2025.7.24

対談 加藤泉×石倉敏明:絵を描くことで幸福になってきた

島根県立石見美術館で開催中の「加藤泉 何者かへの道 IZUMI KATO : ROAD TO SOMEBODY」展。その開幕幕初日の7月5日、加藤泉と石倉敏明(秋田公立美術大学美術学部准教授、芸術人類学者、神話学者)による対談イベントが開かれた。進行は同館専門学芸員の川西由里。その模様を再構成してお届けする。

構成=山内宏泰

展示風景より Photo by Yusuke Sato Courtesy of Iwami Art Museum ©︎2025 Izumi Kato
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できるだけ「何かを説明しないように」つくっている

川西由里(以下、川西) いまから2年半ほど前、初めて加藤さんのもとへ伺い、20周年企画として当館で個展を開いていただけないかとお願いしました。快諾いただいたのち、当館へ足を運んでいただき、どの展示室を使いどんなコンセプトで展示を構成するかアイデアをいただきました。結果「A」「C」「D」の3室を使った展開となりましたが、できあがった展示をご覧になっていかがですか。

石倉敏明(以下、石倉) 第1会場の展示室「D」は、時系列で40年間のキャリアをたどる構成で「何者かへの道」と題されています。第2会場の展示室「C」は、天井から太陽光が差し込む大空間にインスタレーションが展開する「空間に描く」。第3会場の展示室「A」は「小さな歴史」と称して様々なコラボレーションや小ぶりの作品が並びます。メリハリのある効果的な構成になっていると感じましたが、これは話し合いの末にできたのか、それとも直観的に決めたのですか。

加藤泉(以下、加藤) どちらかというと直観です。最初に美術館の空間を見に来たとき、天井の高い大きい部屋には、やっぱり大きい作品を置くのがいいだろうと思いました。

川西 意表を突かれたのは、展示室「A」の構成を考えているとき加藤さんが、ガラスケースを使いたいと仰ったことです。油彩画や彫刻をつくる作家の方は、作品をガラスケースに入れたがらないものと思い込んでいたので。

展示風景より
Photo by Yusuke Sato
Courtesy of Iwami Art Museum
©︎2025 Izumi Kato

加藤 たしかに皆あまり使わないでしょうけど、効果的ならもちろん使えばいいわけで。小さい作品をガラスケースの内側に並べるとおもしろそうだと、これも直観で思ったんです。あと、もともと博物館の展示を観るのが好きなので、あの感じを自分でもやってみたかったのもあります。

石倉 日本では美術館と博物館がはっきり分かれている施設が多いのですが、本来は近接しているものですからね。加藤さんの作品はジャンルや制度を軽々と超えていきます。美術館はちょっと苦手だけど博物館は大好きという人にも、おもしろがってもらえるのではないか。もっと言えば、オモチャやプラモデルまたは妖怪好きなどにも強くアピールするはずです。現代アートのファンのみならず、様々な嗜好の人を分け隔てなく迎え入れます。作家ご本人としては、自作をこう見てもらいたいという思いはあるのですか。

加藤 基本的には、好きに見てもらえるようにつくっています。いろんな角度から眺められるように、できるだけ何かを説明しないように、と心がけています。もしも絵で特定のことを主張したりわからせようとしたいなら、やりようはあって、画面内の情報をどんどん減らせばいい。情報を減らしていくと、絵は例えば道路標識みたいなものになっていき、どんな言語を使う人でも小さい子供でもひと目で「あ、“止まれ”だ」「この先は行き止まりなのか」とわかるようになる。情報が必要最小限に絞られていて、メッセージがはっきり伝わるわけです。僕が絵を描くときは、その逆をやっていく。なるべくたくさん情報を入れ込んで、「止まれ」か「進め」か、「行き止まり」か「この先、危険」か、わからないようにして、接した人がいろんなことを考えられるようにしていきます。

左から、川西由里、加藤泉、石倉敏明

石倉 たしかに加藤さんの作品に対すると、これがかわいいのか怖いのか、そもそもだれなのか、どんな存在なのか、わからなくて戸惑うところがあります。

加藤 表情をつけたくないし、だれなのか特定できないようにしたいし、あるとき見ればかわいくて別のときに見ると怖いようにもしたい。とにかく簡単にわかられたくないです。情報をたくさん含んでいるほど「わからない絵」になっていくと思います。

展示風景より
Photo by Yusuke Sato
Courtesy of Iwami Art Museum
©︎2025 Izumi Kato

石倉 わからなさは、加藤作品の大きな魅力です。思えば子供たちって、わからなさを抱えていますよね。かっこいいものやきれいなものが好きだけど、いっぽうですごく気持ち悪いものや怖いものにも惹かれたりと、心の中がゴチャゴチャです。そのカオスを、加藤さんは大人になってもキープしている。今回の展示は、高校時代のものから最新作まで、加藤さんの作品を網羅的に観られるのですが、人が生きて時間を重ねるとはどういうことなのかにまで、思いを馳せられます。会場を巡っていて気づいたのですが、加藤さんは10年周期くらいで大きいジャンプをして、作品に変化を生じさせていますね。加えてもちろん、作品一つひとつでも小さなジャンプが繰り返されていて、同じところに留まるということがまったくないと感じます。

加藤 絵にかぎらず何にしても、止まると死んでしまうじゃないですか。水は流れないと腐るし、人間も血が巡らなければ生きていられない。同じように、絵もつねに動いていないといけない。描く側が歳を重ねれば身体や心が変わって、その変化は絵にきっと現れる。意図して変えようとしなくても、勝手に変化が生じるものです。

「人がた」と「ヒューマン・ビカミング」

石倉 今展では高校生時代から最新作まで、加藤さんの作品を網羅的に見られます。その変化が読み取れておもしろいとともに、私としては自分のやってきた文化人類学との深い関係が感じられてたいへん興味深いです。文化人類学とは人間について研究するわけで、20世紀の人類学は人間を「ヒューマン・ビーイング」すなわち存在としてとらえていました。ところが21世紀の人類学はより多元化しており、「ヒューマン・ビーイング」ではなく「ヒューマン・ビカミング」という言い方があります。人間とはつねに変容し成長する存在であり、変化の過程に注目しようという考えです。加藤さんの生み出す「人がた」は、ヒューマン・ビカミングという言葉とつながっているんじゃないかという気がします。今展では「人がた」の変遷をたどれますが、どうやら「人がた」の前段階もあるように見えます。展示冒頭の《おじいさん》は、どう描かれたものですか。

展示風景より、左から《自画像》《おじいさん》
Photo by Yusuke Sato
Courtesy of Iwami Art Museum
©︎2025 Izumi Kato

加藤 高校生のときに描いた絵です。高校時代はサッカー部の活動に打ち込んでいたんですが、絵を描くのは得意で、美術の授業でもけっこう目立っていた。それで美術部の先生から県展に出してみようと声をかけられ、出品用にと家で祖父をモデルにして描いたものです。キャンバスは部室から勝手に持ってきたから、裏に「美術部」って書いてありますね。《おじいさん》と同じく最初の展示室にある《自画像》は、美術予備校に通っているとき描いたもの。赤いヒモを使って自画像を描きなさいという課題が出て、当時流行っていたアイドルの光GENJIを意識してヒモを鉢巻代わりにして描いたら、教室のみんなに「何それ?」と冷たい反応をされて、けっこう落ち込みました(笑)。

川西 この時期の加藤さんの作品は、これまで公開されたことがありませんでした。美術館へ下見に来ていただいた折、松江のご親戚が古い作品を持っていることがわかり、それらを出品いただくことができました。

加藤 昔の作品を見せるのは自分としては気が進まなかったけれど、まわりの勧めに従い出すことになりました(笑)。

石倉 20代の作品も多数出品されています。画面は暗く、見るからにつらそうな気配の伝わってくる絵が多いです。

加藤 20代は本当に辛かったんです。アルバイトを転々としながら描いていましたが、全然食えなくて、だんだんやさぐれていった。そんな気分がそのまま画面に反映されています。

展示風景より、若かりし日の作品
Photo by Yusuke Sato
Courtesy of Iwami Art Museum
©︎2025 Izumi Kato

石倉 それでも少しずつ絵の雰囲気は変わっていき、30歳前後で、いまの加藤さんの作品に直結するいわゆる「人がた」が生まれてきます。何かきっかけがあったのですか。

加藤 精神的に大人になってきて、世の中と折り合いがつくようになっただけで、とくにきっかけがあったわけじゃありません。ただそのころ、ひとつ気づきはありました。自分はいつもすべてのことを、絵に置き換えて考えている。絵をちゃんと描いて生活できてさえいれば、すべての悩みは解消するはずだと自分でよくわかった。不良がボクシングと出合って更生するドラマなんかがよくあるじゃないですか、あれが僕にとっては絵を描くことだった。それでようやく、絵に打ち込もうと決心をしました。それからは、一枚描くごとに自分を更新していくつもりで、ひたすら描き続けていった。35歳あたりからはスランプも経験したんですけどね。絵をやっていると、たいていだれでも行き詰まるものです。あらゆることがさんざんやり尽くされているジャンルだから、すぐ進めなくなってしまう。まわりを見ていると、どうやらそれは僕だけじゃなくて、みんな35歳前後で壁にぶち当たるようです。そういうときは光もなく出口が見えないトンネルをずっと走ってる感じで、いまにもくじけそうになる。まあそれでもとにかく何とか続けていると、急にポンッと脱け出て、視界が開けました。以降はスランプらしいスランプはなくて済んでいますね。とにかく僕の場合、絵があって本当によかった。そうじゃなければエネルギーを持て余して、きっとよくない方向に進んでいました。絵を描いていられればいつも幸せだったし、自分は絵を描くことで幸福になってきたんだと思っています。

展示風景より
Photo by Yusuke Sato
Courtesy of Iwami Art Museum
©︎2025 Izumi Kato

石倉 たしかに展示を観ていても、40代から50代にかけての作品はもう迷いなく、ひたすら我が道を行きながら、どんどん展開し動いているのがわかります。

加藤 作品を展開していくことはいくらでもできます。昔から無意識に、展開する練習は積んできたみたいなので。サッカーをやる感覚にも近いものがあるんですけど、ずっとリフティングの練習していて、全然できなかったのにあるとき急に100回くらい余裕でできるようになったりする。そういうのが絵でも起こり得る。日頃から練習していないと、いざ作品を展開しようと思っても絶対にできない。それで停滞し、自己模倣だけして、平気で10年くらいつぶしてしまったりする。そうならないよう、自分なりの練習は怠らないようにしないといけない。

石倉 スランプのころから始めた彫刻作品も、絵画の展開のために大きな力になっているのではないでしょうか。最初は木彫ですが素材も多様化していき、ソフトビニールやプラモデルを使った立体作品まで登場することとなります。

加藤 素材も含め、いまは自由にやっていますね。若いころはノコギリとかトンカチとかいろんな道具をいっぱい集めて、ずらっと並べて満足するようなところがありました。それらの使い方はたいしてうまくないのに。キャリアを重ねてくると、いらない道具は手放して、本当に必要な道具だけを手にして、どこまでも作品を深く掘っていったりどんどん積み重ねたりしていけるようになる。自由を手に入れて好きにやっているから、作品をつくることに苦しさはなくて、いまはひたすら楽しいですよ。

左から、加藤泉、石倉敏明
展示風景より
Photo by Yusuke Sato
Courtesy of Iwami Art Museum
©︎2025 Izumi Kato

石倉 近年の作品では「人がた」が、動物や植物など人間以外の他者と出会い接続することで、おもしろいイメージを生んでいます。人間界を超えたところとつながっていくのは、自然豊かで神仏の伝承や妖怪話も多い島根という土地で生まれ育ったことと、関係があるのでしょうか。

加藤 あると思います。うちはとくに古い考えや言い伝えを大事にするほうで、家に蛇が出たら追い出したりなどせず、ちゃんとご案内したりしていました。自然のなかでいろんなものたちと共に生きているのが当たり前で、人間だけが偉いという発想はあまりなかった。そういう環境にいたことの影響は大きいはずです。

展示風景より
Photo by Yusuke Sato
Courtesy of Iwami Art Museum
©︎2025 Izumi Kato

バンド活動も重要な表現形態

石倉 第2会場の展示室「C」は、大空間にたくさんの作品が並ぶインスタレーションです。加藤さんの作品の中に、自分が入り込んでしまったかのような感覚に陥ります。布を素材にした作品を固定している石にも「人がた」の顔が描かれていたりと、細部まで見どころが詰まっていて、世界中で展示をこなしてきた経験値の高さを感じます。

展示風景より
Photo by Yusuke Sato
Courtesy of Iwami Art Museum
©︎2025 Izumi Kato

川西 インスタレーションをつくる際、事前に何を置くかは決めてありましたが、配置については現場で加藤さんから「これはここ」「あっちとこっちを入れ替えよう」と次々ご提案いただいてできていきました。ご自身の作品を絵具の代わりのようにして、まさに空間に絵を描いていくかのようでした。結果、出来上がったインスタレーションは、どこに立ってどの角度から眺めても見応えあるものに仕上がっていて感嘆しました。

加藤 絵の中にたくさんレイヤーがあるのと同じように、三次元の空間もどんどんレイヤーを重ねていくとおもしろくなります。実際の場所に立てば、迷うことなくどんどん決めて展示していくことはできます。モノを置けばいいだけだから、絵を描くよりむしろ簡単です。

石倉 加藤さんの彫刻は転がったり、立てかけられていることも多いのですが、ここでは自立しているものが登場します。ただし二本足ではなく、三本足になっています。

加藤 あれはバリのケチャダンスに想を得たものです。ダンスしているのだから、立ってくれないと困る。でも二本足だとバランスがとれなくて、じゃあ尻尾みたいなものを付けて立たせようかとなりました。

石倉 最後の展示室「A」では、加藤さんの異なる側面が見られます。企業とのコラボレーションなどによる様々なプロダクトが出てきたり、いまも続けておられるバンド活動の映像もあります。

展示風景より
Photo by Yusuke Sato
Courtesy of Iwami Art Museum
©︎2025 Izumi Kato

加藤 大学生のころからドラムをやっていて、大学時代の仲間と組んでいる「HAKAIDERS」と、アーティストバンド「THE TETORAPOTZ」のふたつで活動しています。8月には、美術館からも近い益田市街のライブハウスで「HAKAIDERS」、美術館内で「THE TETORAPOTZ」のライブをします。

川西 音楽は加藤さんの表現活動の重要な一面ですので、ふたつのバンドのライブを個展会期中に開催していただけるのはうれしいかぎりです。展覧会と併せて、ライブも現地で聴いていただければ、自信を持ってこの夏、「益田に来れば加藤泉のすべてがわかります!」と申し上げられます。

石倉 改めて今展全体を思い返すと、「人がた」というものの存在感が強く印象に残ります。見れば見るほど謎が深まると同時に、なんだか希望も湧いてきます。人間はこれからもっと進化できそうだとか、ほかの種とつながっていく可能性があるんじゃないかと思えてきます。加藤さんの作品もこれから10年、20年、30年と変化し続けていくのだろうと感じます。ご自身ではどうなっていくと考えておられますか。

加藤 どうなるんでしょう、僕にも全然わからないです(笑)。作品をつくりはじめて現時点で40年くらい経っていますけど、「40年休まずよくやった、ずいぶん遠くまできたな」というのと「40年やって、まだこんなものか」という気持ち、どちらもありますしね。これからもあれこれ変わっていくのでしょうけど、考えていることはいつも同じで、いい作品をつくりたいというただそれだけです。「人がた」を用いずにいいものができるなら、ためらいなく「人がた」を使うのをやめるでしょう。いまのところ「人がた」でつくるほうが、たくさんの情報を入れ込みやすいからそうしていますが、そのあたりも変化していくのかもしれない。いずれにせよ、新しいことにチャレンジするというよりは、続けていくことに重きを置いて、これからもやっていくのだろうとは思っています。

左から、川西由里、加藤泉、石倉敏明