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2025.8.12

インテリジェントな建築家たちの「通常営業」。第19回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展レビュー

2025年のヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展は、「Intelligens. Natural. Artificial. Collective.」というテーマのもと開催中。MIT教授カルロ・ラッティによるキュレーションは、AI時代の建築の可能性と限界を見せるものだったが、果たしてそこに未来はあったのか。エイドリアン・ファベル(社会学者/現代美術の批評家)と田村将理(建築・都市研究者)が今年のビエンナーレをレビューする。

文=エイドリアン・ファベル、田村将理

第19回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展 スペシャルプロジェクト「Intelligent Venice」の展示風景 Photo by Andrea Avezzù. All images courtesy of La Biennale di Venezia
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ヴェネチアの風景──楽観主義と知の脱政治化

 よく晴れたヴェネチアの朝、人混みからも程よく離れたゲットー地区やサン・ピエトロ地区の古い裏路地を歩いていると、あまりにも多くの観光客に痛めつけられてきたこの旅人たちの聖地にまだいつも通りの観光業を支えていける余地があるかのように思えてしまう。その前夜からのヴェネチアへの到着は不安に包まれていた。というのは、直前になって入島には事前登録と24時間以内の入島税の支払いが必要になっていたことに気づいたからである。まるで国境を越えるためのビザのような入島チェックは、今日の世界を自由に移動できる特権的な人々にはやがて免除されることになるかもしれない。とはいえ、当面はカラビニエリ(イタリアの国家憲兵隊)が入島税の確認のために路上の観光客をいつでも呼び止めることができるようだ。しかし、スマートフォンにその証拠がなければどうなるのだろうか? それに電池が切れてしまったら? 衛星地図がうまく働かず迷路のような路地をさまよっていたら何が起きるだろうか? もし駅からサン・マルコ広場までに人の往来を管理するゲートがあるのだとしたら、その行列を抜けるまでにどれだけ待つことになるのだろうか?

カナル・グランデから望む早朝のヴェネチア 撮影=エイドリアン・ファベル

 もっとも、こうした心配は杞憂にすぎなかった。ヴェネチアの端からもういっぽうの端までの適切な目印と案内に導かれたよく知られた道をただ歩いていけば会場までたどり着くことができた。入島口とは反対側の閑静な一画で開催されるビエンナーレを訪れるのは一握りの人々である。そのことによって、少数のグローバルエリートたちは、ほかの観光客と変わりなくヴェネチアを消費しながらも、自分たちだけはあくまで知的な目的でこの島を訪れた教養ある理想的な観光客だとうぬぼれることができる。ビエンナーレは建築とアートを交互にテーマとして例年開催されるが、建築の年はにぎわいも話題も控えめなことがつねである。しかし、今年のオープニングを迎えたばかりの週末のアルセナーレ会場とジャルディーニ会場はいつも以上の人であふれていた。家族連れの姿が明らかに増えたことも、きらびやかな暮らしを送る少数の人々のための理想郷的な遊び場として、ビエンナーレがその使命を果たしていることがわかる。厳しい暮らしを送る多数の人々は紛争や苦難に巻き込まれているかもしれないが、それがビエンナーレの妨げになることはない。いつものようにビエンナーレは焦燥と期待にあふれている。世界の建築をめぐる思考と創造がまたここに集結し、その最高の瞬間を一望できるのだから。

アルセナーレ会場 Photo by Andrea Avezzù

「Intelligens」のゆらぎ

 さて、今年は「適応の時代」ということだ。今回のキュレーターを務めるイタリア人のMIT教授カルロ・ラッティは、建築家たちに向けてきわめて漠然とはしているがオープンで前向きな呼びかけを行った。それは建築家たちがいずれにせよいつだってそうしてきたと自任していること、すなわち、知的・技術的・創造的なツールを用い、人工環境と自然環境についての革新的な思考によって、今日の社会と政治と文化と環境の危機に取り組むことである。かくして今回の軸となるアイデアは「インテリジェンス」(Intelligens、*1)をかたちにした建築という広範なものとなり、それは「人工的な、自然的な、[あるいは]集合的な」知性のいずれであっても構わないというわけである。

カルロ・ラッティ Photo by Andrea Avezzù