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2025.8.4

地域レビュー(東京):齋木優城評「小宮りさ麻吏奈 CLEAN LIFE クリーン・ライフ」、「鄭梨愛 私へ座礁する」、「チェン・チンヤオ 戦場の女」

ウェブ版「美術手帖」での地域レビューのコーナー。本記事は、齋木優城(キュレーター)が今年6月から8月にかけて東京で開催される展覧会のなかから、3つの展覧会を取り上げる。それらはいずれも、「他者」とともに生きるとはどういうことか、美術の実践を通して私たちに問いかけるものとなった。

文=齋木優城

「小宮りさ麻吏奈 CLEAN LIFE クリーン・ライフ」展の展示風景 Photo by Ujin Matsuo
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 2025年7月は、第27回参議院議員の選挙運動期間にあたっていた。展覧会に足を運ぼうと街へ繰り出せば、掲示板には「日本人ファースト」を掲げる政党のポスターが貼られ、駅前に停まった選挙カーからは「外国人問題」についての演説が聞こえてきていた。そんな情勢下だからこそ、記録しておきたい展覧会がある。これから紹介する3つの展覧会は、いずれも人種や国家間の分断に真正面から向き合い、美術という方法で社会へのメッセージを投げかけるものである。

何が私たちを「分かつ」のか?

「小宮りさ麻吏奈 CLEAN LIFE クリーン・ライフ」(WHITEHOUSE

 新大久保駅から歩いて10分。この展覧会は、韓国料理店や南アジア系のスーパーが立ち並ぶ、多国籍な街並みの一角で開催された。展示室の壁面には、およそ美術展では見慣れないインキュベーターが取り付けられ、覗けば丸い培地が見える。キャビネットの扉には「cell - human skin P1/origin - Komiya Lisa Marina」の文字が浮かび、このインキュベーターを使って培養されているのが、アーティスト自身の皮膚から採取した血清であることがわかるようになっている。

展示風景より、壁面の作品は小宮りさ麻吏奈《Self Incubating》(2025) Photo by Ujin Matsuo
小宮皮膚細胞、培地(DMEM, FBS, 小宮血清)、インキュベーター Photo by Ujin Matsuo

 注目すべきは、培養中の細胞を背景にし、字幕が浮かび上がる映像作品《CLEAN LIFE》(2025)だ。映像内では、培養肉への問題提起に端を発する議論が朗読される。培養肉は、動物にも自然にも優しいクリーンな代替タンパク源として近年注目を集めている。しかし、その「クリーンさ」、換言すれば「倫理的な善さ」は、どのようにして担保されるのか。小宮は、培養肉を生産する新興企業にイスラエルが莫大な金額を投資していること、同国の軍隊では菜食主義の兵士に植物性の制服が支給され「世界一ヴィーガンな軍」というコピーが標榜されていることなどを指摘する。植物性レザーの戦闘服を着ていれば、現在も続くガザでのジェノサイドは正当化され得るのだろうか? 会場内に設置されたキャビネットのひとつに収められた3つのシャーレ(それぞれヒヨコ、「肉」の字、胎児の姿が浮かび上がる)は鶏から接種した細胞を培養してつくったもので、培養肉を象徴するイメージが不気味さを持って鑑賞者に迫ってくる。

展示風景より、小宮りさ麻吏奈《Chick, Meat, Embryo》(2025) ニワトリ細胞、培地(DMEM, FBS)、樹脂、インク、アクリル、LED、ステンレス Photo by Ujin Matsuo

 培養肉の生成には、なんらかの有機体から細胞を採取し、それらを培養する必要がある。映像の中の声は、世界初ヒト由来細胞株であるHeLa細胞に言及する。現在は世界各地で培養されているHeLa細胞だが、もとはヘンリエッタ・ラックスという黒人女性の細胞を本人に無断で採取したことから普及したという。当時米国はジム・クロウ法(*1)による人種隔離政策の真っ只中にあった。科学の発展という大義名分のもと有色人種女性の細胞を無許可に使用するという一連の行為は、人種間の分断ゆえに起きた出来事であると言えよう。ふとスクリーンの右側に目を向けると、笑みを浮かべた女性の顔がシャーレに浮かび上がっていることに気づく。使用細胞の名称は「HeLa P3」、この作品はHeLa細胞を培養して描いたヘンリエッタの肖像なのだ。

展示風景より、小宮りさ麻吏奈《Portrait Of Henrietta Lacks》(2025) HeLa 細胞、培地、樹脂、インク、アクリル、LED、ステンレス Photo by Ujin Matsuo

 細胞といういわば最小単位の有機体へのアプローチを通して、いままさに起きている軍事侵攻や人種差別といった普遍的な問題へと議論の射程を敷衍した小宮の手つきは、ミニマルでありながら鮮やかだ。この展覧会は多くの鑑賞者の政治的関心に訴え、会期中にはコムアイと渡辺志桜里を招いてのトーク「日本人ファースト、セカンド、サード」が7月12日に緊急開催され多くの観客が集まるという動きを見せた。

*1──ジム・クロウ法は、1877年から1960年代半ばまで主にアメリカ南部および国境諸州で施行された人種制度である。この法はアフリカ系アメリカ人を白人系アメリカ人に対して二級市民と位置付ける抑圧的な人種隔離政策であり、アフリカ系アメリカ人を公共の場所や職場、地域社会から排除するなど社会全体における人種間の不平等を合法化するものであった。

「分けられた」記憶をたどる旅

「鄭梨愛 私へ座礁する」(CHODEMI 〈朝鮮大学校美術科〉)

 まず、事前に訪問の日時を決めておき、大学関係者に連絡を取る。大学の敷地に入る前に、名簿に名前を書いて受付。この過程を経なければ、CHODEMIに入場することはできない。アートスペースは「開かれた場所」であるべき、という言説が当然のように口にされるなか、作家や企画者が意図しない政治的な理由から「開けない場所」に、この展覧会はある(*2)。

 本展の主題として横たわっているのは、朝鮮という場所をめぐる個人史である。1991年日本に生まれた鄭梨愛は、2018年に朝鮮大学校研究院総合研究科美術専攻を修了し、自身のルーツと向き合いながら作品を制作している。本展においても、在日朝鮮人4世である自身とその家族、そして故郷の土地に思いを馳せた作品が中心となっていた。

 会場は決して広くはないが、中心となる作品のひとつ《ある土地の詩》(2019)が鑑賞者を軽やかに迎え入れてくれる。この作品は、透ける薄い布にテキストや写真を印刷したものだ。いくつかの布には、鄭自身の家族、とりわけ祖父の生前の思い出とその弔いをめぐる個人的な物語と、韓国民主化運動の象徴的存在であった詩人・金芝河の代表作「黄土の道」などの詩が並列的に綴られている。とりわけ印象的なのは、家族の死を悼んで残された人々が土饅頭(*3)をつくった記憶の描写だ。開けられたドアから入る風のなかに揺蕩う布に照明が当たってきらきらと輝く様は、まるで朝の海を眺めているように美しい。 

展示風景より、中央は《ある土地の詩》(2019) 写真提供=鄭梨愛

 天井から吊るされた布と布は、空間の中央にまっすぐな道をつくっている。その先にはスクリーンが置かれ、《ある所のある時におけるある一人の話と語り聞かせ》(2015)、《沈睛歌》(2018)、《Island_drawing 10》(2023)という三篇の映像作品が上映されていた。

展示風景より、中央の作品は《ある所のある時におけるある一人の話と語り聞かせ》(スチール、2015) 写真提供=鄭梨愛

 なかでも《ある所のある時におけるある一人の話と語り聞かせ》は、病床に臥す鄭の祖父と、彼が生前に初めて故郷に帰ったときの映像をつなぎ合わせた作品である。しかし、祖父が日本移住後初めて故郷へ帰った際の映像を撮影したのは、鄭の母であり本人ではない。これは、韓国籍の母と朝鮮籍の父のあいだに生まれ朝鮮籍を継いだ鄭が、韓国への渡航を許可されなかったためだ(*4)。母のまなざしを通じて記録される故郷での祖父の姿は、鄭にとって「伝聞」としての物語である。そこには、朝鮮語をすぐに思い出せず言葉を探す日本在住者として、思い出話に談笑する朝鮮人家族の一員として、そしてこの地を長く訪れることのできなかったことを両親の墓前で詫びる在日朝鮮人一世として、鄭の祖父が生きた人生の様々な片鱗が映し出されていた。この一連の映像は、それぞれの国家にとって都合の良い視点から編集された大文字の歴史ではなく、鄭の祖父が人生をかけて形成したアイデンティティを次の世代へとつないでいく記録であるといえる(*5)。

展示風景より、中央は《祭祀(チェサ)》(2017) 写真提供=鄭梨愛

*2──朝鮮大学校をはじめ朝鮮学校は、制度上での分断のみならず、しばしば日常のなかで不条理なヘイトクライムの対象となってきた。朝鮮学校生へのヘイトクライムと学生たちによる抵抗については参考文献の金汝卿の論文(2022)を見よ。
*3──遺体を土葬し、土を丸く盛り上げて封墳をつくる韓国の埋葬方法。鄭の作品内テキストによれば、全羅道の土は黄土色が特徴であり、この土を棺にも入れることであの世とこの世をつなぐ黄泉の道をあらわすのだという。
*4──戦前には在日朝鮮人は日本国籍者とみなされていたが、日本政府は1947年に外国人登録令を発布し、当時の朝鮮半島が有効な独立政府の誕生前だったにもかかわらず、これらの人々の国籍を「朝鮮」として登録した。しかし、大韓民国政府が成立し制度上で「朝鮮」という国家の存在がなくなったため、「朝鮮籍」が特定の国籍を表示することができなくなった。しかし、自身のアイデンティティを保持するなどの理由で朝鮮籍を保持する者は少なくない(金セッピョル・地主麻衣子、2021、84頁)。朝鮮籍保持者は北朝鮮を通じてパスポートを所持できるものの、このパスポートでは韓国への入国ができない。韓国政府を通じて臨時パスポートの発給を受けることで朝鮮籍者が韓国へ入国する事例もあるが、この臨時パスポートが許可されるかどうかはそのときの政権が南北関係をどう考えるかによって流動的であり、作品制作当時は韓国政府から鄭に許可が降りなかった(金セッピョル・地主麻衣子、2021、63頁)。
*5──荒田詩乃(2025)が収録したインタビューには、鄭が近年取り組んでいる長生炭鉱の遺骨発掘についてなど、作家の重要な活動が記録されている。こちらの記事もあわせて読まれたい。

政治が文化に隔たりをつくるとき

「チェン・チンヤオ 戦場の女」(eitoeiko) 

 最後に紹介したいのは、eitoeikoで開催されたチェン・チンヤオ(陳擎耀)「戦場の女」展である。このギャラリーでは、2014年に前述の鄭も参加した「在日・現在・美術」 展が企画されていた。本来であれば自然光が差し込むであろう展示室内の窓にはびっしりとチラシが貼ってあり、室内は暗い。戦時中のプロパガンダを思わせるチラシは、鑑賞者の心にざわめきをもたらす。

 会場の中心にはスクリーンが設置され、5種類の映像作品を鑑賞することができる。それぞれの映像は、陳敬輝《穿制服的少女》(1944)、蔡雲巌《男孩節》(1944)、陳進《女子挺身隊》(1944)、《眺望》(1945)、《或日》(1942)という絵画が映し出されるところから始まる。いずれも、日本統治下の台湾に生まれた画家たちが手がけたものだ。例えば、陳敬輝《穿制服的少女》(1944)には上半身にはセーラー服、下半身にはもんぺを穿いた女学生の姿、すなわち戦時下において学生がスカートの代わりにもんぺを着用していた当時の台湾の状況が描かれている。

展示風景より、チェン・チンヤオ《穿制服的少女》(2025) 撮影=eitoeiko

 チンヤオは、過去の絵画を出発点に、映像の中で絵画の場面を現代的な視点で実写化し、再構成する。チンヤオ《穿制服的少女》(2025)では、絵画から抜け出たような佇まいの少女が制服を懐かしがる会話をするなかで、彼女たちの目の前に中国風の緑の上着、短いスカートの制服が現れる。ひとりがその中国風制服に身を包むと、台湾風もんぺ姿の友人からは彼女の姿が見えなくなってしまう。そればかりか、もんぺ姿の少女は台湾語を話すのにもかかわらず、中国の制服に着替えた少女は中国語を話すようになる。かつては同じ時間を共有していた友が、「異なる文化の記号」を纏ったことで遠い存在になり隔たりが生じる様子は、政治的な背景のもと私たちの暮らしに揺らぎが生じる現実を表現している。

 また、日本統治下の台湾に生まれた女性画家・陳進による《眺望》(1945)は、防空壕から外の様子をうかがう女性を描いた作品だ。チンヤオ版《眺望》(2022)では、主人公は日常的なしぐさを見せるありふれた女性として映される。防空頭巾をかぶった後に髪型の崩れを気にして不機嫌な顔を見せる様子には、思わず共感せずにはいられない。いっぽう、次の瞬間には頭上を鳴り響く敵機のエンジン音に怯える彼女の前に、「我们一定要解放台湾(必ず台湾を解放せよ)」「今日乌克兰明日台湾(今日のウクライナ 明日の台湾)」という文字が並んだチラシが降ってくる。ギャラリーの窓にびっしり貼ってあったチラシは、この映像に登場するのと同じものだ。会場奥の壁には陳進《眺望》(1945)と同じ構図でチンヤオによって描き直された絵画《眺望》(2022)が設置され、映像に登場した主人公の女性が防空壕から顔を出す場面が現代的な設定となっている(*6)。

展示風景より、チェン・チンヤオ《眺望》(2022) 撮影=eitoeiko
展示風景より、チェン・チンヤオ《伝単(チラシ)》 撮影=eitoeiko

 1976年に台北に生まれたチンヤオは、日本統治時代に生まれた祖父、中華民国統治時代に生まれた父を持つ。彼の祖父は自身のルーツを日本に、彼の父は中国にあると考えていたが、自身は日本人でも中国人でもなく「台湾人」というアイデンティティを認識している。チンヤオは、個人の自己認識や経験が政治的な問題と深く結びついていることを、ユーモアある美術表現を通じて訴えかけているのだ。 

*6──この作品のキャプションには技法として「膠彩画(こうさいが)」と記されているが、これは日本統治下に台湾で広まった日本画技法を発展させた絵画のことを指す。日本敗戦後に政権交代が起きると、日本画技法を源流とした作品は中華民国の「国画」には属さないという議論が起こり「膠彩画」は排斥に至った(郭美瑜、2022)。

 これら3つの展覧会体験は、先述した小宮りさ麻吏奈展の関連トークイベント「日本人ファースト、セカンド、サード」のなかで出たある意見を私に反芻させた。聴衆のひとりから「外国人差別を考えるとき、レイシズムとゼノフォビアが混同されている。グローバルサウスの人々のことを考えられるグローバルノースの政治が必要だと思う」という大意の問題提起がなされた(*7)。

 実際に、現在の日本で公然と行われるヘイトスピーチのなかで想定される「外国人」は、日本が帝国主義的な思想のもとで「外地」等と呼称した被植民地や、グローバルサウスの出身者に偏っていないだろうか。しかし、ふと立ち止まってみれば、人々の置かれる立場は時代や政治の状況によって流動的なもので、いまは「分断する側」にいる人々が「分断される側」、強者から弱者へと変化する可能性はいつだってある。他者の歴史や文化を学び、現在起きている問題の根幹に向き合うことでしか、排他的社会の分断を克服することはできない。これらの展覧会は、戦後80年という節目のいま、日本社会からすっぽり抜け落ちているであろう植民地主義の歴史に向き合うきっかけを与えてくれるものである。

*7──ゼノフォビアは異なる国から来た者への嫌悪を意味するが、レイシズムは特定の人種や民族が別のグループに属する人間に対して優越性を持つという差別思想を意味する。

参考文献
1.Pilgrim, D. 「What Was Jim Crow?」(2000)、Jim Crow Museum(2025年7月31日最終閲覧)。
2.Park, W.「The young woman who saved millions of lives without knowing」(2020)、BBC(2025年7月23日最終閲覧)。
3.荒田詩乃「在日四世の眼差しから、断絶や境界を問い、生と死の記憶を描く。鄭梨愛 「私へ座礁する」(朝鮮大学校 美術棟)レポート」(2025)、Tokyo Art Beat(2025年7月24日最終閲覧)。
4.金汝卿「彼女たちはなぜチマチョゴリ制服を着続けたのか : 朝鮮学校女子学生らの抵抗をめぐって」(2022)、『同志社大学社会学会 評論・社会科学』143号、89–121頁。
5.金セッピョル・地主麻衣子『葬いとカメラ』(左右社、2021)。
6.郭美瑜「台湾美術展で活躍した若き3人の画家 日本統治時代の台湾の膠彩画」(2022)、 山口雪菜翻訳、『台湾光華雑誌』(2025年7月24日最終閲覧)。