• HOME
  • MAGAZINE
  • NEWS
  • REPORT
  • 「ペドロ・コスタ インナーヴィジョンズ」(東京都写真美術館…
2025.8.28

「ペドロ・コスタ インナーヴィジョンズ」(東京都写真美術館)開幕レポート。暗闇のなかで拾い集める苦難と郷愁の断片

東京都写真美術館で、ポルトガルを代表する映画監督、ペドロ・コスタの日本最大規模の美術館個展、総合開館30周年記念「ペドロ・コスタ インナーヴィジョンズ」が開幕した。会期は12月7日まで。

文・撮影=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長)

展示風景より
前へ
次へ

 東京・恵比寿の東京都写真美術館で、総合開館30周年記念「ペドロ・コスタ インナーヴィジョンズ」が開幕した。会期は12月7日まで。

 ペドロ・コスタは、1959年ポルトガル・リスボン生まれの同国を代表する映画監督のひとり。リスボン大学で歴史と文学を学び、映画学校では詩人・映画監督アントニオ・レイスに師事する。1989年の長編デビュー作『血』がヴェネチア国際映画祭で注目を集め、その後『骨』(1997)や『ヴァンダの部屋』(2000)で国際的評価を確立。カンヌ国際映画祭や山形国際ドキュメンタリー映画祭など受賞歴多数。ペドロは、2018年にポルトのセラルヴェス美術館で開催された「Companhia(コンパニア)」(ポルトガル語で「寄り添う」および「仲間」の意)展や、2022年から23年にかけてスペイン各地を巡回した「The Song of Pedro Costa」展など、映画だけでなく展覧会という形式においても国際的に高い評価を受けてきた。

展示風景より、《火の娘たち(2022)》(2022)

 展覧会名である「インナーヴィジョンズ」は、コスタが10代のころに大きな影響を受けたという、スティービー・ワンダーの同名のアルバムから取られている。本展は、コスタがこれまで手がけてきた映画を解体し、展覧会として個人の体験へと還元しようとする試みであり、現実や社会の壮絶さ、あるいは寄る辺なさに対峙するものである。

 会場は闇に包まれており、目が慣れてもなお足元に注意を払わなければいけないほどだ。そこに浮かび上がるのがコスタの思想が表出した、様々な映像の断片となる。

 展覧会冒頭に並んでいる写真は、同館コレクションのジェイコブ・リースによる写真群となる。コスタは映画『ホース・マネー』(2014)の冒頭で、19世紀末から20世紀初頭にかけてのニューヨークの貧困地域をとらえたリースの写真を写したが、本展でもまたコスタが選んだリースの作品が並ぶ。

展示風景より、ジェイコブ・リースによる写真

 《少年という男、少女という女》(2005)は、映画『ヴァンダの部屋』と『コロッサル・ユース』を2チャンネルで再構成した作品だ。コスタの作品の舞台になってきたポルトガル・リスボンにあったアフリカ系住民が集まっていたスラム街、フォンタイーニャス地区の取り壊し音とともに、そこにあった生活が刻まれている。

展示風景より、ペドロ・コスタ《少年という男、少女という女》(2005)

 コスタは映画『溶岩の家』(1994)で、西アフリカ沖の火山群島、カーボ・ヴェルデ共和国を舞台にした。ポルトガルの入植地であり、奴隷貿易の中継地として栄えたこの島に暮らす女性たちの顔をモチーフにしたインスタレーション《火の娘たち》(2019)は、肌のテクスチャを通して伝わってくるような感覚を見る者に与える。

展示風景より、ペドロ・コスタ《火の娘たち》(2019)

 《火の娘たち(2022)》(2022)もまた、カーボ・ヴェルデを舞台にした作品だ。同国のフォゴ島で1951年に起きた火山の噴火を発想源に、アントン・チェーホフ『三人姉妹』を呼応させながら構築したインスタレーションは、3チャンネルに映し出される。孤独や苦難を歌う彼女たちの息遣いが、まるで火山から噴き出す溶岩のように見る者に迫ってくる。

展示風景より、《火の娘たち(2022)》(2022)

 《アルト・クテロ》(2012)は、映画『ホース・マネー』にも使用されている、リスボンで暮らすカーボ・ヴェルデの移民たちの労働歌のタイトルだ。移民労働者が朗読をするように、たどたどしく呟くその歌詞と火山の映像がシンクロすることで、壮絶な苦難が静かに染み込むように伝えられる。

展示風景より、ペドロ・コスタ《アルト・クテロ》(2012)

《ジ・エンド・オブ・ア・ラヴ・アフェア》(2003)は、コスタの初期作品だで、本展の締めくくりにふさわしい静けさを湛えている。窓の外を眺めつつ、風に揺れるカーテンに目をやる男性が1カット、映し出されているだけの本作は、何かが終わっていくときの郷愁や憐憫をただそこに留める。

展示風景より、ペドロ・コスタ《ジ・エンド・オブ・ア・ラヴ・アフェア》(2003)

 コスタは本展を「各々、見る人のなかで編集し、自分の『インナービジョン』として持ち帰ってほしい」と語った。映画作品の断片を暗闇の中で拾い集め、他者の苦しみや悲しみを鑑賞者それぞれが、自らの経験に照らすようにして、つなぎ合わせていく。そんな稀有な体験ができる展覧会だ。