2025.5.2

杉本博司が原作。杉本修羅能『巣鴨塚 ハルの便り』が喜多能楽堂で上演

今年春にリニューアルオープンした喜多能楽堂にて、現代美術作家・杉本博司の原作をもとにした杉本修羅能『巣鴨塚 ハルの便り』が上演される。

『巣鴨塚 ハルの便り』チラシ表面 © 小田原文化財団
前へ
次へ

 今年春にリニューアルオープンした喜多能楽堂にて、現代美術作家・杉本博司の原作をもとにした杉本修羅能『巣鴨塚 ハルの便り』が上演される。

 杉本博司は1948年東京生まれ。70年に渡米し、1974年よりニューヨーク在住。活動分野は写真、建築、造園、彫刻、執筆、古美術蒐集、舞台芸術、書、作陶、料理と多岐にわたる。2009年に公益財団法人小田原文化財団を設立。17年10月には構想から20年の歳月をかけ建設された文化施設「小田原文化財団 江之浦測候所」をオープンした。伝統芸能に対する造詣も深く、『杉本文楽 曾根崎心中』公演、パリ・オペラ座『At the Hawk’s Well(鷹の井戸)』公演など、国内外で舞台演出を手がけている。

杉本博司
撮影=森山雅智

 杉本は、東京裁判のA級戦犯であった板垣征四郎(陸軍大将)が収監中の巣鴨拘置所で刑死直前にしたためた漢詩を落手し、それをもとに修羅能作品を書き上げ、『新潮』(2013年1月号)で発表。その後、能公演の準備として<巣鴨塚プロジェクト>を開始し、具体的な試みの第一弾として『巣鴨塚(修羅能)』のテキスト朗読を実施した。

板垣征四郎 漢詩コピー
© 小田原文化財団

 続く第二弾として、2015年に朗読能『春の便り~能「巣鴨塚」より~』を巣鴨プリズン跡地近くの劇場「あうるすぽっと」で上演。そして、<巣鴨塚プロジェクト>の集大成として本格的な能形式に整えた公演を、敗戦80年にあたる今年8月15日に上演する。

今年、我が国は大東亜戦争の敗戦から80 年の節目の年を迎えました。敗戦を終戦と言い含めた有耶無耶な戦後を、そろそろ整理しておかなければならないのではないのかと私は思うのです。

敗戦時の昭和20 年に生まれた人は今年80 歳になります。あの戦争を生身で知る人はほとんどがあの世に召されました。そして私は思い出すのです、あの時もそうだったと。それは平家が壇ノ浦で滅亡した時のことです。あのいくさが人々の記憶から薄れ行こうとする時、それは平家滅亡から80 年ほど経った頃、どこからともなく、盲目の琵琶法師によって平家物語が語られるようになったのです。「平曲」と言われるこの物語は、のちに「能」となり、「浄瑠璃」になり、「歌舞伎」にも変調して、我が国における芸能の原点となったのです。

私は満州国建国の立役者であった板垣征四郎大将が、A 級戦犯として巣鴨拘置所に収監されていた時に詠んだ長文の漢詩のコピーを偶然に入手しました。そこには刑死を前にして、この大戦に至る経緯と心情が簡潔に述懐されています。国を思う心情、理想の国、満州国建国への熱情、私はこの話は「能」にしておかなければならないのだという使命を感じたのです。今、時代は右、左という思想的桎梏を超えた、さらなる混沌へと向かっているようです。あの、「先の大戦」は今、物語りとなって語られる時が来たように私は思うのです。

昭和の戦さの物語は、修羅能として中世の舞台に置き換えてあります。マッカーサー元帥は「松笠の中将」、東條英機は「東条の大臣(おとど)」、石原莞爾は「石原の少将」、板垣征四郎は「板垣征四郎常信」としています。副題の「ハルの便り」とは日米開戦のきっかけとなった「ハルノート」を暗示しています。

春の便りは魔の便りだったのです。(杉本博司 解説)
能面:「十寸髭男」(室町時代)
杉本博司所蔵