2025.1.31

恵比寿映像祭2025「Docs ―これはイメージです―」(東京都写真美術館ほか)開幕レポート

総合開館30周年を迎えた東京都写真美術館とその周辺施設で「恵比寿映像祭2025」がスタート。会場では「Docs ―これはイメージです―」をテーマに、11の国と地域から参加した39名のアーティストらによる作品が一堂に展示されている。会期は2月16日まで。

文・撮影=三澤麦(ウェブ版「美術手帖」編集部)

展示風景より、カウィータ・ヴァタナジャンクール《A Symphony Dyed Blue》(2021)
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 東京・恵比寿の東京都写真美術館をはじめとする周辺施設で、「映像とは何か」を問い続ける国際フェスティバル「恵比寿映像祭2025」がスタートした。会期は2月16日まで。

 17回目の開催となる今年の恵比寿映像祭には、11の国と地域から39名のアーティストらが参加。「Docs ―これはイメージです―」をテーマに掲げ、メディアの変容に着目し、幅広い作品群をイメージと言葉からひも解くことで、「ドキュメント/ドキュメンタリー」を再考することを試みるものとなっている。

出展アーティスト

 同映像祭は、美術館の3階からスタートする。まず3階の展示室では、「コミッション・プロジェクト」の作品を紹介。これは、日本を拠点に活動するアーティストを選出し、制作委嘱した映像作品を“新たな恵比寿映像祭”の成果として発表するというもので、昨年度ファイナリストに選出された4名のアーティストによる映像祭のテーマと連動した新作が公開されている。

展示風景より、牧原依里《3つの時間》(2025)
展示風景より、小田香《母との記録「働く手」》(2025)

 ここでは、視覚と手話を中心とする人々の視点から実験的な映像やインスタレーション作品を制作する牧原依里による《3つの時間》、もっとも身近な存在である「母」の知らない一面をとらえた小田香による《母との記録「働く手」》、50年以上にわたって新潟水俣病患者の支援者を行ってきた旗野秀人さんにカメラを向けた小森はるかによる《春、阿賀の岸辺にて》、韓国の酒造の歴史にフォーカスことで日本による統治が同地の文化にどのような影響をもたらし続けているのかを追う永田康祐による《Fire in Water》が上映されている。どの作品も社会的な課題を孕みながらも、その対象は個人的なものから公のものまでと幅広い点が特徴的であった。

 なお、アーティストによって上映時間や形態がやや異なるため、詳細は公式ウェブサイトよりチェックしてほしい。

展示風景より、小森はるか《春、阿賀の岸辺にて》(2025)
展示風景より、永田康祐《Fire in Water》(2025)

 映像祭のメイン展示は、おもに2階・1階・地下1階で展開されている。そのなかからいくつか気になった作品やプログラムを紹介したい。

 アメリカ・ロードアイランド州在住のトニー・コークスは、歴史的・文化的瞬間を再文脈化するヴィデオ作品や平面作品を制作するアーティスト。昨年はマッカーサー財団の「天才賞」とも呼ばれるフェローシップを獲得し、今回日本において初の大規模展示を行う。

 館内や恵比寿周辺で展開される「ワード・ポートレート」のシリーズは、既存の映像やポップ・ミュージック、ジャーナリズム、哲学書、ソーシャルメディアといった多様な資料からの引用と鮮やかな色彩で構成されており、一見軽快でありながらも痛烈な社会批評性も兼ね備えている。

展示風景より、トニー・コークス《The Queen is Dead … Fragment1》(2019)

 ポートレートのように人物像を映し出すのですはなく、あえてテキストで語る有効性はどこあると考えるか? という編集部の質問に対して、コークスは「瞬発的に理解できることよりも、時間をかけて理解ができることのほうが鑑賞者に強い影響を与えられると考えている。ワード・ポートレートを見ることで、対象となる人物が世間に対してどのように自分をアピールしているのかも感じ取れるはずだ」と語った。

展示風景より、トニー・コークス《Evil.66.2(DT.sketch.2.7)》(2016)
展示風景より、トニー・コークス《The Queen is Dead … Fragment2》(2019)

 タイのバンコクを拠点に活動するカウィータ・ヴァタナジャンクールは、労働及び女性の家事労働に焦点を当てて制作を行ってきた。今回出展されている《A Symphony Dyed Blue》は、洋服工場から流出した化学染料によって汚染される川を記録したドキュメンタリー《River Blue》(2017)にインスパイアされたもの。青い染料と白い泡で満たされた有毒性のある水のなかで、自身の身体を用いてその過酷な労働状況を表している。

展示風景より、カウィータ・ヴァタナジャンクール《A Symphony Dyed Blue》(2021)

 自身の身体を張った映像作品を数多く手がけるヴァタナジャンクールにその理由を尋ねた。「とくにアジアの文化圏における女性は心の拠り所としての役割を担わされてきた。それはある種、“物”として見られていることとも同義であると感じる。つまり、私自身の身体も“物”なのだから、危険なことを冒しても問題ないでしょう? そういった問題意識を身をもって鑑賞者にアピールしている」。

展示風景より、カウィータ・ヴァタナジャンクール《The Toilet》(2020)。自身を掃除用具に見立てて家事労働を行う様子がポップに表現されているが、その表情は歪んでいる

 ほかにも2階展示室には、2021年に逝去したイトー・ターリの活動記録や林勇気、角田俊也、プリヤギータ・ディア、古川タクらによる作品、同館コレクション作品が並んでいる。

展示風景より、「イトー・ターリ アーカイヴ展示」

 地下1階では、「ドキュメントの定義」について問いかける作品やコレクション作品が構成されている。

展示風景より

 例えば、コミュニケーションの関係性やそのズレに焦点を当てた斎藤英理の《Social Circles》。ソーシャルメディアの普及によって複雑化した対話やその距離感について考えさせられる作品だ。また、留守番電話から不在の人物を浮かび上がらせる《またね》も、「いったいこのスマートフォンの持ち主はどのような人物なのか?」と聞き入ってしまうおもしろさがある。

展示風景より、斎藤英理《Social Circles》(2023)
展示風景より、斎藤英理《またね》(2015 / 2022)

 現代アーティストらによる新作や近作が並ぶいっぽうで、同館のコレクション作品もあわせてキュレーションされているのがこの映像祭の醍醐味とも言えるだろう。内覧会には、アニメーションの原理を追求した古川タクやメディアアーティストの藤幡正樹が参加し、制作当時のアニメーションやウェブの状況などについても語ってくれた。会期中の2月4日には藤幡によるスペシャルトークセッションも企画されているため、興味のある方はぜひ参加して見てほしい。

展示風景より、古川タク《Imazoo》(1979頃 / 2025)
展示風景より、藤幡正樹《Beyond Pages》(1995-97)

 また、東京都写真美術館の総合開館30周年を記念した企画の第一弾でもある同映像祭。その開催に際し、同館事業企画課長の丹羽晴美の言葉をお届けする。

──総合開館から30周年。国内はもちろん世界的に見ても希少な「写真・映像」を専門とする美術館として、この年月を振り返ってみていかがでしょうか。

丹羽 19世紀に「写真」が発明されたとき、そのいっぽうで「絵画の死」という言葉が生まれました。しかし絵画はいまでも存在しますし、写真は記録すること以上の表現が求められるようになりました。

 つまり、写真や映像が我々の知覚にとってどのようなものであるのかをしっかりと見極め、考えていくことが大切であると考えていますし、そのようなことを踏まえて活動を行ってきました。スマートフォンの普及によって誰もが写真や映像を撮ることが可能になった現代だからこそ、より基本的なことを伝えていく必要があると感じています。

──そのような考えから昨今積極的に推進している活動はありますか?

 オープンワークショップとして、「暗室での現像体験」を今年初めて同館のスタジオで実施しました(1月19日)。日頃大学などで教鞭をとっていると、フィルムカメラを知らない世代も増えてきていると実感します。こういったワークショップやコレクション作品の紹介などを通じて、写真や映像の魅力、可能性、リスクを伝える機会を増やしていきたいですね。

 また、今年は東京でデフリンピックも開催されます。アクセシビリティの強化を図り、ミュージアムが誰でも開かれる場所になっていくよう引き続き務めたいと考えています。

──逆に、東京都写真美術館が現在抱えている課題としてどのようなものが挙げられるでしょうか。

 どこの美術館もそうですが、運営のみならず、収蔵作品を増やしていくために専門家との連携をより密にしていく必要があります。また、写真という分野は美術品のなかでもっとも保存が難しいと言われています。弊館には保存科学研究室がありますから、そこで最新の情報をキャッチしながらこれらの課題には日々向きあっているんですね。

 あわせて、映像分野でも同じような仕組みを必要としています。昨今はメディア・アートの収蔵品も増えましたが、作品ごとに仕様が異なります。弊館では10年ほど前から、作家とのやりとりをもとにしたインストラクション(指示書)を作成するようにしており、ようやく充足してまいりました。10年以上前の収蔵品をどうしていくかという課題は残るものの、そういったメディア・アート作品も皆さんにお見せできる機会がつくれたらと考えています。

 同映像祭では、手話通訳付きトークや鑑賞サポートをより充実させ、多様な背景を持つ来場者一人ひとりが文化や表現に出会う環境が準備されている。ほかにも、地域連携プログラムも充実しており、恵比寿周辺の文化施設では様々な展覧会やイベントに加え、映像祭をより楽しむためのシールラリーも実施中だ。ぜひ1日ほど時間をつくって、映像祭をじっくり楽しんでみてほしい。