2026.5.11

抗議と連帯が覆った「In Minor Keys」。第61回ヴェネチア・ビエンナーレ現地レポート

5月9日に開幕した第61回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展「In Minor Keys」は、開幕前から異例の緊張感に包まれていた。総合キュレーター、コヨ・クオの急逝、国際審査員団の辞任、そして会期中に広がったストライキ。本稿では、現地で起きた出来事と展覧会内容の両面から、今年のビエンナーレが映し出した現在をレポートする。

文=王崇橋(編集部)

プレビューとなる5月6日、Pussy RiotとFEMENがロシア館前で実施した大規模な抗議行動の様子 撮影=筆者
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開幕前から揺れるビエンナーレ

 5月9日に開幕した第61回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展「In Minor Keys」は、開幕前から異例の緊張感に包まれていた。

 その発端となったのは、昨年5月に総合キュレーターのコヨ・クオが急逝したことだ。また開幕直前には、「金獅子賞」などを選出する国際審査員団5名が一斉に辞任するという異例の事態が起きた。審査員団は声明のなかで、「国際刑事裁判所によって人道に対する罪で訴追されている国家の代表は審査対象としない」と表明。名指しこそ避けたものの、ロシアおよびイスラエルを念頭に置いたものと広く受け止められた。

 これを受け、ビエンナーレ側は授賞式を11月へ延期し、代替措置として来場者投票による「ビジターズ・ライオン賞」の新設(ロシア、イスラエルも対象とする)を発表した。しかし、この決定に対しても、参加アーティストのあいだでは反発が広がっている。

 国際美術展の参加作家のひとりである嶋田美子は、「私たちは人気投票のためにアートをつくっているわけではない」と語り、「これは結局、運営側の責任逃れのように感じる。ポピュリズムの非常に悪い使い方だと思う」と批判した。現在、国際展の参加作家のあいだでは、審査対象からの辞退を検討する動きも進んでいるという。

5月8日に嶋田美子がアメリカ館前で行った抗議パフォーマンスの様子 撮影=筆者

 嶋田は同じく参加作家のブブ・ド・ラ・マドレーヌと共同で、プレビューである5月6日にドラァグ・パフォーマーやミュージシャンたちとともにアルセナーレ周辺でパフォーマンスを実施。嶋田は取材に対し、「これまで日本では、LGBTQやエイズ、女性運動、反戦運動など、多くの社会運動が歴史のなかで不可視化されてきた」と語る。「私は、そうした不可視化されてきたものを可視化したい。そして、社会を変えようとして亡くなった人たちを追悼すると同時に、彼らが確かに生きていたことを改めて共有したい」と述べた。

ウクライナ・パレスチナ連帯と広がるストライキ

 緊張がさらに高まったのが、5月6日にロシアのフェミニスト・アート集団「Pussy Riot」と、ウクライナの女性運動団体「FEMEN」がジャルディーニ内のロシア館前で実施した大規模な抗議行動だ。ピンクの目出し帽を被った参加者たちは、煙幕や音楽とともにロシアによるウクライナ侵攻への抗議を訴え、会場には多数の警察官や警備員が出動した。このパフォーマンスは瞬く間に国際メディアで報じられ、今年のビエンナーレを象徴する光景のひとつとなった。

5月6日、Pussy RiotとFEMENがロシア館前で実施した大規模な抗議行動の様子 撮影=筆者
5月8日、ANGA(Art Not Genocide Alliance)が呼びかけたストライキの様子 撮影=筆者

 その後も、ヴェネチア共和国時代の造船所跡を活用したメイン会場「アルセナーレ」と、各国パビリオンが集まる「ジャルディーニ」の両会場では、パレスチナ連帯を掲げる抗議活動が連日のように続いた。なかでも5月8日、ANGA(Art Not Genocide Alliance)が呼びかけたストライキは大きな広がりを見せ、オランダ、オーストリア、ベルギーなど20以上の国別パビリオンが、半日あるいは終日にわたり閉館する事態となった。

 オランダ館代表作家のドリース・フェルホーヴェンは、「ビエンナーレは中立的な文化交流の場だとされているが、実際には極めて政治的な空間だ」と語る。「イスラエル館がアルセナーレという中心的な場所に存在することは、ガザやヨルダン川西岸で起きている行為を正当化することにつながりかねない。私たちは、それを受け入れるべきではないと考えている」。

5月8日、休館中のオランダ館 撮影=筆者

 こうした流れのなかで、日本館もまた5月8日に一時的な閉館という対応を取った。当初は作家側の判断によるストライキとして展示が停止され、その後、代表作家の荒川ナッシュ医、共同キュレーター、そして主催者である国際交流基金との協議を経て再開された。しかし、ピロティに設置されていた57体の「赤ちゃん」たちは、“ストライキ”を続行するかたちで一時的に展示空間から姿を消した。また、展示室内外に留まった赤ちゃんたちも、その声をもとに構成されたサウンドが停止され、館内は静かな沈黙に包まれた。

 日本館はその後発表した声明で、「赤ちゃんたちは自発的に音楽を止め、沈黙することを選んだ」と説明。「この『赤ちゃんたちのストライキ』は、展示の根幹にある問いそのもの」であり、「私たちは本当に安心して暮らせる世界を築いているのか」と来場者へ問いかけた。

 「水」と身体が支配する展示空間

 こうした政治的緊張のなかで開幕した「In Minor Keys」だが、展覧会そのものもまた、現在の世界が抱える不安定さや矛盾を強く反映した内容となっていた。コヨ・クオが構想した本展には、110組のアーティストやコレクティブが参加し、展示は「セクション」ではなく、「Shrines」「Procession」「Schools」「Rest」といった複数のモチーフによってゆるやかに構成されている。

 国別パビリオンを含む会場全体を通して、とりわけ印象的だったテーマのひとつが「水」だ。海面上昇、環境破壊、植民地主義、身体と自然の循環──そうした問題系が、多くの作品において水や海、湿地、洪水といったイメージを通じて繰り返し提示されていた。

 なかでも大きな注目を集めていた国別パビリオンのひとつが、パフォーマンスアーティストのフロレンティーナ・ホルツィンガーによるオーストリア館「SEAWORLD VENICE」だった。内覧会初日から長蛇の列ができ、時間帯によっては1〜2時間以上待つ来場者も見られた。

フロレンティーナ・ホルツィンガーによるオーストリア館「SEAWORLD VENICE」の様子 Photo by Andrea Avezzù. Courtesy of La Biennale di Venezia

 ホルツィンガーは、オーストリア館を「聖堂」「海底テーマパーク」「下水処理施設」が混在する空間として再構築。会場内では、観客の身体から排出される尿が循環システムに組み込まれ、その液体によってパフォーマーが生活する水槽空間が維持されるという、極めて挑発的なインスタレーションが展開された。

 浸水した館内にはジェットスキーが浮かび、ロボット犬が水中を徘徊する。さらに中庭では、パフォーマーが観客の尿によって維持される水槽のなかで生活を続ける。作品は、マスツーリズムと環境危機が衝突するヴェネチアそのものを縮図化しながら、身体、テクノロジー、管理、そして廃棄物の問題を、強烈な身体性を通じて可視化していた。

フロレンティーナ・ホルツィンガーによるオーストリア館「SEAWORLD VENICE」の様子 © Nicole Marianna Wytyczak. Courtesy of the Austrian Pavilion
フロレンティーナ・ホルツィンガーによるオーストリア館「SEAWORLD VENICE」の様子 Photo by Andrea Avezzù. Courtesy of La Biennale di Venezia

 ホルツィンガーは声明のなかで、「水と深い関係を持つヴェネチアという都市で、身体を通じて自然とテクノロジーの相互依存を探求したかった」と述べている。また、キュレーターのノラ=スヴァンティエ・アルメスは、本作について「人類が崩壊するシステムに加担していることを描きながら、“秩序”そのものが不安定であることを露呈している」と説明した。

「In Minor Keys」が映し出した現在

 今回のビエンナーレでは、このように身体性やクラフト、スピリチュアリティを前面に押し出した展示が数多く見られた。とりわけテキスタイルや工芸的手法を用いた作品は各会場で目立ち、クオのキュラトリアル・プロジェクトが重視した「手仕事」や「身体知」の感覚が強く反映されていた。

センゼニ・マラセラの作品展示 Photo by Luca Zambelli Bais. Courtesy of La Biennale di Venezia

 いっぽうで、その傾向に対して批評的な視点を示す声もあった。シャルジャ・ビエンナーレ17のキュレーターのひとりであるアンジェラ・ハルトゥニャンは、「グローバル・サウスの作家を数多く紹介した点は重要だった」と評価しつつも、「そこには、“西洋以外の地域はテクノロジー的条件の外部に存在している”という前提が潜んでいたようにも感じた」と指摘する。

 さらに、「クラフトやスピリチュアリティ、祖先からの知識への回帰が、後期資本主義社会の矛盾に対する“解決策”として提示されていた。しかし実際には、それらは解決策ではなく、現代社会が抱える矛盾の“症状”でもある」と語った。

ラジニ・ペレラ&マリーゴールド・サントス《Efflorescence/The Way We Wake,》(2023)の展示風景 Photo by Marco Zorzanello. Courtesy of La Biennale di Venezia

 また、近年のヴェネチア・ビエンナーレの傾向について、香港の現代美術館・大館コンテンポラリーのアシスタント・キュレーター、ジル・エンジェル・チュンは、「この5年ほどのビエンナーレは、現代美術を縦方向に発展させるというよりも、横方向にその定義を拡張してきた」と分析する。「これまで十分に注目されてこなかった作家や、ファインアートとして扱われてこなかったメディアが再発見されている」と語った。

 その象徴のひとつが、パフォーマンスの存在感の拡大だ。今回、前述のオーストリア館や日本館をはじめ、多くのパビリオンや展覧会では、展示空間を“アクティベート”するためにパフォーマンスが積極的に導入されていた。チュンは、「もはやパフォーマンスがなければ成立しないように感じられる展示すらある」と語り、「TikTokのような短尺映像文化の影響もあり、人々の感覚的刺激への閾値が高まっている」と指摘した。

バスケス・ユイ・セリアの作品展示 Photo by Andrea Avezzù. Courtesy of La Biennale di Venezia

 実際、今年のヴェネチアでは、展示とパフォーマンス、制度批判と抗議行動、あるいは美術と政治の境界が、かつてないほど曖昧になっていたように見える。ハルトゥニャンは、「美術作品そのものが現実を直接変えるわけではない」としながらも、「作品は、現実そのものが拒絶している“鏡”を、私たちに差し出すことはできる」と語った。

 クオ不在のまま始まった今年のビエンナーレは、制度そのものの限界や矛盾を露呈しながらも、同時に、美術がなお世界と接続しうる場所であることを示していた。ハルトゥニャンの言葉通り、巨大な鏡のように現在の世界が抱える矛盾や不安、暴力、そして連帯の可能性を浮かび上がらせている。

2026年5月13日追記:一部の内容を訂正しました。