 制作の際に自らエラーを招き、偶然を呼び込もうとしているのはたしかです。そのほうがおもしろいものを生み出せると、経験的に知っているので。私はアーティストとして活動していますが、自分を特別にクリエイティブと思ったことはありません。外界に広がる大きなネットワークのなかのひとつの小さい存在として、つど試行錯誤し問題解決に励んでいるだけと感じています。作品をつくるときの私は、ソフトウェアやプリンターの調子、キャンバス地のコンディション、温度や湿度といった様々な条件の調整役に過ぎません。そうやって何とか保った状況から自然に生まれてきて可視化されるのが作品であって、そこに自分でコントロールできる余地はほとんどありません。
中野 自身の作品について、ガイドンさんはかねてこう述べています。「私の作品は版画であり版画ではなく、写真であり写真ではなく、絵画であり絵画ではなく、この不確かな状態にあることを心地よく感じている。作品がどのように定義されるかは、観る人の視点によって決まる」。アートはつくり手の内部で完結するのではないことを強調しているように読み取れます。こうした外に開かれた姿勢に、ガイトン作品の魅力があると思えます。
ガイトン 創作において自分がすべてをコントロールできるとはまったく思っていませんし、制作のプロセスで自分が何をしているのか、どちらに転んでいくのか本人もわかっていないことは多いです。アートは私にとって、いつもミステリアスなものです。
私の作品は不確かな状態にあって、どう定義されるかは観る人の視点によって決まるとよく言っていますが、ジャンルとしては絵画に分類されることが多いでしょうか。絵画という存在はたいへん興味深いものです。絵画のおもしろさのひとつは、その歴史において常に「絵画とは何か」を問い続けてきたところにあります。絵画とは何かを議論することによって、ありとあらゆる表現を「これも絵画だ」と、受け入れ吸収してきたのです。「こんなのは絵画じゃない」とジャンルを限定しようとする動向はどの時代にも見られますが、その動き自体をも絵画史に取り込んでしまう懐の広さがあります。
私の作品も以前から、「これは絵画か? 絵画とは呼べないんじゃないか?」などと問われ続けてきました。ですが考えてみれば、そうした問い自体が絵画を巡る言説として扱われ、絵画史を築く糧となっていくのです。議論を呼ぶということが大切という訳です。自分のやっていることが、絵画とは何かという問いの一部になれるというのは、おもしろいことだと感じます。