2026.1.23

「ART SG 2026」開幕レポート。拡張と調整のあいだで形づくられるシンガポールの現在地

第4回目を迎えたART SGが、シンガポールのマリーナ・ベイ・サンズ内サンズ・エキスポ&コンベンション・センターで開催中。同フェアを軸に、シンガポールのアートシーンの現在地を読み解く。

文・撮影=王崇橋(ウェブ版「美術手帖」編集部)

ART SG 2026の会場風景
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 第4回目となるART SGが、シンガポールのマリーナ・ベイ・サンズ内サンズ・エキスポ&コンベンション・センターにて開幕した。

S.E.A. Focusと同時開催、調整期に入ったART SG

 今年は、これまでシンガポール美術館周辺の会場で開催されてきたアートフェア「S.E.A. Focus」が、初めてART SGと同一会場で実施された。S.E.A. Focusはシンガポール国家芸術評議会(National Arts Council、以下NAC)のコミッションによる企画で、今回はART SGとのコ・オーガナイズというかたちをとる。両フェアを合わせ、30以上の国と地域から100を超えるギャラリーが参加している。

S.E.A. Focus

 ART SGは2023年1月の初開催時、160を超えるギャラリーが集結し、ガゴシアン、ペース、デイヴィッド・ツヴィルナー、ホワイト・キューブ、セイディ・コールHQといった国際的なメガギャラリーやブルーチップが名を連ねたことで大きな注目を集めた。しかし第2回以降、出展ギャラリー数はおおむね100〜110軒前後で推移しており、初回に参加した多くのブルーチップ・ギャラリーはその後、継続出展していない。

S.E.A. Focusの会場風景

 今年の出展ギャラリーを見ると、大手ギャラリーはホワイト・キューブ、タデウス・ロパックなど少数にとどまる。日本からの参加も、シンガポールに拠点を構えるオオタファインアーツをはじめ、Kaikai Kiki Gallery、A Lighthouse called Kanata、YUKIKOMIZUTANIと、比較的限定的な顔ぶれとなった。

 いっぽう、シンガポール政府による文化芸術分野への支援は引き続き厚い。ART SGの開催期間にあわせ、NACは「シンガポール・アート・ウィーク」(1月22日〜31日)を実施し、市内各所で100を超える関連プログラムが展開される。また、同じくNACのコミッションのもと、シンガポール美術館が主催する「シンガポール・ビエンナーレ2025」も現在開催中で、会期は3月29日まで続く。

ART SG 2026の会場風景

 市場データを見ると、シンガポールの存在感は年々高まっている。「Art Basel & UBS Survey of Global Collecting 2025」によれば、シンガポールは現在、世界で5番目に大きな美術品・骨董品の輸入国となり、輸入額は前年比74パーセント増の約17億ドルに達した(日本は世界第6位で、同期間に約11億ドルへと倍増している)。

 しかしそのいっぽうで、ART SGについては「売上が伸び悩んでいる」との評価が業界内で語られてきた。これが、初回以降に参加を見送るギャラリーが増えた一因とも指摘されている。

ART SG 2026の会場風景

 そうした状況のなか、今年のART SG初日には、いくつかの具体的なセールス報告も聞かれた。タデウス・ロパックは、ラキブ・ショーによるアクリル、エナメル、グリッター、ラインストーンを用いた作品(47万5000ポンド)をはじめ、李康昭、ザディ・シャ、オリバー・ビアらの作品を複数点成約させた(価格帯はいずれも10万ドル以下)。

 ホワイト・キューブは、マイケル・アーミテージのブロンズ作品(28万ドル)、マルグリット・ユモーのミクストメディア作品(22万5000ポンド)、野又穫の絵画2点(各4万2000ドル〜4万5000ドル)などを販売。オオタファインアーツは3000ドル〜4万8000ドルの価格帯で構成された作品群のうち、初日に3〜4点が成約したという。

ART SG 2026の会場風景より、ホワイト・キューブのブース

 シンガポールおよび東京を拠点に活動するコレクター/キュレーターのウォーレン・ウィーは、現地市場の特性について次のように指摘する。「シンガポールでは、多くの人が不動産投資に重きを置いている。アートに関しては、理解を深めるための教育がまだ必要だと思う」。

 ウィーは今年のシンガポール・アート・ウィーク期間中、歴史的建造物であるティオン・バル空襲シェルターにて、ニューメディア/デジタル・アートに焦点を当てた展覧会も企画した。彼は、ART SGのようなフェアが果たす役割を肯定的に捉え、「こうしたフェアが継続されることで露出が増え、若い世代のコレクターが育っていく。アートを資産として捉える視点だけでなく、文化としての理解や評価も、時間をかけて高まっていくはずだ」と語った。

新イニシアティブ、パートナーシップが示すフェアの拡張

 こうした市場環境のなか、ART SGは今年、当地市場の可能性を広げるべく、複数の新たなイニシアティブとパートナーシップを打ち出した。

 そのひとつが、フェア初となる特設パヴィリオン「SOUTH ASIA INSIGHTS」である。インドおよび南アジアの現代美術に特化した本セクションは、TVSインド・南アジア現代美術イニシアティブの支援によって実現した。ART SGがこれまで主軸としてきた東南アジアの文脈に、南アジアを横断的に接続する新たな試みとして位置づけられる。

ART SG 2026パフォーマンス・アート部門の展示風景

 また、今年は新たにパフォーマンス・アート部門が設けられた点も注目される。絵画や彫刻といった従来のマーケット中心のフォーマットを超え、実験的で学際的な表現を積極的に取り込もうとする、ART SGの方向性が示された。

 会場外プログラムとしては、上海のロックバンド美術館と共同で「Wan Hai Hotel: Singapore Strait」を開催。市内のザ・ウェアハウス・ホテルを会期中の展示・イベント空間へと転換し、フェアと都市空間、さらには美術館プログラムを横断する取り組みが行われた。

「Wan Hai Hotel: Singapore Strait」の展示風景

 これらの動きについて、ART SG共同創設者のマグナス・レンフリューは次のように語る。「ART SGは、非常に広い地理的範囲から人々が集まるプラットフォームであり、結節点でもある。私たちは、様々な組織やコミュニティをその軌道に引き寄せ、彼らが行っている意義ある活動を可視化したいと考えている。それは同時に、ART SG自身がそれぞれのコミュニティにとって、より意味のある場所になっていくことでもある。フェアを“部分の総和以上の存在”にしていきたい」。

 レンフリューはまた、来場者の動きにも変化が見られると指摘する。例えばART SGを目的にシンガポールを訪れた後、昨年12月に開館したバンコクの新美術館Dib Bangkokをはじめ、東南アジア各地のアートシーンへ足を延ばす動きが目立ち始めているという。

 「シンガポールのアートシーンは、いま少しずつ独自のリズムを獲得しつつあるように感じる。ART SGは、シンガポール単体の市場形成にとどまらず、より広いインド太平洋地域を視野に入れたネットワーク型フェアとしての役割を模索している」。

ART SG 2026の会場風景

会場外に広がる動き

 ART SGの会場内外では、フェアを軸としながらも、それぞれ異なる文脈をもつ展覧会やプログラムが同時多発的に展開された。

 例えば、イェン・アンド・アラン・ロー財団によるプロジェクトスペース「キム・アソシエーション」では、ベルリンと中国・武夷を拠点に活動する作家、シュアン・リーの個展「Alliance」を開催。本展のために制作されたサイトスペシフィックな新作映像インスタレーションが発表され、フェアの賑わいとは異なる時間感覚のなかで、個人の身体や記憶、関係性をめぐる問いが静かに立ち上がった。

「Shuang Li: Alliance」展の展示風景

 また、創設から35年を迎える香港の老舗ギャラリー「クワイ・フォン・ヒン」は、初の海外拠点をシンガポールに開設。クロード・モネの代表的作品を軸に、ザオ・ウーキーやチュー・テーチュンといった近現代美術の作家を対話的に紹介する展示を行い、東アジア近現代美術の歴史的厚みをあらためて提示した。

ART SG 2026の会場風景より、クワイ・フォン・ヒンのブース

 マーケットの側面でも、ART SGを取り巻く動きは活発だ。1月25日にはサザビーズが、シンガポール・アート・ウィークにあわせてモダン&コンテンポラリー・アートのライブオークションを実施する。これに先立ち、1月21日から24日まで、ザ・エディション・ホテルにてハイライト作品の一般公開が行われている。

 サザビーズは2022年、15年ぶりにシンガポールで同カテゴリーのオークションを再開した。過去数年を振り返り、同社東南アジア統括マネージング・ディレクターのジャスミン・プラセティオは次のように語る。「この地域のコレクターには、自国・自地域のアーティストを支援したいという明確な情熱がある。それはいまも変わらないが、同時にここ数年で、国際的なアーティストへの関心や好奇心も確実に高まっている」。

 さらに彼女は、「アーティストの成功は、まず国内での評価と支持から始まる」と前置きしたうえで、「今日のシンガポールは、これまで以上に多様な声と人口構成を抱えており、その多様性こそが、今後の文化的交流のあり方をかたちづくっていく」と指摘する。

ART SG 2026の会場風景

 シンガポールのアートエコシステムを語るうえで欠かせない存在が、版画と紙を軸に国際的な活動を続けてきたSTPIである。同ギャラリーは今年、初の試みとして「Symposium 2026: The Politics of Print」(1月23〜24日)を開催。国際的なギャラリー、アーティスト、キュレーター、研究者らと協働し、グループ展とトークを組み合わせたプログラムを通じて、現代美術における版画表現の現在地を多角的に検証した。

 STPIのエグゼクティブ・ディレクターであるエミ・ユー(Emi Eu)は、シンガポールのアートシーンについて次のように語る。「アートの発展は一夜にして起こるものではないし、あまりにも速く進めば、同じ速さで失われてしまう。大切なのは、時間をかけて、正しく、堅固な基盤を築いていくこと。私たちには、そのための時間がある」。

 さらに彼女は、「文化や遺産を保存し、アートを発展させていくためには、誰かひとりではなく、関わるすべての人が役割を果たし、継続的にともに築いていく必要がある。協働と開放性、そしてコミュニティづくりが鍵だ」と続けた。

ART SG 2026の会場風景

 ART SGを中心に展開されたこれらの動きは、シンガポールのアートシーンの成熟過程を映し出している。フェア、オークション、ギャラリー、非営利機関がそれぞれ異なる時間軸と役割を担いながら重なり合うことで、この都市は、ゆっくりとではあるが、確実に独自のリズムを獲得しつつある。