2025.6.16

第61回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館、初の共同キュレーター制へ。高橋瑞木と堀川理沙が就任

2026年5月から開催される「第61回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展」。日本館では初の共同キュレーターとして高橋瑞木と堀川理沙が選出された。

文=王崇橋(ウェブ版「美術手帖」編集部)

後列左から堀川理沙、高橋瑞木。前列中央は荒川ナッシュ医。イサム・ノグチ《オクテトラ》のあるこどもの国にて、横浜 写真=細川葉子
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 今年4月、「第61回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展」(2026年5月開催)において、日本館の出展作家が荒川ナッシュ医に決定した。6月14日には、その荒川ナッシュを迎え、日本館のキュレーターを発表する記者会見が東京都内で開催された。

 荒川ナッシュは福島県いわき市出身。1998年に渡米し、現在はロサンゼルスを拠点に活動するクィア・パフォーマンスアーティストである。ニューヨークでの21年の滞在を経て、2019年にロサンゼルスへ移り、近年ではテート・モダン(ロンドン)や国立新美術館(東京)で個展を開催している。

日本館初の「共同キュレーター制」を導入

 今回、日本館では約70年の歴史のなかで初めて「共同キュレーター制」を導入し、高橋瑞木と堀川理沙が共同キュレーターとして選ばれた。荒川ナッシュはコレクティブとしての活動経験が豊富であり、「作品制作においても、展示チームそのものがコレクティブな体制であるべき」との考えから、日本国外で活躍する2人のキュレーターを自ら指名したという。

高橋瑞木 写真=細川葉子

 高橋は現在、香港のCHAT香港紡織文化芸術館で館長兼チーフ・キュレーターを務めている。日本では森美術館の開館準備室(1999〜2003)や、水戸芸術館現代美術ギャラリー(2003〜2016)で長年にわたり展覧会企画に携わってきた。荒川ナッシュとは2011年、水戸芸術館でフェミニズムをテーマにした展覧会をともに実現した経緯がある。「日本館というナショナルな場において、アーティストとキュレーターのあいだに深い信頼関係があることは非常に重要」と語った。

堀川理沙 写真=細川葉子

 いっぽう、堀川はシンガポール国立美術館のシニア・キュレーター兼キュレトリアル&コレクション部門部長として、1930〜40年代を中心とするアジアの近代美術を専門としている。荒川ナッシュは「ヴェネチアという場はいまもなお近代とコロニアリズムに深く関係する場所であり、堀川さんは、アジアにおける日本の植民地主義や近代美術の成り立ちについて研究・実践されてきた方だ」と説明しつつ、次のように述べている。「現代美術の世界では、どうしてもインサイダーな構造になりがちな部分がある。そこに近代美術の視点を持つ方が加わることで、新しい動きや視点が生まれる可能性がある」。

「何者でもない存在」が浮かび上がらせる制度への問い

 2024年末、荒川ナッシュは代理出産と卵子提供を通じて双子の子供を授かった。今回の日本館展示では、自身の双子の子供と数多くの乳児人形を“出演者”とし、LGBTQやジャパニーズ・ディアスポラ(海外移民)に関わる課題を扱う大規模なインスタレーションを構想している。観客を巻き込んだパフォーマティブな体験を通じて、国家やアイデンティティといった制度そのものを再考させるような批評性を備えた作品を目指す。

 荒川ナッシュは「まだ会期まで10ヶ月以上あるので、現時点で内容を固定してしまうと、自分のなかで作品に対する新鮮さや関心が薄れてしまう」とし、詳細の言及は避けながらも、「主軸となるのは『何者でもない存在』としての子供たち」であると述べた。

 「僕の双子の子供たちは、まだアイデンティティを背負っていない“何者でもない”存在です。そうした存在を、国を背負うナショナル・パビリオンという場に登場させることで、LGBTQや移民としてのアイデンティティ、さらに国籍といった制度的な枠組み自体を問い直すことができると考えています」と語った。

 高橋は、「私たち3人は、それぞれ異なる立場や場所にいますが、『日本』という枠組みそのものを、もっと弾力的にとらえ直すことができるのではないかと日々話し合っている」と語った。

 堀川も、「日本やほかのアジア諸国のなかで、ヴェネチアのジャルディーニに常設のパビリオンを持っている国は限られている。そうした地政学的な枠組み自体に対しても、批評的な視点をもって臨みたい」と述べた。

展示形式から見える制度の変化と、ファンドレイジングを通して社会とのつながり

 また、今回の記者会見では、日本館の運営や制度設計のあり方についても荒川ナッシュが語った。例えば、ダムタイプ毛利悠子の出展以降、アーティストがキュレーターを指名する形式が続いていることに言及し、「この形式では、アーティスト自身のマネジメント力が問われるようになっており、展示制作のあり方そのものが変わってきている。そこに非常に興味を持っています」と語った。

 このような意識は、作品制作だけにとどまらず、展覧会運営やアーティストの「働き方」そのものにも関わっている。荒川ナッシュは、「アーティストがファンドレイジングを行う場合、それはたんなる資金調達行為ではなく、作品やプロジェクトの一部として位置づけられるべき」と述べる。実際、日本館の展示では、作品制作と並行してファンドレイジングの準備も進められており、今年の夏には支援を呼びかける広報活動もスタートする予定だという。

 こうした荒川ナッシュの考えに対し、高橋も自身の経験を交えて補足した。彼女が勤務する香港のミュージアムでは、展覧会を立ち上げるにあたりファンドレイジングが不可欠であり、その過程で「展覧会の社会的意義を伝える力」がキュレーターにも求められるようになったと語る。

 「日本にいた頃は、キュレーターの主な仕事はリサーチやコンセプトの構築であり、資金集めは別の領域だと考えていました。でも、海外で実務にあたるなかで、ファンドレイジングもキュラトリアルな仕事の一部として再定義できるのではないかと感じるようになりました。なぜこの展覧会を行うのか、なぜこの作家が重要なのか──それを丁寧に社会に語りかけることが、支援者を育てていくことにもつながるのです」。

 さらに高橋は、今回の取り組みが将来的に日本館で展示を行う若手作家たちにとっての「モデル」となる可能性についても触れた。「ファンドレイジングをリサーチやキュレーションと切り離して考えるのではなく、むしろオーディエンスや支援者を『育てる』『発掘する』といった視点でとらえることもできると感じています」と語った。

 荒川ナッシュは次のように話した。「パフォーマンスアートは、オーディエンスの存在がとても重要です。その意味では、ファンドレイジングという行為も、オーディエンスとの関係性を考えるきっかけになり得る。どういうオーディエンスに向けて作品を届けたいのかを、自分たちで認識していくプロセスの一部とも言えるのではないでしょうか」。

 荒川ナッシュ医の双子の子供たちと観客、そして国境を越えて集まったキュレーターとの協働によって、制度と身体、政治と感情が交差する“集団的創造”の場として構想されている、第61回ヴェネチア・ビエンナーレ日本館展示。2026年春、ヴェネチア・ジャルディーニにある展示空間でどのような体験が立ち上がるのか──その展開に大きな期待が寄せられている。

左から荒川ナッシュ医、堀川理沙、高橋瑞木 写真=細川葉子