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2025.7.11

坂倉準三建築の名作がホテルとして再生。公共図書館と一体となった新しいかたちの宿泊施設

モダニズム建築の巨匠・坂倉準三による、三重県伊賀市の市指定文化財である旧上野市庁舎。今回新たにその施設が再生され、スモールブティックホテル「泊船(はくせん)」として、7月21日に開業する。公共図書館との一体型複合施設という新しい文化拠点のかたちについても触れながら、その様子をレポートする。

文・撮影=大橋ひな子(ウェブ版「美術手帖」編集部)

旧上野市庁舎 外観
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 三重県伊賀市の市指定文化財である旧上野市庁舎は、1964年にモダニズム建築の巨匠・坂倉準三によって建てられた。今回新たにその施設が再生され、スモールブティックホテル「泊船(はくせん)」として、7月21日に開業する。本施設は、公共図書館との一体型複合施設となっている点にも注目したい。

坂倉準三が手がけた旧上野市庁舎

 坂倉準三は、ル・コルビュジエに学び、日本のモダニズム建築を牽引した建築家。1931年のパリ万博で国際的に注目が集まり、その後個人住宅にとどまらず、公共建築も手がけた。坂倉は一貫して「建築は生きた人間のためのものである」という哲学のもと、建築を人間や社会の営みに寄り添う“器”ととらえていた。

 当時の上野市(現・伊賀市)の市長であった豊岡益人は、そんな坂倉の建築に魅せられ、1959年に旧上野市の都市計画を依頼した。その一環で1964年に建てられたのが、旧上野市庁舎である。

旧上野市庁舎 外観

 伊賀市は京都・奈良・伊勢を結ぶ交通の要衝であり、また忍者や俳聖・松尾芭蕉のゆかりの地としても知られる、豊かな自然と独自の文化が息づく街。そんな街並みに寄り添うように、あえて水平ラインを強調した低層のつくりによって、市民を見下ろすのではなく、等しい目線で迎え入れることを意図してつくられた。また、光と風を取り込み、可能な限り自然光で満たされるように計算された大きな開口部や、必要最小限の構造体をあえてあらわにした造形美も、坂倉建築ならではの特徴だ。

 長年市民に愛されてきた本施設だが、2019年に行政機能が現在の新市庁舎に移されて以降、老朽化には抗えず、解体の危機に直面する。

旧上野市庁舎 外観
旧上野市庁舎 外観

再生によって生まれたスモールブティックホテル「泊船」

 しかし市民有志による保存運動を経て、文化財として保存・再生されることが決定し、公民連携というかたちで、図書館・観光案内・ホテル・カフェといった複数の機能を内包する複合施設「旧上野市庁舎SAKAKURA BASE」として再生された。

 「泊船」は、全19室のスモールブティックホテルで、レセプションは1階、客室は2階となっている。1階と地下1階には図書館が入っており(※)、宿泊者も図書館の本を読むことができる。逆に図書館を利用する人も2階の客室フロアに上がることが可能で、もともと議場だったところは図書館の学習室として使われる予定だ。

 「泊船」という名前は、この土地がかつて琵琶湖の湖底だったという言い伝えや、施設内にある図書館を「言葉の湖(うみ)」に見立て、その上に錨をおろして滞在するというイメージから着想を得ている。さらに伊賀出身の俳聖・松尾芭蕉の俳号が「泊船堂」だったことにも由来して名づけられた。

泊船のサイン

図書館は2026年春開業予定

建築本来の魅力を生かした再生設計

 この再生設計を手がけたのは、公共施設や文化施設の設計を数多く手がけてきたMARU。architecture(マル・アーキテクチャ)。今回の改修では、庁舎の持つ水平ラインや低層構成、周辺の地形や緑とのつながりといった、建築本来の魅力を活かしたまま、新たな用途に応じた機能が加えられている。

 図書館部分は、風の流れを感じるような広い空間となっている。タイルは一部当時のものをそのまま使用するなど、市庁舎だったときの面影を感じさせる空間となっている。

 また1階でありながら、天窓を採用したことで自然光が取り込まれ、柔らかい明るさが広がるとともに、時間によってその見え方が変わる点は大変趣深い。

中庭から見える天窓

 ホテルエリアでは、視線の抜けや自然光を意識した動線設計がなされている。まず階段を上がった先に見えるのは、幅の広い廊下である。建物自体が市指定文化財であるがゆえに、改築にあたって残さなければいけなかった部分がいくつかあるが、そのひとつがこの廊下だ。

1階と2階をつなぐ階段
2階の幅広い廊下

 ぐるりと一周するように客室が並び、真ん中には中庭が2つある。中庭で一際目を引くのが煙突だ。煙突は当時機能していたようだが、現在は老朽化の影響もあり使われていない。撤去する方針も出ていたが、市の意向で残すことになったという。船に見立てた本ホテルにおいては、そのコンセプトを表すという役割をなしているとも考えられる。

建物の上から出ている煙突

 また坂倉が意図していた内と外を繋げる空間づくりにおいて、自然現象を積極的に取り込むといった工夫のひとつも、この中庭で見つけることができる。建物から突き出しているガーゴイル(雨樋の機能をもつ、怪物などをかたどった彫刻)を採用することで、通常隠すはずの雨水の流れをあえて見せている。建物のなかにいながら自然のリズムを感じられるだろう。

突き出しているガーゴイル
ガーゴイルから水が落ちる様子

 全19室のうち、角の3つが広い客室となっている。なかでも、旧市長室だった部屋はスイートルームとして生まれ変わった。もともと使われていた濃い緑のカーペットをオマージュし、気品あふれる空間に。

旧市長室だったところを改装したスイートルーム
扉には市長室の文字が残っている

 ほかにもバリアフリー対応の部屋も用意されており、車椅子の方でも不便なく使えるような工夫がされている。誰にでも開かれた施設であることを目指す本ホテルとしての姿勢が感じられる一室だ。

バリアフリー対応の客室

三重にゆかりのあるアーティストの作品も

 また今回客室すべてに、アート作品が展示されている。アートキュレーションと部屋のスタイリングを担当したのはNOTA&design。たんなる「箱」としてのホテルではなく、訪れる人の営みや気配が重なり、時とともに育まれていく“生き物のような場所”を目指したという。

 設置作品は、安永正臣、壺田太郎、藤本玲奈の3名によるもの。三重県に関わりの深い若手アーティストであり、「過去からのバトンを、これからの未来につなぐようなシーンを生み出す場所にしたい」という思いから彼らの作品が選ばれた。

 安永の作品は、レセプションに設置されている。釉薬から成形を行う、従来とはまったく違う陶芸の手法を確立した安永が、数年前から取り組み始めたモザイク壁画シリーズのひとつだ。人工物が自然物に還っていく過程に魅了され作品制作を行う安永。入り口にこの作品が設置されている意味を想像しながら、本ホテルの滞在のはじまりを楽しみたい。

安永正臣の作品

 3名のなかで最若手の壺田太郎は、1994年伊賀生まれの陶芸作家。大小様々なサイズの作品が各部屋に点在するが、なかでも旧市長室に設置されている作品は、一際存在感を放っている。

壺田太郎の作品

 藤本玲奈の作品は、19室すべてに展示されている。サイズ問わず展開される作品には、ビビットな色が使われており、室内に置かれる天童木工の家具とも調和している。

藤本玲奈の作品

 すべての客室に共通して、質感やクラフト感のあるもの、ビビットな差し色となるものを持ってくることで、坂倉やその師であるル・コルビジェの思想や哲学を反映させた内装となっている。

ビビットカラーを用いた天童木工の家具
障子によって柔らかく外光を取り込んでいる

プライベート空間に没入できるような様々な工夫

 人の出入りがオープンな設計となっている本施設だからこそ、外との線引きをしっかり行い、客室内というプライベート空間に、宿泊者が没入できるような工夫も見られる。

 例えば、泊船のイメージに合わせて選書された本や、再生プロジェクトの背景やコンセプトがしっかりと伝わるようなジャーナルが用意されている。また、東京・蔵前の文房具店「カキモリ」の文箱(ふみばこ)が設えに取り入れられており、滞在するなかでの気づきなど、自分のいまの気持ちを自由にしたためることができる。ほかにも伊賀という土地に由来する、こだわりにあふれたプロダクトが揃っており、自然とこの土地や空間に思いを馳せる時間をつくるための工夫が満載だ。

泊船のイメージに合わせて選書された本
左から、カキモリの文箱、ジャーナル
泊船の近くにある「食堂おおもり」が手がけるモーニング。客室内で食べることができる

 モダニズム建築の巨匠・坂倉準三による名作が、保存されるだけでなく、新たに再生され人々が集う場所になるということは、「建築は生きた人間のためのものである」という坂倉の哲学そのものを体現しているといえるだろう。これからこの場所に集う「生きる人間」たちによって、新たな伊賀の未来が紡がれていくに違いない。