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2026.9.14

韓国初のポンピドゥ・センター拠点がソウルに。「ポンピドゥ・センター・ハンファ」の建築と開館展を見る

韓国・ソウルの汝矣(ヨイド)島に今年6月、「ポンピドゥ・センター・ハンファ(Centre Pompidou Hanwha)」が開館した。フランスのポンピドゥ・センターとハンファ文化財団による4年間のパートナーシップのもと、漢江沿いに立つ63ビルの低層部を改修して誕生した同館では、ポンピドゥ・センターのコレクションを軸とした展覧会を年間2回開催する。開館展は、20世紀初頭に生まれたキュビスムの約20年にわたる展開と、その韓国での受容をたどる「The Cubists: Inventing Modern Vision」。新たな美術館の建築と、10月4日まで開催される開館展をレポートする。

文=大原愛美(編集部)

「ポンピドゥ・センター・ハンファ(Centre Pompidou Hanwha)」外観
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 韓国・ソウルの金融街、汝矣島。漢江沿いに立つ63ビルの低層部に、6月4日、「ポンピドゥ・センター・ハンファ」が開館した。

 同館は、フランスのポンピドゥ・センターとハンファ文化財団が2023年に締結した4年間のパートナーシップに基づくもの。建物は4層、延床面積は1万平方メートルを超え、かつて水族館として使われていた既存施設を改修した。今後4年間、ポンピドゥ・センターの近現代美術コレクションをもとにした展覧会を年間2回開催。各展は韓仏のキュレーターによって共同で企画され、約1500平方メートルの2つの展示室を使って展開される。また、韓国の現代美術や国際的な美術動向を扱う展覧会、教育プログラムなども予定されている。

 その最初の展覧会となるのが、「The Cubists: Inventing Modern Vision」だ。1907年から1927年まで約20年間にわたるキュビスムの展開を、ポンピドゥ・センターのコレクションを中心に紹介するとともに、韓国独自のセクション「KOREA FOCUS」を設け、20世紀前半の韓国におけるモダニズムと前衛芸術の受容にも目を向ける。会期は6月4日~10月4日。

「ポンピドゥ・センター・ハンファ(Centre Pompidou Hanwha)」ロビー

63ビルの足元を包む「光の箱」

 建築設計を手がけたのは、フランスの建築家ジャン=ミシェル・ヴィルモット率いるWilmotte & Associés。既存の構造を活用しながら、63ビルの垂直性とは対照的に、水平方向へ伸びる「Band of Light(光の帯)」として低層部を再構成した。

「ポンピドゥ・センター・ハンファ(Centre Pompidou Hanwha)」外観

 建築のコンセプトは、「Box of Light(光の箱)」。半透明のガラスで覆われたファサードを通して、昼間は自然光が内部へ入り、夜には建物内部の光が外部へと透過する。ポンピドゥ・センターによれば、二重ガラスの外装には韓国の伝統的な瓦屋根の曲線が参照されている。

 地上階の中央ホールには吹き抜けが設けられ、上部の開口から自然光が入る。視線の先には上階の屋外彫刻庭園があり、63ビルと美術館をつなぐ動線として設計されている。外部、ロビー、展示空間、庭園が完全に分断されるのではなく、光と視線によって連続する構成だ。

「ポンピドゥ・センター・ハンファ(Centre Pompidou Hanwha)」ミュージアムショップ 撮影=筆者

 館内には展示室のほか、教育スペースやミュージアムショップも設けられている。ショップではポンピドゥ・センター関連の書籍やグッズをはじめ、デザインプロダクトなどを扱う。

ひとつの様式に閉じないキュビズムの20年

 開館展「The Cubists: Inventing Modern Vision」は、パリを中心に1907年頃から展開したキュビスムを、その成立から1920年代まで時系列にたどるものだ。出品作家は、ポンピドゥ・センターのコレクションから43名、「KOREA FOCUS」から11名。2つの展示室を使い、キュビスムが絵画上の造形実験として始まりながら、複数の作家、媒体、地域へと広がっていった過程を示す。

「The Cubists: Inventing Modern Vision」展覧会風景

 展示は、ポール・セザンヌ(1839〜1906)や、パブロ・ピカソ(1881〜1973)、ジョルジュ・ブラック(1882〜1963)らによるキュビズム初期の実践から始まる。その後、分析的キュビスム、コラージュやパピエ・コレの導入、サロンを通じた広がり、第一次世界大戦による断絶、そして1920年代における展開へと進んでいく。

 会場には、ロベール・ドローネー《パリの街》(1910〜12)、フランシス・ピカビア《UDNIE(若いアメリカ娘)》(1913)、フアン・グリス《朝食》(1915)、フェルナン・レジェ《曳船の橋》(1920)などが並ぶ。

「The Cubists: Inventing Modern Vision」展覧会風景 右がロベール・ドローネー《パリの街》(1910〜12)

 幅4メートルを超えるドローネー《パリの街》(1910〜12)では、エッフェル塔や都市の断片と「三美神」のモチーフがひとつの画面上に並置されている。キュビスム的な形態の分割を用いながら、都市の近代性と古典的な主題を重ねた作品だ。

絵画の外へ。彫刻、舞台、身体へと広がったキュビスム

 展示では絵画だけでなく、彫刻や舞台芸術などへの展開にも焦点が当てられている。平面上で生まれた形態の分解と再構成は、やがて立体へ、さらに舞台や身体を含む領域へと広がっていった。

「The Cubists: Inventing Modern Vision」展覧会風景 中央奥壁面がパブロ・ピカソ《「メルキュール」のための舞台幕》(1924)

 その一例が、パブロ・ピカソによる《「メルキュール」のための舞台幕》(1924)だ。エリック・サティ(1866〜1925)の音楽、レオニード・マシーン(1896〜1979)の振付によるバレエ「メルキュール」(1929)のために制作された舞台幕で、絵画と舞台芸術の接点を示す作品でもある。

 第一次世界大戦は、キュビスムの展開にも大きな変化をもたらした。ブラックやフェルナン・レジェ(1881〜1955)らが徴兵され、各地へ散った一方、ピカソやフアン・グリス(1887〜1927)らは制作を継続。戦後になると、キュビスムは初期の急進的な実験から、古典主義やアール・デコ、純粋主義などと交差しながら変容していった。展示終盤では、ひとつの前衛運動として出発したキュビスムが、1920年代にはより広範な造形言語として共有されていった過程が示される。

パリの前衛は、韓国でどう受け取られたのか

 展示の最後に置かれているのが、ポンピドゥ・センター・ハンファ独自のセクション「KOREA FOCUS: モダン・アバンギャルドへの夢の地図」だ。

「The Cubists: Inventing Modern Vision」内「KOREA FOCUS: モダン・アバンギャルドへの夢の地図」セクション展覧会風景

 起点となるのは、1920~30年代の日本統治時代のソウル(当時の京城)。絵画だけでなく、文学、舞踊、建築、写真、映画など、複数の領域で新たな表現が試みられた時代だ。当時の芸術家や知識人にとって、パリは「モダン」を象徴する都市のひとつとして参照された。なかでも「キュビスト的詩人」とも呼ばれた李箱(イ・サン)(1910〜37)らの活動を通して、前衛芸術が視覚芸術だけでなく都市文化や文学、舞台へと広がっていたことを紹介する。

「The Cubists: Inventing Modern Vision」内「KOREA FOCUS: モダン・アバンギャルドへの夢の地図」セクション展覧会風景より 右が李壽億(イ・スオク)《6・25動乱》(1954)、中央奥が朴崍賢(パク・レヒョン)《露店》(1956)

 こうした動向は、解放と朝鮮戦争を経た1950年代以降にも異なるかたちで接続していく。会場では李壽億(イ・スオク)《6・25動乱》(1954)、河麟斗(ハ・インドゥ)《自画像》(1957)、朴崍賢(パク・レヒョン)《露店》(1956)などの作品を通じ、キュビスムを含む西洋近代美術の造形語彙が、韓国の歴史的状況のなかでどのように受容され、変形されたのかをたどる。

 ここでキュビスムは、パリで完結した運動としてではなく、異なる地域へと移動しながら別の歴史や文化と接続していったものとして位置づけられる。本展の前半でたどってきた1907~27年の西洋美術史に、韓国近代美術というもうひとつの時間軸が重ねられる構成だ。

ソウルに置かれた「ポンピドゥ」は何を展開するのか

 ポンピドゥ・センター・ハンファでは、今後4年間にわたり、パリのポンピドゥ・センターの近現代美術コレクションをもとにした展覧会を年2回開催する。加えて、韓国の現代美術や国際的な動向を扱う企画も展開される予定だ。

「The Cubists: Inventing Modern Vision」展覧会入り口 撮影=筆者

 開館展では、ポンピドゥ・センターのコレクションを用いてキュビスムの歴史をたどるだけではなく、その末尾に「KOREA FOCUS」を配置することで、同じ造形言語が韓国でどのように受容されたのかを併置していた。パリのコレクションをソウルでどのように位置づけ、韓国の美術史や同時代の表現と接続していくのか。今後の展覧会でも、その方法が問われていくことになるだろう。