さらには、この時代の作家を部分的に扱う国際的な展示の一端として、1990年代初期の状況をキュレーターの言語でまとめたテキストも書かれてきた。その例として、松井みどりの「Public Offerings」(2001)、ルーベン・キーハンの「We Can Make Another Future」(2014)、吉竹美香の「Parergon」(2020) などが挙げられる。これらの文章に示されたこの時代についての解釈は、当時『美術手帖』で若手批評家として台頭してきた、機知に富んだ池内と確固たる信頼を築いていた椹木野衣の文章に多くを負うており、この時代に椹木が論じた戦後日本とそのおぞましくも退廃的な大衆文化についての思想はレントゲン藝術研究所の核となった。
もちろん、会田のビジョンは村上の楽観的な商業主義を、日本人の精神のゆがみの荒涼たる風刺性へと転じてしまうものであり、日本の外ではなかなかお気に召されることがないまま今日に至っている。それはクールジャパンとして消費されるにはあまりにも鋭く際立った日本らしさとアイロニーを兼ね備えており、そのビジョンは会田の教え子であるアート・コレクティブ、Chim↑Pom from Smappa!Groupというより若い世代の後継者を経由してようやく世界に届いているといってもいいだろう。
もちろん、作家たちは自ら整理した歴史の流れに自分を書き入れるための努力をつねに重ねている。村上はこのことについて誰よりも意識的である。国際的にいえば、歴史家のあいだに流通しているのは村上の史観だけであり、それは「Superflat」展(2001)、「Little Boy」展(2005)、「The Octopus Eats its Own Leg」展(2017)などを通じて正史化され、ペロタンやBLUM、いまではガゴシアンといったギャラリーにより徹底的に宣伝されてきた。それはひとりの天才の個人的な物語であり、その輝きのすべてが生まれてきたところの集団的な環境の遥か前方をひた走っているのである。未来において、池内や西原の名を記憶するものはいるだろうか? あるいは、会田や小沢さえも忘却されてしまうのだろうか? 現代美術をめぐる国際的な調査のほとんどにおいて、日本のアートはせいぜい1ページか2ページの扱いに単純化されてしまうという悪しき慣例がある。この物語のなかで村上隆と(レントゲン藝術研究所との関わりはない)奈良美智のほかの誰かに居場所が与えられることはありえるだろうか?
*1──Favell, Adrian. Before and After Superflat: A Short History of Japanese Contemporary Art 1990-2011, Hong Kong: Blue Kingfisher/DAP, 2012. pp.246; ‘Resources, scale and recognition in Japanese contemporary art: “Tokyo Pop” and the struggle for a page in art history’, Review of Japanese Culture and Society, vol.26, Dec, 2014. pp.135-153.