映画『国宝』でも話題。無形の芸術を守り、伝える「人間国宝」という制度の意義
現在上映中の映画『国宝』が大ヒットしている。およそ3時間の長さも感じさせない圧倒的な映像美と物語は、歌舞伎にあまり親しんでいない層にも響いているようだ。この機に「人間国宝」について考えてみたい。

話題の映画『国宝』
任侠の家に生まれ、抗争により目の前で父を殺された喜久雄は、たぐいまれな美貌と座興で演じた女形の才を見込まれ、上方歌舞伎の大御所で人間国宝の花井半次郎に拾われて、歌舞伎界に身を投じる。花井家には同年代の跡取り息子・俊介がいた。2人はライバルとして切磋琢磨しながら、芸を高める青春時代を過ごすが、半次郎の代役に喜久雄が抜擢されるのを機に運命の歯車は大きく狂っていく──。生まれながらに将来を約束されている御曹司・俊介と、反社会的な出自ながら生来の才を持つ喜久雄。血筋か才能か、情か理か、虚か実か。光と影が交錯する壮絶な人生の中で、喜久雄が獲得したものとは……?
戦後から現代へ時代の変遷のなか、歌舞伎界のタブーにも迫りつつ芸に魅入られた人間の悲喜を、関わる人々の細やかな機微と圧倒的な映像美で見せる映画『国宝』。カンヌ国際映画祭では6分にもおよぶスタンディング・オベーションを受けたという前評判もさることながら、予想を上回る観客動員数で話題となっている。
原作は吉田修一の同タイトルの小説で、自身3年間歌舞伎の黒衣を纏い、楽屋に入った経験から紡ぎあげた渾身の作だ。監督は、『フラガール』などを手がけた日本映画界を代表するひとり李相日。吉田の『悪人』『怒り』も手がけており、本作が3作目となる。
その彼が熱望したカメラマンが、カンヌ国際映画祭でパルム・ドールも受賞しているチュニジアの撮影監督ソフィアン・エル・ファニ。美術監督には『キル・ビル』の種田陽平を迎え、息をのむような極彩色と臨場感あふれる画面が生み出されている。舞台での汗だくの顔、苦しさを抑える表情、息遣いや衣擦れの音など、見る者をその場にいるような緊張感に引きずり込んでいく。いっぽうで日常の情景は色を抑えた日本の風物をとらえて、静と動、人工と自然の対比もすばらしい。

そして俳優陣も半端ない。吉沢亮と横浜流星の各々の女形の美しさに加え、演技を超えた熱量に圧倒されるのはもちろんだが、子供時代を演じた2人の演技も注目だ。異様な存在感を放つのが、やはり人間国宝であり喜久雄と俊介を導く女形・小野川万菊を演じる田中泯だろう。このほか寺島しのぶや中村鴈次郎ら実際の歌舞伎にかかわる俳優たちも含めた豪華キャスティングで、繊細な人間模様が織り込まれている。
芸を極めることの孤独と傲慢、理不尽と残酷、怒りと悲しみ、そして何物にも代えがたい歓喜と至福。美と醜、栄光と挫折を等価に描き出した作品に、見る者はそれぞれに飲み込めるもの、飲み込めないものが異なってくるだろう。その到達の証ともいえる「国宝」とはいったいなんなのか。

