2026.3.25

建築家・篠原一男の傑作「上原曲り道の住宅」の内部を初公開

戦後日本建築を牽引した建築家のひとり、篠原一男の設計による「上原曲り道の住宅」が、篠原生誕100周年の節目に初公開された。その内部の様子をレポートする。

文・撮影=大橋ひな子(編集部)

1階の天井。コンクリートの巨大な柱が剥き出しになっている
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 戦後日本の建築を牽引した建築家のひとりである篠原一男(1925〜2006)。その生誕100周年、没後20年の節目を記念して、篠原の設計による私邸「上原曲り道の住宅」が初公開された。

 篠原は1925年静岡生まれ。東京工業大学(現:東京科学大学)で建築家・清家清(1918〜2005)に学び、卒業後は同大学で教鞭をとりながら建築家としても多くの設計・デザインを手がけるプロフェッサーアーキテクトとして活躍。退職後は自邸兼アトリエ「ハウス イン ヨコハマ」(1985)に篠原アトリエを構え、設計と言説の発表を続けた。坂本一成、伊東豊雄、長谷川逸子に代表される「篠原スクール」と呼ばれる一群の建築家を輩出するなど、数多くの建築家にも影響を与えている。

 篠原は、「住宅は芸術である」という信念を創作の起点としながら、自身の作風の変化を1〜4までの「様式」で分類した。その「第3の様式」を表す代表作のひとつであり、竣工以来50年間にわたり個人の邸宅として守られてきた「上原曲り道の住宅」が、建設以来初めて公開された。施主は詩人・映像作家の鈴木志郎康(1935〜2022)。本住宅は、志郎康の妻の他界を経て現在住人はおらず、活用方法も定まっていないという。

「上原曲り道の住宅」の外観

 本住宅は、地下1〜2階の全3階建て構造となっている。天井高のある1階はリビングとして使われていた。天井を見上げると、圧倒的な存在感を放つ巨大なコンクリートでできた柱が目に入る。それまで日本の伝統的な要素を含んだ住宅や、コンクリートでできた立方体を用いた住宅を手がけてきた篠原は、「第3の様式」で、都市が持つ特徴の断片を小規模の住宅に落とし込むことに挑戦した。剥き出しのコンクリートの柱は強い存在感を放ち、邸宅内に持ち込まれた都市の構造の異質さを感じられる。

1階の天井。コンクリートの巨大な柱が剥き出しになっている
1階の天井

 この空間にはあまり物が置かれることはなく、訪問客とともに食事をとったり、大きな白い壁面に映像を投影して上映会を行うこともあったという。同じフロアにはキッチンもあり、志郎康と交流のあった詩人・谷川俊太郎らとの写真も紹介されている。

キッチン

 キッチンを抜けるとバスルームが設置されているが、ここには当初「青い部屋」と呼ばれる空間があった。志郎康の妻のアトリエとして使われていたが、のちに子供部屋となり、その後、バスルームになったという。

緑の部屋

 階段を上がると、「緑の部屋」と呼ばれる鮮やかな緑色で塗られた2つの空間につながる。ここは子供部屋などに使われていた。壁の色が目を引くが、備え付けの棚の造形も印象的だ。独特の形状をした引き戸などに、実用性を超えた美学を追求した痕跡を見ることができる。

「緑の部屋」
「緑の部屋」。特徴的なデザインの収納棚が備え付けられている

 最上階は、白に彩られた屋根の下に広がる空間だ。階下の「緑の部屋」と同様、壁一面に特徴的な棚が備わっている。竣工当初この部屋は青色に塗られていたが、のちに志郎康の妻の意向で白く塗り替えられたという。現在は自然光の映える明るい空間だが、かつての青い壁面がつくり出していた光景は、いまとはまったく異なる様子であったに違いない。壁の一部には、塗りきれなかった下地の青がわずかに残されている。

 志郎康の息子・鈴木野々歩は次のように語る。「空間の上部に設けられた窓から、冬の朝だけ太陽の光が真四角に差し込む。ここに住んでいるときは知らなかったが、住人がいなくなって見学するいま、初めて気がついた」。住んでいるときには気づかなかった光に、住人がいなくなったいま初めて気づいたという。「住宅は芸術である」という信念のもと建築を手がけた篠原は、人が住むことによってそれは完成された作品ではなくなると考えた。窓から差す光への気づきは、「住む」者がいなくなった建物が、改めて篠原のいう芸術作品に戻っていく兆しのひとつなのかもしれない。

最上階
最上階。塗り残された青色の壁面
最上階。冬の朝はこの窓から四角い日光が差し込む

地下の書斎兼映写室

 地下1階は、詩人であり映像作家でもあった志郎康の書斎兼映写室となっている。防音のため二重ガラスで囲われたスペースや、多くの本が置ける本書斎などが設けられている。志郎康は知人を呼びよくこの空間で上映会を行っていたという。写真作品も制作していた志郎康は、荒木経惟(1940〜)や森山大道(1938〜)とも交流があり、車庫に備え付けられたトイレを暗室として使おうというアイデアもあった(実際は暗室としては使わず、車庫も車を使う者がいなかったため自転車置き場となっていた)。

地下1階。ガラス張りの本書斎
地下1階。本棚は後から設置された
地下1階の車庫。実際は自転車置き場として使われていた
地下1階の車庫のなかにあるトイレ

 同じフロアには、「赤の部屋」と呼ばれる小さい部屋がある。ここは漫画部屋として使われており、交流のあったつげ義春(1937〜)の作品をはじめ、壁一面が漫画で埋め尽くされていたという。篠原の建築は、広い部屋には白を使い、一部の狭い部屋には鮮やかな色が用いられているが、これほど多くの色を大胆に使っている作品はこの住宅くらいだという。

地下1階にある「赤い部屋」

 前衛的な設計が施された本住宅は、施主・鈴木志郎康の創作活動に多大な影響を与えた。同時に、志郎康とその家族がこの空間を生きることで、住宅そのものもまた、変容し続けてきたと言えるだろう。たとえ「無人」の状態が芸術作品としての完成形だとして、住人のいない住宅は今後どのようになっていくのだろうか。篠原作品のなかでも重要な意味を持つこの建築が、どのように保存・継承されていくのか、その行方に注目したい。