2025.2.13

マティスに師事した画家。硲伊之助、東京初の回顧展がアーティゾン美術館で開催

東京・京橋のアーティゾン美術館で、硲伊之助の東京で初めてとなる回顧展が開催される。

硲伊之助 燈下 1941 キャンバスに油彩 硲伊之助美術館(加賀市美術館寄託)
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 東京・京橋のアーティゾン美術館で、硲伊之助(はざま・いのすけ、1895〜1977)の東京で初めてとなる回顧展が開催される。

 硲は1895年東京市生まれ。1912年、16歳のときに太平洋画会展やヒュウザン会展で画壇にデビューし、二科賞を二度受賞するなど活躍した。21年には渡欧しアンリ・マティスと出会い、教えを乞うている。また滞欧中も春陽会展へ滞欧作を出品。29年に帰国してからは春陽会や二科会で活動したほか、井伏鱒二『仕事部屋』(春陽堂)など書籍の装丁や新聞連載小説の挿絵を担当した。

硲伊之助 女の背 1917 キャンバスに油彩 個人蔵(加賀市美術館寄託)
硲伊之助 「新聞連載小説 丹羽文雄『恋文』(1)山の湯一」挿画 1953 紙にインク、墨 硲伊之助美術館

 33年には「日本現代版画とその源流展」開催のために再渡仏。36年に一水会を創立し、38年と40年の二度にわたり、従軍画家として中国へ渡っている。その後、41年には文化学院美術部長となるが、45年に東京大空襲によって本郷のアトリエを焼失。50年に東京藝術大学助教授となるとともに、同年、マティスに招請され渡欧し、日本で行われるマティス展、ピカソ展、ブラック展、ゴッホ展のために折衝を行った。帰国後は作陶を学ぶため、51年頃よりたびたび小松に滞在したという。58年に一水会陶芸部を創立し、61年には加賀市吸坂で窯の建設に着手。77年に81歳でこの世を去った。

硲伊之助 室内 1928 キャンバスに油彩 硲伊之助美術館

 制作活動のかたわら、クールベやゴッホなどの画集の編集や、『ゴッホの手紙』(岩波書店)の翻訳に携わるなど西洋美術の紹介にも尽力した硲。マティスに招請され渡欧し、日本で行われるマティス展、ピカソ展、ブラック展、ゴッホ展のために折衝するなど、実務家としての側面も持ち合わせていた。

 また硲は裕福な出自で、自身の研究のために作品収集したアートコレクターでもある。その一部であるマティス《コリウール》(1905)やルソー《イヴリー河岸》(1907頃)は、現在石橋財団に収蔵されるなど、アーティゾン美術館ともゆかりの深い作家のひとりだ。

 東京で初めての回顧展となる本展では、油彩画、版画、磁器などの作品と資料83点、硲と関わりのあるアーティゾン美術館の西洋絵画コレクション17点、あわせて100点を展示。画家だけでなく、コレクター、展覧会の立役者という硲の多様な側面を紹介するこれまでの回顧展とは一線を画す内容となる。 

硲伊之助 南仏田舎娘(『滞欧版画集』より) 1931頃 木版 東京都現代美術館 
「アンリ・マチス展」ポスター 1951 硲伊之助美術館
硲伊之助 九谷呉須上絵 夏樹立大皿 1973 磁器 硲伊之助美術館
硲伊之助 南仏風景(シミエの眺望) 1928 キャンバスに油彩 硲伊之助美術館(加賀市美術館寄託)
硲伊之助 栗 1940 キャンバスに油彩 硲伊之助美術館(加賀市美術 館寄託)
硲伊之助 鵠沼の思い出 1937 キャンバスに油彩 硲伊之助美術館 (加賀市美術館寄託)