EXHIBITIONS
内間安瑆・内間俊子展
1950年代、恩地孝四郎をリーダーとする戦後の創作版画運動に加わった内間安瑆(あんせい)と、瑛九が率いる「デモクラート美術家協会」に参加した内間俊子(旧姓青野)の展覧会が開催される。
安瑆は1921年アメリカ生まれ。40年日本に留学、戦時中は帰米せず、早稲田大学で建築を学ぶ。戦後、通訳として進駐軍の将校たちを日本画家に案内したのを機に、創作版画の恩地と出会い木版画に転じた。54年デモクラート美術家協会の青原俊子と結婚。59年、妻と息子を伴い帰米、以降ニューヨーク在住。版画制作の傍ら、サラ・ローレンス大学で教鞭を執り、大学名誉教授を務めた。
2つの祖国を持つ安瑆は浮世絵の伝統技法を深化させ「色面織り」と自ら呼んだ独自の技法を確立。伝統的な45度摺を重ねたシリーズ「森の屏風 Forest Byobu」を手がけた。
他方、俊子は18年中国・安東出身。28年大連洋画研究所で石膏デッサンと油彩を学び、37年に大連弥生女学校を、39年には神戸女学院専門部本科を卒業。帰国後、小磯良平に師事する。渡米後は安瑆とともにアメリカで新しい美術の道を歩むことを決心し、66年頃から古い木片や石などを封印したボックス型のアッサンブラージュやコラージュの制作に取り組む。「夢、希望、思い出」をテーマに日常の「モノ」を組み合わせ、自身の人生の記録を表現した。
本展では、安瑆の油彩、版画作品と内間俊子のコラージュ、箱オブジェ作品など、約20点を展示する。
安瑆は1921年アメリカ生まれ。40年日本に留学、戦時中は帰米せず、早稲田大学で建築を学ぶ。戦後、通訳として進駐軍の将校たちを日本画家に案内したのを機に、創作版画の恩地と出会い木版画に転じた。54年デモクラート美術家協会の青原俊子と結婚。59年、妻と息子を伴い帰米、以降ニューヨーク在住。版画制作の傍ら、サラ・ローレンス大学で教鞭を執り、大学名誉教授を務めた。
2つの祖国を持つ安瑆は浮世絵の伝統技法を深化させ「色面織り」と自ら呼んだ独自の技法を確立。伝統的な45度摺を重ねたシリーズ「森の屏風 Forest Byobu」を手がけた。
他方、俊子は18年中国・安東出身。28年大連洋画研究所で石膏デッサンと油彩を学び、37年に大連弥生女学校を、39年には神戸女学院専門部本科を卒業。帰国後、小磯良平に師事する。渡米後は安瑆とともにアメリカで新しい美術の道を歩むことを決心し、66年頃から古い木片や石などを封印したボックス型のアッサンブラージュやコラージュの制作に取り組む。「夢、希望、思い出」をテーマに日常の「モノ」を組み合わせ、自身の人生の記録を表現した。
本展では、安瑆の油彩、版画作品と内間俊子のコラージュ、箱オブジェ作品など、約20点を展示する。