EXHIBITIONS
高松芸術港 夜港:Selected
高松シンボルタワー マリタイムプラザ 吹き抜けスクリーンで「高松芸術港 夜港:Selected」が開催されている。
第2章となる「夜港:Selected」では、コンテンポラリーアートの映像作品群を上映。出展作家は、AyaoTazaki、潮田友子、大西晃生、近藤拓丸、坂口寛敏、田久保はな、ジダーノワ・アリーナ、帖佐小雪、平田尚也、宮ノ下岳流、山田彩七光。総合ディレクターは、GALLERY KTOの田中利孝。
以下、本展の展覧会ステートメントとなる。
「香川県の春から夏のこの季節の昼間の太陽のもと、自然を散策し、アクティビティを楽しんだ人たちと、島々や美術館でアートに浸たりきった『ART HOLIC』(アートをこよなく愛する人)の方々、また夜の街に出向くには早すぎて暇と退屈を持て余している市内の皆さまに、刺激的で何これ!?と驚きに満ちたコンテンポラリーアートの映像作品群の楽しみを提供いたします。夜が深まる前のひとときをお付き合いください。
『近代の夢』は芸術の世界を革新し続けました。それはいつしかフォーマリズムという作品の内容よりも描かれた色や形の形式が重要だといった作品群になりました。しかし、それらの芸術も大量生産・大量消費時代が来た1960年代には力を失い始めます。絵画は壁から降ろされ床に置かれたり自由になり、芸術は既成の枠組みを越えたものになりました。枠組みを越えた時、芸術は物質の要素すらない、思考やそれを示して見せることが芸術の表現となりました。すなわち概念が芸術になるコンテンポラリー・アートが1960年代半ばに登場します。
こうして新しい表現を模索してきた『新しい芸術』は、映像《思考や概念を録画または制作した動画で表す》という姿形でも作品となりました。
ここで紹介する映像作品も様々な方法で制作されています。実際にパフォーマンスをした記録からつくられた映像、物語仕立てに撮られた作品、またゲームをつくるように仮想空間をつくり出したものもあります。しかし、1番不可解なことは写真データは質量がない存在だと考えられてきたのに、今日の画像は質量を持つミステリアスな存在に思える瞬間があることです。
現在の芸術はカテゴライズする言葉の支配すら越えていってしまいました。夜の芸術港に迷い込み、不思議な時間をお楽しみください」(展覧会ウェブサイトより)。
第2章となる「夜港:Selected」では、コンテンポラリーアートの映像作品群を上映。出展作家は、AyaoTazaki、潮田友子、大西晃生、近藤拓丸、坂口寛敏、田久保はな、ジダーノワ・アリーナ、帖佐小雪、平田尚也、宮ノ下岳流、山田彩七光。総合ディレクターは、GALLERY KTOの田中利孝。
以下、本展の展覧会ステートメントとなる。
「香川県の春から夏のこの季節の昼間の太陽のもと、自然を散策し、アクティビティを楽しんだ人たちと、島々や美術館でアートに浸たりきった『ART HOLIC』(アートをこよなく愛する人)の方々、また夜の街に出向くには早すぎて暇と退屈を持て余している市内の皆さまに、刺激的で何これ!?と驚きに満ちたコンテンポラリーアートの映像作品群の楽しみを提供いたします。夜が深まる前のひとときをお付き合いください。
『近代の夢』は芸術の世界を革新し続けました。それはいつしかフォーマリズムという作品の内容よりも描かれた色や形の形式が重要だといった作品群になりました。しかし、それらの芸術も大量生産・大量消費時代が来た1960年代には力を失い始めます。絵画は壁から降ろされ床に置かれたり自由になり、芸術は既成の枠組みを越えたものになりました。枠組みを越えた時、芸術は物質の要素すらない、思考やそれを示して見せることが芸術の表現となりました。すなわち概念が芸術になるコンテンポラリー・アートが1960年代半ばに登場します。
こうして新しい表現を模索してきた『新しい芸術』は、映像《思考や概念を録画または制作した動画で表す》という姿形でも作品となりました。
ここで紹介する映像作品も様々な方法で制作されています。実際にパフォーマンスをした記録からつくられた映像、物語仕立てに撮られた作品、またゲームをつくるように仮想空間をつくり出したものもあります。しかし、1番不可解なことは写真データは質量がない存在だと考えられてきたのに、今日の画像は質量を持つミステリアスな存在に思える瞬間があることです。
現在の芸術はカテゴライズする言葉の支配すら越えていってしまいました。夜の芸術港に迷い込み、不思議な時間をお楽しみください」(展覧会ウェブサイトより)。
