書評:作品を伝え、保存修復を伝える。田口かおり『改訂 保存修復の技法と思想 古代芸術・ルネサンス絵画から現代アートまで』『絵画をみる、絵画をなおす 保存修復の世界』
雑誌『美術手帖』の「BOOK」コーナーでは、新着のアート本を紹介。2024年10月号では、田口かおりによる『改訂 保存修復の技法と思想 古代芸術・ルネサンス絵画から現代アートまで』と『絵画をみる、絵画をなおす 保存修復の世界』を取り上げる。普段目にする機会の少ない保存修復の専門書と、その世界をわかりやすく解説したこの2冊を、平諭一郎が評する。
作品を伝え、保存修復を伝える
修復家であり、保存修復学、美術史の研究者としても活動する著者は、修復家について「美術作品の過去と、現在と、未来を考える仕事」と説明している。
イタリアを基点に、古くから美術作品がどのような方法や考え方で修復され、保存されて現在に伝わってきたのか。修復家はどのように作品と向き合いながら仕事をしているのか。また、未来へとバトンをつなぐために、必要となる記録や記憶のあり方はどのようなものだろうか。まさに、過去に学び、現在に悩み、未来を思い描くきっかけとなる、ふたつの著書が同時期に出版された。
ひとつは、2015年に出版されて以来、保存修復を専門とする人が参考にしてきた『保存修復の技法と思想 古代芸術・ルネサンス絵画から現代アートまで』の改訂文庫版。もうひとつは、小学校高学年以上を対象とした『絵画をみる、絵画をなおす 保存修復の世界』。映画や小説、テレビドラマのように、『保存修復の世界』を読んだ人は少なからずイタリアや修復家といった国や職業に憧れを抱き、ミラノやフィレンツェへの旅行や留学を思い描くだろう。著者は、過去に家族でイタリアを観光したときに美術と出会った感動から、同地で修復家の修業をした日々を綴り、情熱的かつ易しい語句と語り口で「修復家」という仕事を丁寧に解説している。
いっぽうで『保存修復の技法と思想』は、イタリアの保存修復史を学ぶことができる教科書ともいえる内容である。イタリア中央修復研究所を創設した美術史家チェーザレ・ブランディが1963年に著し、現在の日本における保存修復学に多大な影響を与えた『修復の理論』(2005年邦訳)の前後の歴史を振り返りながら、ブランディの思想を現代的に読み解いていく。多少なりとも保存修復を学んだ私は、同書の内容を何年も前に熟読し参照してきたはずだが、改訂文庫版となって読んだ現在でも瑞々しく心に響いた。古色と経年価値、美的価値と補彩など古典的な絵画修復の思想を出発点としながら、非物質的でその場かぎりの現代的な作品までを射程に入れ、作品のみならず展示空間までをも配慮した保存修復のあり方を提示している。
いずれの書も、生や時間、治療や薬などを比喩に、保存修復というあまり知られていない世界をわかりやすく解説している。保存修復における完全な答えや永遠性を否定する謙虚な姿勢が感じられるいっぽうで、イタリアと日本で学び、修復家、研究者として歩んできた著者の強い意志と人生がそのまま表れているようだ。
(『美術手帖』2024年10月号、「BOOK」より)