2026.3.19

リナ・バネルジー個展「You made me leave home…」(エスパス ルイ・ヴィトン東京)開幕レポート。分断の時代に問いかける「ホーム」の意味

エスパス ルイ・ヴィトン東京で、南アジア系ディアスポラのアーティスト、リナ・バネルジーの個展「You made me leave home...」が開幕した

文=橋爪勇介(編集部)

エスパス ルイ・ヴィトン東京での展示風景(2026) Photo by Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton
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 東京・表参道のエスパス ルイ・ヴィトン東京で、南アジア系ディアスポラのアーティスト、リナ・バネルジーの個展「You made me leave home...」が開幕した。本展は、フォンダシオン ルイ・ヴィトンの「Hors-les-murs(壁を越えて)」プログラム10周年と、エスパス ルイ・ヴィトン設立20周年を記念するもの。

 リナ・バネルジーは1963年インドのコルカタ(旧カルカッタ)生まれ。ロンドンやマンチェスターでの生活を経て、7歳で渡米。ニューヨーク・クイーンズに移り住んだ。ケース・ウェスタン・リザーブ大学で高分子工学を専攻したのち、95年にイェール大学で絵画・版画の修士号を取得。工学的な素材への知見は、その作品世界に深く刻まれている。

リナ・バネルジー、エスパス ルイ・ヴィトン東京にて Photo by Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton

 バネルジーが選ぶ素材は、綿糸、ココナッツパウダー、テキスタイル、ダチョウの卵、羽根、ガラスのシャンデリアなど、いずれも固有の来歴を持つ。バネルジーはこうしたグローバル・サウス(作家はこれを「熱帯地域」と呼ぶ)産の日常品と、植民地主義の文化的・物質的残滓を反映する要素が混在するインスタレーションや立体作品群を制作してきた。

 こうした素材の選択は、意図的な異種混交を生む。「日常のものを阻害せず、ユニークなものを生み出したい」とバネルジーは話す。ものが自らの手で別のものになることで、新たな動きを獲得するというのが作家の考えだ。

 本展では、作家自身がセレクトした19点のインスタレーション、彫刻、絵画が、開放的なギャラリーを満たす。すべての作品は、移動あるいは移住というテーマを宿しており、2つの巨大なインスタレーションが展示の核をなす。そこを中心に、立体と絵画の作品群が「星座を描くように」(バネルジー)に配置された。

 そのひとつが、記念碑的なインスタレーション《I In an unnatural storm a world fertile, fragile and desirous, polluted with excess pollination, hungry to seize an untidy commerce also gave an unknowable size to some mongrel possessions, excreted a promiscuous heritage, sprayed her modern love, breathed deeper than any one place arching her back threw new empire, religion, bathed in unseasonable hope to alter what could not be warm(不自然な嵐の中、豊穣で、脆く、欲望に満ちた世界は、過剰な授粉に汚染され、乱雑な交易を掴み取ろうと飢え、いくつかの雑種的な所有物に計り知れない大きさを与え、無節操な遺産を排出し、彼女の現代的な愛を撒き散らし、いかなる場所よりも深く息を吸い、背を反らせて新たな帝国と宗教を放り出し、決して温まることのないものを変えようと、季節外れの希望を浴びた)》(2008)だ。

展示風景より、《In an unnatural storm a world fertile, fragile
and desirous, polluted with excess pollination…》(2008) Courtesy of the artist and Fondation Louis Vuitton, Paris Photo by Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton

 本作はフォンダシオン ルイ・ヴィトンが初めて公開するコレクション作品であり、ジュール・ヴェルヌの小説『八十日間世界一周』から着想を得たもの。天井から吊り下げられたドームと、そこから降り注ぐオブジェという構造が、世界を巡る冒険のもたらす驚異と危うさを体現する。

 なお、この長く、やや不自然で物語のような言葉が連なるタイトルには確固たる言語観がある。移民である彼女の母親は英語がまったく話せなかったという。英語という言語で何ができるのかを問い続けることは作家の課題であり、不完全な文法は、新しい自由のかたちを示すものなのだ。

 もうひとつの大作《Black Noodles》(2023)は、人毛の国際取引とその政治的背景を扱ったインスタレーションだ。タイトルが示すように、黒い麺のような繊維とその毛羽立った姿が本作の中核を成す。

 バネルジーにとって髪とは、「触毛や繊毛のようにロープを世界へと放つ政治体の腸(はらわた)であると同時に、商業活動を映し出すもの」だ。ある女性の身体を美しく飾るウィッグは、国境を越えて取引される別の女性の髪であり、目に見えない労働や搾取と切り離せない。新旧の合成繊維を人毛と並置することで、美と暴力、装飾と搾取が織り成す「髪の政治学」を露わにする。

展示風景より、《Black Noodles》(2023) Courtesy of the artist and Perrotin Photo by Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton

 これら2作品が、コンセプトと造形の両面において、本展全体の方向性を定めている。バネルジーにとって、移動は喪失であると同時に生成でもある。「住み慣れた家から離れて旅をすることは、新しい自分、新しい故郷をかたちづくること」だと彼女は語る。「自己とは変わり続けるもの」。その変容こそが本展の根幹にある思想だ。展示する場所、自分のコンディション、そして世界情勢を反映しながら、バネルジーは即興的に作品をアレンジしてきた。作品はどこへ行っても固定されることなく、空間や時代と対話し続ける。

 バネルジーは本展開催に際してこう語る。「世界全体が『ホーム』であると考えるためには、私たちは互いを理解する必要がある。自分とは異なる視点を持つ人の存在を恐れず、許容することが大事だ」。その言葉は分断が深まる今日において、静かだが確かな力を持つ。

展示風景より、絵画作品群(2020-26) Courtesy of the artist and Perrotin Photo by Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton