30人が選ぶ2025年の展覧会90:筒井宏樹(現代美術史研究)

数多く開催された2025年の展覧会のなかから、30人のキュレーターや研究者、批評家らにそれぞれ「取り上げるべき」だと思う展覧会を3つ選んでもらった。今回は筒井宏樹(現代美術史研究)のセレクトをお届けする。

文=筒井宏樹

「周辺・開発・状況 -現代美術の事情と地勢-」展(下瀬美術館)より。遠藤薫《とるの・とるたす(旅と回転)》(2025) 撮影=編集部
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「プラカードのために」(国立国際美術館、11月1日〜2月15日)

同展メインビジュアル

 タイトルの「プラカードのために」は、参加作家のひとり田部光子が遺した言葉である。本展は、「たった一枚のプラカード」に社会変革の可能性を見出した田部の思想を起点に構成されている。企画者の正路佐知子は、2022年に当時在籍していた福岡市美術館で田部の個展を手がけ、これまで「九州派の一員」として語られがちであった彼女を、一人の女性美術家として再評価へと導いた。「プラカードのために」展が秀逸なのは、その再評価を歴史に留めず、田部を現在進行形で活動する美術家たちの作品と並置することで、今日的なアクチュアリティへと接続した点にある。例えば、田部の《プラカード》(1961)に宿る不平等や不正義に対する批判的なまなざしは、飯山由貴や谷澤紗和子の作品と鋭く共鳴する。また、《人工胎盤》(1961)に象徴される田部のフェミニズム思想は、唯一の男性作家である金川晋吾を含む、女性中心の本展の枠組みそのものにも通底している。これは、いまだ不均衡な美術界のジェンダーバランスに対する、実践的な是正の試みと言えるだろう。

「周辺・開発・状況 -現代美術の事情と地勢-」(下瀬美術館、4月26日〜7月21日)

ムハマド・ゲルリ《いとなみとしての文字「奇妙な顔たち」》(2025)の展示の様子 撮影=編集部

 本展は、坂茂の設計による下瀬美術館が「世界で最も美しい美術館」のベルサイユ賞受賞を記念して開催した初の現代美術展である。宮島を対岸に望む広島県大竹市の海辺という、この美術館の場所性を問い直す企画であった。4万人もの来場者を記録した本展を企画したのは、齋藤恵汰である。齋藤は、この美術館を起点に、大竹、宮島、広島、瀬戸内海、そして東アジアへと思考の同心円を描き、作家たちはそれに鮮やかに応答してみせた。MADARA MANJIは杢目金の立体作品をキューブ型の美術館と呼応させ、インドネシアのムハマド・ゲルリは大竹産の和紙を用いたカラフルなマスクを通じて自国の神話を具現化する。遠藤薫は、磁器が朝鮮半島から日本へと伝来した経路を宮島から逆に辿る旅へと出た。中国のジェン・テンイは、広島に住むリサイクルショップを営む同胞の生の軌跡を介し、戦後ヒロシマの記憶を映像やインスタレーションで呼び起こす。また、鈴木操は、西洋伝統のコントラポストを模した人体像から正中線を切り抜くことで、西洋的まなざしを解体し、新たな認識の地平を提示した。さらに筆者は、久⽊⽥⼤地によるルドンの一つ目の巨人を引用した絵画と、⾦理有の単眼の陶芸作品を通じて、広島出身の画家・靉光の《眼のある風景》(1938)を想起した。かつて「渋家」を創設し、これまでインディペンデントで前衛的な活動を展開してきた齋藤が、松山孝法、李静文、根上陽子の3名のコキュレーターとともに美術館におけるフォーマルな展示を実現させたことは、今日のキュレーションにおけるひとつの達成だろう。

「表現者は街に潜伏している そして、ショッピングセンターは街そのものである」(パープルームギャラリー、8月25日〜9月28日)

同展開催時のパープルームギャラリー(ダイエー海老名店2階)の様子 撮影=編集部

 美術家の梅津庸一が主宰するアートコレクティブ「パープルーム」。その新たな拠点となるギャラリーが、海老名駅前のダイエー2階に開廊した。本展はそのこけら落としとなる展覧会である。外観は、百頭たけしによる壁一面の写真と開店祝いの花々が混ざり合うように並び、自動ドアを抜けると約90平米のホワイトキューブが広がる。参加作家は40名以上に及ぶが、フラッグや壁紙を巧みに交えた配置によって、雑多な熱量を保ちつつも各作品が相互に連関し、パープルーム独自のテイストで統一された空間が立ち現れている。だつお、福士千裕、qp、新関創之介ら初期からのゲスト作家をはじめ、相模原市民ギャラリーでの出会いからつながった90歳を超える續橋仁子や兼田なか、あるいは林康夫、上田勇児、伊藤昭人といった陶芸家、歴代のパープルームメンバーまで、これまでの軌跡が凝縮された構成である。いわば、自己紹介的であると同時に、集大成的な展示でもある。梅津らは2018年にギャラリーを相模原に開廊して以来、近隣のみどり寿司など地域との交流を深めてきた。参加作家からは出品料や売上のマージンを取らないという、利益度外視の独自の運営方針を貫くパープルームが、生活必需品を求める人びとが行き交うショッピングセンターという新天地において、いかなる実践を展開していくのか。その新たなフェーズが注目される。