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2025.11.10

「ライシテからみるフランス美術」(宇都宮美術館)レポート。フランス美術史を問い直す世界初の試み

栃木・宇都宮の宇都宮美術館で、国家と信仰の関わりの変遷と美術の関係を国内館のフランス美術コレクションから読み解く「ライシテからみるフランス美術一一信仰の光と理性の光」が開催中だ。同展を「青い日記帳」主宰の中村剛士がレポートする。

文・撮影=中村剛士

展示風景より、ルネ・マグリット《大家族》(1963、宇都宮美術館)
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はじめに──“ライシテ”という眼差しで美術史を照らす

 フランス共和国の根幹を支える理念のひとつ、「ライシテ(laïcité)」。この言葉を「政教分離」と訳すだけでは、その思想の奥行きは伝わらない。それは国家と宗教を分ける制度であると同時に、信じる自由と信じない自由を平等に保障するための精神の原理である。

 宇都宮美術館で開催中の「ライシテからみるフランス美術—信仰の光と理性の光」は、この理念を鍵に、18世紀末から20世紀半ばまでのフランス美術を縦断的に見直す意欲的な試みだ。

館内

 本展を企画したのは、同館学芸員の藤原啓氏と本展巡回先である三重県立美術館学芸員の鈴村麻里子氏。 藤原氏は、今回の展覧会を次のように位置づける。「フランス共和国の根幹となる重要な概念のひとつ『ライシテ laïcité』をテーマに、その形成と変遷の歴史に沿って作品を紹介し、フランス美術史を問い直そうという、世界でも初めての展覧会です」。

 ライシテは、抽象的な思想として語られることが多い。だが本展は、その理念がどのように社会の現実と結びつき、どのように芸術表現へと形を変えていったのかを、歴史的にたどる。

 信仰と理性、宗教と国家、そして個人と共同体。それらのバランスが時代ごとに移り変わる過程を、美術の変遷を通して体験的に示している。つまり、思想の歴史を“見る”ことができる展覧会である。

展示風景より

 本稿では、展示構成に沿って、その変化の軌跡を追っていこう。壁に掲げられた絵画や彫刻を通じて、フランスという国がいかに“光”を切り替えながら信仰と理性を調和させてきたのか──。その最初の舞台が、18世紀末のフランス革命、「二つのフランスの争い」である。

第一章 二つのフランスの争い──信仰と理性の間に

 18世紀のフランス、ブルボン王朝のもとでカトリックは国教として君臨していた。人々の公的・私的生活を管理し、王権と結びついた宗教は、国家そのものをかたちづくっていた。だが、1789年のフランス革命がその均衡を破る。

展示風景より、作者不詳《第三身分のめざめ》(1789、専修大学図書館)

 教会財産の国有化、聖職者の「公務員化」。宗教によらない新しい秩序の下で、教会の役割は国家へと吸収されていく。革命が激化すると聖職者 は攻撃の対象となり、宗教建築が破壊され、やがて革命そのものが新たな宗教性 を帯びるに至る。藤原氏は、この革命期を「ライシテの起点」として位置づける。

 「この革命後に展開される『二つのフランスの争い』、すなわちカトリック的伝統に立ち返ろうとする立場と、革命の理想を受け継ぐ立場のせめぎ合いが、近代フランス美術を形成しました。美術はそのなかで、伝統と自由との絶え間ない衝突と混交を映し出すことになります」。

左から、ウジェーヌ・ドラクロワ《聖母の教育》(1852、 国立西洋美術館、東京国立博物館より管理換え)、ジャン=フランソワ・ミレー《無原罪の聖母》(1858、山梨県立美術館)

 その緊張関係を象徴するのが、ウジェーヌ・ドラクロワ《聖母の教育》(1852、国立西洋美術館、東京国立博物館より管理換え)。宗教画でありながら、そこに描かれる母子の姿には、人間的な温もりがあふれる。藤原氏はこの作品を「本展の要」と語る。

 「ジョルジュ・サンドに招かれて彼女の別荘に滞在していた際、自然のなかで過ごす農婦の親子の姿にインスピレーションを受けたことが制作のきっかけになっています。当時、保守派の批評家たちは自然から学んで宗教画を描く ことを否定していましたが、ドラクロワは自然と芸術から得た宗教的感情を作品に結実させている。彼は既存の信仰の外に、別の“聖性”を見出そうとしたのです」。

 ここで描かれているのは、もはや「教会の聖母」ではない。人間の中に宿る祈りそのもの──ライシテの時代の“新しい聖性”が立ち上がる瞬間である。

第二章 敗戦からの復興──共和国がつくる「公共の光」

 1870年、普仏戦争の敗北により第二帝政が崩壊。第三共和政が誕生する。その後、王党派とカトリックの影響力が再び強まり、モンマルトルの丘にサクレ=クール寺院の建設が始まる。だが1879年の選挙で共和派が勝利すると、フランスは再び革命の理想に舵を切り、教育の無償化・義務化を進め、宗教教育を排して“ライックな共和国”を目指した。

 「第三共和政期の公共美術は、共和国の理念を広める教育的メディアとして機能しました。宗教に代わって人々を結びつけるものとして、ライシテの道徳が求められました」。

展示風景より、ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ《聖ジュヌヴィエーヴの幼少期》(1875頃、島根県立美術館)

 共和政の時代、美術は国家の理念を可視化する“公共の言語”として機能していった。例えばピュヴィス・ド・シャヴァンヌの壁画のように、祖国防衛の戦争や労働、教育といった“世俗の徳”を称える作品が数多く制作される。それらは教会に代わって共和国の価値を語る新しい象徴となり、ライシテ化の先にある社会へと人々の精神を導くことが目指されたのだった。

 「第三共和政期の公共美術は、宗教に代わるいわば“新たな共同体の信仰” を形にする役割を果たしました。公共空間を彩った壁画や彫刻は、理性や教育といった共和主義的徳目を美のかたちで体現していたのです」(藤原)。

展示風景

 こうして共和国の理念は、美術を通じて日常の光景へと染み込んでいった。信仰の光と理性の光が交錯する、ライシテ時代の新しい「祈りのかたち」がここに見える。

第三章 「政教分離」と「神聖同盟」──信仰を失ってなお祈る人々

 19世紀末、ドレフュス事件を経て「二つのフランス」の対立が再燃する。そして1905年、政教分離法が成立。国家と宗教は完全に分離され、フランスは“ライシテ国家”として新たな歩みを始めた。しかし、人々の心から祈りが消えたわけではない。第一次世界大戦という未曾有の惨禍の中で、宗教美術は慰霊と連帯の象徴として再び息を吹き返す。

 その象徴が、モーリス・ユトリロ《旗で飾られたモンマルトルのサクレ=クール寺院》(1919)である。白い聖堂の上には、フランス国旗がはためく。もとは王党派・カトリック保守の象徴として建てられたこの教会が、戦後には“祖国防衛”を祝う民衆が終戦を喜び、犠牲への追悼を行う場へ変わっていった。信仰と国家、宗教と共和国が再び交差するその風景を、ユトリロは静かに描き出している。

展示風景より、モーリス・ユトリロ《旗で飾られたモンマルトルのサクレ=クール寺院》(1919、埼玉県立近代美術館)

 「政教分離法によって宗教が国家から切り離されたあとも、人々は祈りの場を求めました。厳格な政教分離のように語られがちなライシテですが、実際はその時代ごとの人々の心性を映し出すように様々に形を変えています。だからこそ宗教的建築や象徴が、共和国の都市風景に再び息づくのです」(藤原)。

 宗教と国家が再び重なり合うこの時代、「共和国は厳格なライシテにこだわることなく、強かな運用によって民衆の心に寄り添っていた。

第四章 もうひとつの聖性──芸術そのものが聖なるものになる

 19世紀末から20世紀初頭、芸術は新たな役割を担いはじめる。かつてのサン=シモン主義者たちの言が実現するかのように、芸術家は社会のアヴァン=ギャルド(前衛)として、人々の精神を導く司祭のような使命を帯びるようになる。国家や教会の庇護を離れた芸術は、自らのうちに聖性を宿すようになっていく。

展示風景より、クロード・モネ《ラ・ロシュ=ブロンの村(夕暮れの印象)》(1889、三重県立美術館)

 藤原氏は、クロード・モネ《ラ・ロシュ=ブロンの村(夕暮れの印象)》(1889)をその象徴に挙げる。

 「モネが描いたのは変化する自然の風景ですが、その向こうに“変わらない力”を感じさせます。このクルーズ渓谷もまた、かつてジョルジュ・サンドが芸術家コミュニティを築いた地ですが、サンドの時代から続く自然との交感によって感じ取った聖性を、モネは既存の宗教を介さずに芸術の聖性として提示している。本展の出品作ではありませんが、例えばモネが後に描く《睡蓮》は、こうした“新しい聖性”による聖堂を築くことになります」。

展示風景より

 ドラクロワからモネへ、信仰の光は理性の光と交わりながら、芸術そのものが祈りとなる時代を迎える。芸術家はいまや何かを称揚するのではなく、自らの力で聖性に到達しなければならない。芸術が「聖なるもの」を引き受ける時代。それは同時に、国家や宗教の外に置かれた人間の精神が、自律的な聖性を感知する時代でもあった。このときライシテは、たんなる制度はなく「感性のあり方」へと広がっていく。

 第五章 アヴァン=ギャルドの向かう先──戦後の芸術と共生の思想

 20世紀、二度の大戦を経て芸術は再び社会との関係を問い直す。詩人ルイ・アラゴンの詩「バラとモクセイソウ」が呼びかけたように、信仰や思想の違いを越えた連帯が求められた。

 戦後の「聖なる芸術」運動を推進したマリー=アラン・クチュリエ神父は、前衛芸術の光を聖堂へ導き入れた。ピカソの《平和の鳩》やシャガール作品に象徴されるのは、信仰を越えた人間的な聖性の探求である。

展示風景より

 藤原氏は語る。「ライシテはたんなる宗教排除の原理として発展したわけではありません。民主主義社会のなかで、信仰も芸術も形と関係性を変化させながら大切な役割を果たしていきます」。

 この章の締めくくりで、展覧会は戦後の平和と共生への願いを映し出す。芸術が再び人間の心の“信仰”となる時代へ──それは、ライシテの理念が美術の中に溶け込んだ瞬間でもある。

批評としての展覧会──「美術史」を問い直す

 「ライシテ展」はたんなる歴史展ではない。藤原氏の言葉を借りれば、それは美術史そのものを問い直す批評的試みである。

 「もしフランス美術史が国家の威光のもとで形成されたのだとすれば、私たちの拠り所となる美術史学自体も、ある種の“信仰”に基づいているかもしれません。ライシテを通してその構造を照らし出すことで、美術史のいびつさが見えてくると思います」。

展示風景より、ジョルジュ・デヴァリエール《善き盗人》(1913、公益財団法人大原芸術財団 大原美術館)

 さらに藤原氏は、地方の公立美術館という“公共空間”からこのテーマを発信する意義をこう語る。「政治権力が公金を使って運営する公立美術館にとって、民主主義社会における美術や美術館の役割というのはしっかりと向き合うべきテーマです。本展はそれをライシテという観点から検証しています。行政に関わる人、美術に興味のない人にこそ、関心を持ってほしいテーマなんです」。

 この展覧会は、過去を扱いながら、現代社会の“共生”を問う。美術館そのものが「他者とともに考える場所」になっている。

 結び──「いま、宇都宮で」しか得られない体験

 本展の価値は、名品を並べたことではなく、見るための“視点”そのものを手渡すことにある。宗教の光と理性の光、その交差をたどることで、私たちは作品の意味を「更新」できる。いったんこの視点を身につければ、帰路に立ち寄るほかの展覧会でも、教会の壁画でも、通り過ぎてきた都市の記念碑でさえも、まるで違って見えるはずだ。鑑賞の解像度が一段上がる──それがこの企画の最大の贈り物だ。

展示風景より、ジョルジュ・ルオー《秋の夜景》(1952、パナソニック汐留美術館)

 さらに言えば、「ライシテ」をここまで正面から扱い、ドラクロワからモネ、ユトリロ、ロダン、ルオー、そして未だその名を知られていない数々の作家たちを一つの思想線で貫いてみせる試みは、国内では前例がない。過去を年代順に語り直すのではなく、国家と宗教、公共と個人、伝統と前衛という現代そのものの葛藤を、美術を媒介に可視化している。これは回顧ではなく、現在のための展覧会だ。

 最後に藤原啓学芸員からのメッセージを掲載する。

今回の展覧会ではもちろんフランス美術の美しさを感じてほしいですが、それだけではもったいないと思います。美術の持つ、ある種の気味の悪さから恐ろしさまで、すべて味わい尽くしてもらいたいと、わたしはそのように考えています。自分の感性に響く作品との出会いは、複製画像やパソコンのモニター越しの出会いでも喜べるかもしれません。しかしながら、自分が愛せない作品が、実際にはいったいどのような作品なのか、どういった感性や立場の人がこれを愛するのか、なぜその作品が今日まで大事に守られてきたのかということは、実際の作品に対峙しなければ感じ取れないと思います。共生社会のなかで多様性を尊重するというのはそういった他者の感性や立場に思いをはせることであり、それはとても体力と精神力、そして想像力を要することだと思います。

展覧会をご覧になるなかでも、例えば伝統を重んじる人は前衛美術を毛嫌いし、リベラルな人は権力を讃える美術を軽んじるかもしれません。それぞれの好みの上ではそれで構わないのかもしれませんが、社会を生き抜き、将来の社会を形成していくうえでは、そうはいかない場面が多々あると思います。楽しい美術鑑賞が社会で生き抜くためのトレーニングにもなると思えば、こんなにお得なことはありません。無限になんでも受け入れる必要はありませんが、他者の感性に想像を広げるきっかけにしていただけると良いと思います。

ともあれ、気楽にご来館ください。難しいテーマではありますが、「フランス革命」や「第一次世界大戦」など、よく知られたトピックを通して関心を広げていただける部分も大いにあります。何より、ミレーやロダン、ルオーといった有名作家の優れた作品や、ジョルジュ・デヴァリエールやエティエンヌ・ディネのように未だあまり知られていない作家の非常に魅力的な作品が国内各地から集まっています。それらを楽しんでいただくだけでも、十分に貴重な機会になると思います。