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2026.1.31

「大横尾辞苑」(横尾忠則現代美術館)開幕レポート。横尾忠則を知るための「辞書」が展覧会に

神戸にある横尾忠則現代美術館で、「大横尾辞苑 これであなたもヨコオ博士!?」が開幕した。横尾忠則の作品世界を、ひらがなとアルファベット計71の用語から読み解く本展は、作家の思考と制作の軌跡を「辞書」という形式で編み直す、これまでにない試みだ。

左から、Fの項目「Family」で紹介される4点組の版画(《Family-Tadanori》《Family-Yasue》《Family-Ei》《Family-Mimi》(1974)と、Eの項目「Ectoplasm」で紹介される《Ectoplasm》(1985)
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 グラフィック・デザイナー時代から「画家宣言」を経て、横尾忠則は森羅万象を貪欲に作品へと取り込みながら制作を続けてきた。これまでにも大規模な回顧展や多くの書籍が刊行され、横尾を知るための回路はすでに豊富に用意されてきたと言えるだろう。そうしたなか、横尾忠則現代美術館で開幕した「大横尾辞苑 これであなたもヨコオ博士!?」は、横尾の世界を時系列やジャンル別に整理するのではなく、「言葉」を起点に横断的に読み解こうとする点に最大の特徴がある。担当学芸員は同館館長補佐兼学芸課長を務める山本淳夫だ。

 本展は、各文字に対応する用語、それらに紐づく説明、そして作品によって構成された「辞書」仕立ての展覧会である。用語は横尾忠則の人生や制作、思想と深く結びついた独自性の高い言葉が数多く含まれていおり、横尾を深く知る学芸員だからこそなしえた構成だ。展示は前半がひらがな編(45字)、後半がアルファベット編(26字)になっており、出品点数は計139点(ひらがな編80点、アルファベット編59点)に及ぶ。

展示風景冒頭のセクション。床には道路のような矢印があり、鑑賞者をガイドしてくれる

 辞書の一部を見てみよう。冒頭の項目「あ」に配されるのは「アストラル体」。神智学において人間を構成する精神的身体を意味するこの概念は、横尾が長年抱いてきた死後世界や異界への関心を、具体的な作品とともに読み解く手がかりとなる。《アストラルタウン》(2008)は「Y字路」シリーズの1点だが、現実と異界の境界が曖昧に溶け合うような雰囲気が強い。それゆえに、「アストラル体」由来のタイトルが付けられたと考えられている。

展示風景より、横尾忠則《アストラルタウン》(2008)

 「け」の項目で取り上げられる「原郷の森」では、文学と絵画、そして横尾自身の内的世界が交差する様相が浮かび上がる。2019年から21年にかけて雑誌『文學界』に連載された長編小説『原郷の森』と並走するかのように制作された絵画作品《(原郷の森)》(2019)は、「言葉による作品」と「視覚による作品」が横尾のなかで分かちがたく結びついていることを示している。本作は、1970年に横尾が撮影した写真を参照して描かれているという点も興味深い。

展示風景より、横尾忠則《(原郷の森)》(2019)
展示風景より、「わ」の項目は「Y字路」として《暗夜光路 N市-Ⅲ》(2000)が紹介されている(写真手前)
「ん」の項目には同館らしい茶目っ気が見られる

 アルファベット編は、マイルス・デイヴィスのアルバム『アガルタ』のジャケットデザインを起点に展開される。なかでも注目したいのが、Eの項目「Ectoplasm(エクトプラズム)」で紹介されている《Ectoplasm》(1985)である。霊媒がトランス状態に陥った際に出現するとされる物質を指すこの概念は、「アストラル体」に連なるものであり、横尾の霊的なものへの関心を端的に示す。降霊術に直接言及した作品は横尾の画業のなかでも珍しいものだ。

展示風景より、横尾忠則《Ectoplasm》(1985)と《キリコーその永遠性》(1990)

 Pの項目「Picabia, Francis」も重要な要素だ。フランシス・ピカビアは、横尾がとりわけ重視してきた作家であり、抽象と具象を自在に行き来するその制作態度は、1980年代半ばに作風の揺らぎを抱えていた横尾に大きな衝撃を与えたという。1989年に刊行された雑誌『ユリイカ』(9月臨時増刊号)の「総特集 ピカビア」では、横尾が装丁を手がけており、その実物も展示されている。さらに興味深いのは、同誌に掲載された「ピカビアとの交霊日記」だ。物故芸術家の霊と横尾が交信するというこの構造は、後年発表される『原郷の森』へと連なっていく。

展示風景より、横尾忠則《ピカビアーその愛と誠実 Ⅰ》(1989)と雑誌『ユリイカ』(9月臨時増刊号)

 珍しい項目として挙げたいのが、Uの項目「UFO」である。同館で初公開となる《UFO Ⅰ(アガルタから)》および《UFO Ⅱ(アガルタから)》(1973)は、UFOを捉えた写真をもとに制作されたシルクスクリーン版画だ。1973年当時、3点組の版画《Agharta Ⅰ〜Ⅲ》と対をなす3連作として発表されたと考えられているが、現在確認されているのは2点のみで、残る1点の所在は不明だという。なぜこれまでほとんど発表されてこなかったのか、そして失われた1点はどこにあるのか。まさに「UFO」の名にふさわしい謎を孕んだ作品だ。

展示風景より、横尾忠則《UFO Ⅰ(アガルタから)》と《UFO Ⅱ(アガルタから)》(ともに1973)

 本展全体を通して浮かび上がるのは、横尾忠則の制作が単一のジャンルや文脈に回収されるものではなく、矛盾や飛躍を孕んだまま拡張し続けてきたという事実だ。用語を手がかりに作品を読み進める体験は、理解を助けるための「解説」である以上に、横尾の世界へと迷い込むための入口として機能している。辞書を引く行為のように、どこからでもアクセスでき、どこへでも逸脱していく。その自由さこそが、横尾忠則の創作の核心であることを本展は示している。

 本展では、同名の展覧会カタログにもぜひ目を通したい。山本は「辞書をつくることから始まり、それを簡略化して展示に落とし込んだ。展覧会と図録の主従関係が逆転している」と語る。カタログでは各項目が展示室のキャプション以上に詳細に記されており、鑑賞体験を大きく補完してくれるだろう。

『大横尾辞苑』はミュージアムショップで購入可能

 なお最後に本展に寄せられた横尾忠則のメッセージを記しておきたい。

なんと面白い展覧会を企画したものだろうと、思わず拍手をしてしまいました。『大横尾辞苑」はこのままで伝記になっているので、もしぼくが自伝を書くことになれば、きっと参考にするでしょう。

でも、ここまで事細かく内面外面を暴かれると、実は困るのです。秘密がなくなってしまうではないですか。作家は秘密の収集家みたいなところがあって、いかに多くの秘密を有するかが、その作家を神秘化し、謎の存在になるのです。まるで明智小五郎に秘密を暴かれ、「どうだマイッタカ!」といわれているようで、怪人二十面相としましては、営業妨害されたような気分です。

でも、そう簡単に化けの皮は剥がれませんよ。学芸員は「してやったり」とほくそ笑んでいるかも知れませんが、『大辞苑』は私の表面を撫でているに過ぎません。まるでAIのように、知性と感性を分析することで、この世のすべてを解明したつもりになっていますが、残念ながら、もうひとつの隠蔽された世界=霊性の世界があることには気づいていないようです。

とはいえ、この『大辞苑』は、とても役に立つものではあります。辞書は考えたり、探したりといった面倒くさいことを、すべて代行してくれるからです。僕としては、この『大辞苑』が、単なる便利な本を超えて、僕のための預言者や占い師になってくれることに期待しています。

ややこしいことをいって混乱させてしまったかも知れませんが、僕のことばなど無視して、この『大横尾辞苑』を手にしながら、ぜひ辞書の森を歩くように展覧会の奥へ、奥へと迷い込んでください。その時あなたは、もうひとつの世界である霊性を手に入れられることでしょう。 横尾忠則