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2024.10.10

「発酵文化芸術祭 金沢―みえないものを感じる旅へ―」レポート。「発酵」をテーマにしたアートで金沢を感じる

日本の食文化を代表する「発酵」に注目し、アートを通じて五感でまちを感じる「発酵文化芸術祭 金沢―みえないものを感じる旅へ―」が金沢21世紀美術館と「発酵ツーリズム金沢実行委員会」の協働で開催中。目には見えない発酵という現象をアーティストたちがどのように表現しているのだろうか?

文=坂本裕子

大手町洋館の展示風景より、遠藤薫《三六〇、六〇、九〇、を(内科室にて)》
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発酵文化芸術祭とは

 糀に糠、味噌󠄀に醤油や酢など、日本の深い「うまみ」を構成する発酵食品。金沢にもカブにブリを挟み、糀(こうじ)で漬け込んだ「かぶらずし」やフグの卵巣を糠(ぬか)に漬け込んで解毒した「ふぐのこ」をはじめ、独自の発酵文化が根付き、土地には数百年の歴史を持つ醸造蔵がいまも伝統を受け継いで生産を続けている。そこには技術だけではなく、水や風、自然の産物に恵まれた金沢の土地とそこに生きる人びとの経験や記憶も堆積しているのだ。

 人の手と微生物の活動により熟成する「発酵」のあり方、そこから生み出される深い風味や生活の彩り、その歴史に注目し、まちに残る醸造蔵を舞台に「発酵」をテーマにしたアート作品を提示、新しいまち歩きの体験を通じて石川の文化を感じる芸術祭「発酵文化芸術祭 金沢―みえないものを感じる旅へ―」が開催されている。

  「まちに活き、市民とつくる、参画交流型の美術館」を特徴のひとつとして掲げ、市民や産業界との連携から様々な地域型の美術活動を展開してきた金沢21世紀美術館が、開館20周年の企画として、発酵の専門家やこの地の醸造家、観光・町づくりにかかわる企業で構成される「発酵ツーリズム金沢実行委員会」と協働する芸術祭だ。

 総合プロデューサーは、発酵デザイナーとして「見えない発酵菌の働きを、デザインを通して見えるようにする」ことをめざす小倉ヒラク。共同キュレーターに、大学で「発酵メディア研究」グループを主宰し、発酵の概念からテクノロジーや人間と自然の関係性を追求しているドミニク・チェンを迎える。

 「発酵ツーリズムプロジェクト」は、小倉が全国の醸造家や研究者たちを訪ね、それぞれの土地が持つユニークな食、歴史、文化、風土そして暮らしに、発酵の視点から日本の価値を再発見するために立ち上げた。その想いに応じた5エリアの醸造蔵や店舗、建物がインスタレーション会場となる。

金沢21世紀美術館プロジェクト工房の会場入り口

 まずは、金沢21世紀美術館の別館・プロジェクト工房でチェックイン。ダブル表紙のガイドブックがもらえるので、右開きからは展示作品を、左開きからはまち歩きのポイントをチェックしよう。

 「能登半島とも密接にかかわる金沢の食文化は、華やかな面と、民間に受け継がれてきた保存食などの地味だけれど味わい深い面とが織物のように紡がれていると言える。その光と影両方の要素を提示したかった」と語る小倉は、黄色い円や玉のモチーフに発酵菌や「光」を、地のグレーに「影」を象徴する。

 ここでは、加賀能登で生まれた多様な発酵食品の製造者のプロフィールが紹介される。それぞれの成り立ちや北前船などの地形・歴史的背景とともに、においを嗅げるものもあるので、各エリア、気になる発酵食品はマップとともに確認したい。

金沢21世紀美術館プロジェクト工房の展示風景

 中央の輪島塗の椀と膳の展示も注目。これらは今年1月に能登を襲った震災で被害にあった家々から集められ、修復されつつ再利用を待つ什器たちなのだ。加賀を代表する伝統工芸の漆塗もまた、発酵のひとつのかたち。食品にとどまらない発酵の広がりと再生への祈りが感じられるスタートだ。

金沢21世紀美術館プロジェクト工房の展示風景より、能登地震で罹災した輪島塗の椀膳たち

東山-大手町エリア:大手町洋館・髙木糀商店

 太平洋戦争の戦火を免れた金沢には歴史的建造物がいまも生きている。大正から昭和時代に金沢大学の医学博士だった人物が1933年に建てた洋館もそのひとつ。ドイツ風のデザインに、日本の伝統的な木造や工芸の技法を駆使し、贅を尽くした建築は、当時の姿をとどめている。地元の人も入る機会がないという貴重な空間には、その地に根差した文物を活用して作品を生み出す遠藤薫が、藍染や陶器など食以外の発酵をモチーフに「壊す、枯れる、そして循環する」を表現する。

大手町洋館外観

 長年の雨漏りに加え、先の震災で天井の漆喰が崩落した応接間には、彼女が滞在中に訪れた珠洲市で集めた焼き損じのため壊された陶片が、屋敷の破片と並置される。それは、発酵した土の粘度を活用し焼かれた器が土に戻らないという事実とも呼応しながら、壊す/壊れるの関係性を問う。金沢で集めた古布は、土中に埋めて朽ちかけたものを掘り返して微生物の働きを示し、あるいは同地の糀専門店・髙木糀商店の甘酒を使用して藍染にして発酵の力をみせる。静かで緻密ながらさりげない空間は、多層の意味や象徴を帯びて、時の流れを濃密にたたえた空間に響き合っている。

大手町洋館の展示風景より、遠藤薫《三六〇、六〇、九〇、を(内科室にて)》
大手町洋館の展示風景より、遠藤薫《三六〇、六〇、九〇、を(内科室にて)》
大手町洋館の展示風景より、遠藤薫《三六〇、六〇、九〇、を(内科室にて)》

野町-弥生エリア:四十萬谷本舗、元印刷所、中初商店

 石川名物「かぶらずし」の代表的な蔵・四十萬谷本舗(しじまやほんぽ)をはじめ、道にも酢の香りが漂い、昔からの店の構造を保つ醤油蔵などが並ぶエリアはまさに「発酵ストリート」。ここでは、パリ在住の作家・翻訳家である関口涼子が、「記憶」と「言葉」をつなぐ体験型のインスタレーションを提供する。

四十萬谷本舗外観

 まず四十萬谷本舗で、金沢に関わる様々な人の「匂いの記憶」を映像で体感。そこからかつて印刷所兼住居だった空き家へ。内部の小部屋で、近隣の今川酢造の酢の匂いと3分間向き合い、喚起された記憶から言葉を紡ぐ。「天祐醤油」の蔵・中初商店では、焦がし麦やもろみ、醤油のかおりや味を体験したのち、店内の戦時中に作られた防空壕に下り、置かれた引き出しから発酵にまつわる言葉を持ち帰る。匂いから喚起される記憶、それを文字にする試み、そして持ち帰る言葉。「みる」よりも、他の器官を使った作品へのアプローチは、ひるがえって強い記憶として刻まれることだろう。

四十萬谷本舗の展示風景より
元印刷所の展示風景より、関口涼子《発酵する言葉》
撮影=池田紀幸
中初商店の地下防空壕。任意の引き出しから発酵にまつわる言葉を持ち帰ることができる

石引エリア:じょーの箱、福光屋

 金沢城の石垣に使用する石を運んだといわれる直線の道が印象的な石引には、通りに沿って老舗酒蔵・福光屋がある。開発が進むこのエリアで移転せずに醸造を続けるのは、日本三大霊山のひとつ白山の麓に積もった雨雪が、井戸水となってたどり着く場所だから。100年かけて貝殻層などにろ過され、仕込み水として使われるこの井戸水は、蔵のそばで試飲させてもらえる。「加賀鳶」「福正宗」などの日本酒を生み出す、柔らかいのに豊富なミネラルを含む「恵みの百年水」はぜひ味わってほしい。

恵みの百年水は福光屋の蔵のそばにある。提供時間が決まっているので注意

 1972年創業のカレー屋が運営する古い町屋を改装した多目的スペース「じょーの箱」では、ミュージシャンで映像ディレクターのVIDEOTAPEMUSICが、酒蔵の日本酒造りの際に職人たちに歌われてきた労働歌「酛(もと)かき歌」をテーマに映像と音で魅せる。

 金沢でも1フレーズを覚えている人がかろうじて見つかったくらいに消えつつある労働歌は、ストップウォッチのなかった時代に、時間やかき混ぜる回数などを図るために作業に合わせて歌われたものだ。人間とは異なる時間軸で進む発酵は、夜通しの作業でもあり、歌詞には「眠たい、眠たい」と歌うものもあるという。こうした歌を収集し、地域ごとの特徴とともに、蔵によって混ざっていることも見いだした彼は、ひとつの歌に編集し、シンガーソングライターの浮(ブイ)に歌ってもらう。金沢滞在中、深夜のまちを徘徊し撮りためた映像とともに流されるそれは、本来はたくましく、時に卑猥な男の歌が、女性シンガーの声に変わることで、かつて家内で、父や夫、兄たちの歌声として聞いたであろう女性たちの記憶につながり、子守唄のようにも感じられる。VIDEOTAPEMUSICが重ねた時間と経験も合わさって、豊かな視聴体験となるだろう。

じょーの箱の展示風景より、VIDEOTAPEMUSIC 《While I was asleep》。
撮影=池田紀幸

白山市 鶴来エリア:北陸鉄道石川線と廃線区間、「萬歳楽」本店、横町うらら館

 金沢中心区から、電車・車で30分ほどの白山市鶴来は、白山比哶(ひめ)神社の門前町として栄え、多様な醸造業が盛んだった発酵のまちだ。金沢-鶴来間を結ぶ北陸鉄道石川線と、現在廃線となった区画では、with Rhythmsと深田拓哉が作品を掲示する。

旧加賀一の宮駅駅舎

 with Rhythmsは、沿線と廃線区画を舞台に、「故郷」「景色」「不在」といった言葉をめぐるインタビューと車内の音が交錯するサウンドインスタレーションと、それらをもとにした美しいスコアドローイングを始発駅と廃線の旧駅舎に展開する。

旧加賀一の宮駅駅舎内では時間制でサウンドインスタレーションが楽しめる
北陸鉄道石川線野田駅の展示風景より、with Rhythms《score #01》
撮影=上田陽子

 深田は、始発駅の2番ホーム(立入不可)と廃線跡に作品を展示。皮肉とユーモアたっぷりのインスタレーションは、発酵のまち・白山が時代のなかで失ったものを可視化する。

北陸鉄道石川線野田駅2番ホームより、深田拓哉の作品の展示風景
撮影=上田陽子
鶴来線廃線跡での深田拓哉《ここはぼくたちのもの(そしてそうじゃない)》。鉄骨と看板が作品

 およそ240年前から酒造りをしているという「萬歳楽」では、石川県を拠点に、「漆」を用いて絵画制作を続ける沖田愛有美の作品がみられる。漆を「自然と人間を媒介する共同制作者」ととらえる彼女の艶やかな漆の絵画のうち1点は、触って微妙な起伏を体感できる。掻き取り、発酵、精製を経た漆という素材は、酵素の働きによって会期中も緩やかに変化し続けているので、できるなら時間をおいて再訪してみたい。

萬歳楽本店外観
萬歳楽本店の展示風景より、沖田愛有美の作品
萬歳楽本店の展示風景より、沖田愛有美《まだ暖かい牛糞を枕に眠る》

 約190年前の商家を無料休憩所として利用している横町うらら館では、「鶴来現代美術祭」のアーカイヴを確認しよう。各地の芸術祭に先駆けて1991〜99年に7回にわたって現代美術の芸術祭が開催されていた。世界的に知られたキュレーター ヤン・フートの貴重なインタビュー映像や資料、今回再発見された作品のいくつかが見られる。なかなかアヴァンギャルドな作品たちは、当時の息吹を感じさせてくれる。

横町うらら館の展示風景より、鶴来現代美術祭アーカイヴ
横町うらら館の展示風景より、鶴来現代美術祭アーカイヴ展示。当時出品された3作品がみられる
横町うらら館の展示風景より、鶴来現代美術祭アーカイヴ展示。作者、タイトル不詳の作品。今後の調査が期待される

大野エリア:ヤマト醤油味噌󠄀、直源醤油、紺市醤油

 白山山麓からの湧き水、海沿いの湿潤な気候、北前船の交易港という地の利と、醤油づくりの条件がそろった大野地区には、かつて60件以上の醤油醸造業者があり、五大産地ともいわれたエリア。現在でも10数件の醤油蔵が軒を連ね、いまではあまり見られなくなった煙突があちこちにあり、隆盛した「醤油町」の面影を伝える。

 100数年の歴史を持ち、木桶を使用した伝統製法を守りながら、世界にも発酵食品を輸出しているヤマト味噌󠄀醤油では、ドミニク・チェンらのFERMENT MEDIA RESEARCHが、糀蔵に設置された巨大な木桶を「Misobot」にした。ノックすると“味噌󠄀の妖怪”が目を覚まし、味噌󠄀の状態や大野港の歴史など、質問に答えてくれる。蔵内のあちこちに隠れているのは、蔵に存在する菌たちを体現したソフト・ロボットたち。「麹菌」「酵母菌」「乳酸菌」それぞれ醸造の状態を察知して膨らんだりしぼんだりするのがかわいい。

ヤマト醤油味噌󠄀(ヤマト・糀パーク)
ヤマト醤油味噌󠄀糀蔵の展示風景より、FERMENT MEDIA RESEARCH《糀バース》と味噌󠄀の妖怪「Misobot」。木桶や柱にへばりついているのが蔵付きの酵母を表したソフト・ロボット
麹菌を表したソフト・ロボット

 400年前に醤油の醸造技術を紀州から持ち帰ったといわれる創始者の流れをくむ老舗「直源」では、工芸の伝統に現代の技術を取り入れながら新たなプロダクトを提供する工房seccaが、参加型の作品で発酵のプロセスをデザインに置き換える。参加者は、粘土の塊を道具や手を使って自分がよいと思う形に変形できる。その過程も展示され、定期的に粘土を回収し、その時々の形状を3Dスキャン、3Dプリントして会場の棚に展示されていく。複数の手により、制御のない手法で現れる形は、発酵なのか、腐敗に転ぶのか。参加することでその問いが投げかけられる。

直源醤油の展示風景より、secca 《発酵するカタチ》

 明治25年(1892)創業の紺市醤油では、音、泡、放射線、虹、微生物、苔など、物質や現象を「芸術」に読み替えることを試みている三原聡一郎が、蔵の空気をかき混ぜて、その空間の空気を、ひいては見えない微生物を意識させる。製材後にしなりを持つヒバの木3本がゆっくりと回る装置のそばで、樽の醤油の滴が落ちる音を聞きながら、香ばしい醤油の香りに包まれていると時を忘れそう。しなり具合とともに蔵の微生物が付着して変化するヒバも再訪して確認したいところだ。

紺市醤油の展示風景より、三原聡一郎 《it’s in the air(microbiome)》
撮影=池田紀幸

 今回アーティストたちは、自身の足でまちを巡り、人々と対話するなかで会場を定め、作品を創造していったという。それは見えない微生物が作用して、奥深い味を出していく発酵の作用になぞらえられよう。そして巡るわたしたちの旅も、作品に触れ、発酵の存在を感じ、息遣いを聞き、考える契機を得る。これもひとつの発酵作用といえるはずだ。

 すべてを廻るならば、2泊3日はほしいところだが、本芸術祭は、一度チェックインすれば会期中何度でも訪れることができるので、金沢の食とともに作品の変化を楽しみに、日を置いて通うのもよいかもしれない。

 なお、大野エリアではぜひ宝生寿しへ。おまかせメニューでは、その日港で揚がった新鮮な魚で握ってくれるはず。各蔵でもいろいろ購入したくなること必至。店頭での買い物もよいが、重たい製品も多い。チェックイン会場にもショップがあるので帰りがけにこちらで求めるのもよいだろう。

宝生寿し外観
金沢21世紀美術館プロジェクト工房のショップ。こちらは無料で利用できる