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2025.3.9

特別展「星の瞬間 アーティストとミュージアムが読み直す、Hokkaido」(北海道立近代美術館)会場レポート。北海道美術の重層を示す

札幌の北海道立近代美術館で、同館コレクションを現代美術家と同館の学芸員が読み直す特別展「星の瞬間 アーティストとミュージアムが読み直す、Hokkaido」が開催されている。会期は3月16日まで。会場の様子をレポートする。

文・撮影=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長)

展示風景より、両端が花田和治《水辺にて》(2004-05)と《手稲山》(1988)、中央が高橋喜代史《わたし山》(2024)
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 札幌の北海道立近代美術館で、同館コレクションを現代美術家と同館の学芸員が読み直す特別展「星の瞬間 アーティストとミュージアムが読み直す、Hokkaido」が開催されている。会期は3月16日まで。

展示風景より

 1977年に開館した北海道立近代美術館は、現在約6000点の作品を収蔵している。なかでも「北海道の美術」は3100点に及んでおり、同館コレクションの中核を成す。本展はこの「北海道の美術」についてのコレクションを、アーティストと同館学芸員がそれぞれの関心からピックアップし、前者は作品とともに、後者は調査結果とともに展示するものだ。

北海道立近代美術館

 参加する現代美術家は、札幌を拠点にするCAI現代芸術研究所/CAI03が選定した。同研究所は00年に札幌・円山に北海道初の現代美術の研究所として誕生し、以来、現代社会が求める創造的なライフスタイルを現代美術の面から実践してきた、北海道の現代美術を語るうえでは欠かせない存在だ。それでは、実際の会場の様子をピックアップして紹介したい。

展示風景より、鈴木涼子の作品群

 1978年札幌市生まれのアーティスト・武田浩志は、蛍光色を用いた色層と透明なメディウムを繰り返し重ね、そこに印刷物やラメなどを混ぜ合わせた平面作品を制作してきた。今回展示されているのは、「portrait」シリーズの最新作《portrait 292》(2025)で、額装された絵画とモニターを対でみせることで絡み合った絵画のイメージを表現した。

 武田が選んだ同館のコレクションは、自身が大きな影響を受けたという佐々木徹(1949〜2007)の作品だ。武田の作品の両翼のように佐々木の平面作品が展示されており、グループ展もともにしたことがあるというふたりの作品が再び出会った。

展示風景より、両端が佐々木徹《無題#4》、《無題#5》(ともに1990)、中央が武田浩志《portrait 292》(2025)

 同館主任学芸員の土岐美由紀は日本画家・筆谷等観(1875〜1950)を、下村観山や横山大観とともに紹介している。小樽に生まれた等観は、上京して東京美術学校で大観に学び、大観・観山が組織した日本美術院に参加。中央画壇で頭角を現した。当時の小樽が北海道における港湾都市として隆盛していた背景や、北海道出身で中央画壇で活躍する第一世代としての来歴を知ることができる。

展示風景より、左端が筆谷等観《春寒賜浴》(1924)

 日本画家・片岡球子は地元・札幌市の出身とあって、同館の重要なコレクションの一角を占める。同館学芸員の星野靖隆は、本展で片岡の肖像画シリーズ「面構」を分析した。

展示風景より、右が片岡球子《面構 浮世絵師歌川国芳と浮世絵研究家鈴木重三先生》(1988)

 片岡の「面構」は、歴史人物の広く知られた肖像をモチーフとしている。例えば、23年に同館に寄贈された《面構 一休さま》は、広く知られた東京国立博物館収蔵の《一休和尚像》によって広く知られた一休の肖像を参照していることがわかる。しかし、このように知られた肖像を引用する手法は近代日本画において一般的ではなかったという。星野は片岡の師である安田靫彦の《黄瀬川陣》(1940-41)に着目し、片岡を含むその弟子筋によって古典的肖像の引用が戦後にかけて用いられるようになったことを指摘。肖像となった人物の人となりをいかに絵画に表現するかについての、日本画における志向の変遷を解説した。

 1963年に札幌に生まれた伊藤隆介は美術家であり実験映画作家だ。伊藤は同館収蔵の「箱館焼」に着目してインスタレーションを制作している。箱館焼は江戸時代末期、美濃焼の陶工を函館に招聘してつくられた陶磁器だ。当時の北海道の風景や先住民の生活などが図案として採用された。その後、定着はしなかったものの、北海道の歴史の断片のひとつであることは間違いない。

展示風景より、伊藤隆介《風景考》(2024)

 伊藤は当時の樺太の風景を図案にした《染付湯呑茶碗・唐太之内ヲチョボロ》(1860)を、インスタレーションの中心に据えた。湯呑に描かれた、制作者たちが実際に見たかも定かではない樺太の光景が、マクロレンズによって捉えられ、周囲の壁面に投射されて回転する。加えて、その他小さなモニターやタヌキの剥製などが、近代の幻影が生み出し方のような風景をつくり出した。

展示風景より、伊藤隆介《風景考》(2024)

 同館の企画推進課長である門間仁史は、70年代から00年代にかけて札幌で活躍した知られざる画家、木路毛五郎(きじ・けごろう)を取り上げている。樺太生まれで、北斗や釧路で育ったのち上京。武蔵野美術大学西洋画科に進み、東京を拠点に活動する。ニューヨークでの活動を経て71年以降、札幌で活動をすることになる。

 木路は71年の札幌時計台ギャラリーの機関誌『21ACT』の創刊に携わり、77年より北海道美術館協力会の創設・運営にも関わった。また、79年の札幌市民ギャラリー建設期成会の設立参加など、北海道の美術史においては重要な役割を果たしている。画家としても北海道を拠点とする気鋭の画家として評価されたほか、94年以降描き続けた「白い妖精」シリーズで00年の第5回小磯良平大賞展に入選、翌年の第6回展では佳作を受賞している。本展では、これまで光を当てられていたとは言い難い木路の活動を振り返るため、《疎外された人間 その1》(1970)などを展示している。

展示風景より、左から木路毛五郎《疎外された人間 その1》、《虚と実》(ともに1970)

 また木路は、吉村益信の発案をもとに設立された「アーティスト・ユニオン」の札幌地区事務局の代表でもあった。全国で地方展を展開してきた同ユニオンは、76年に「北海道シンポジウム」を旭川で開催。道内外の作家が集まり、展示やシンポジウムを行ったという。この開催に尽力した、旭川における現代美術の第一人者・一ノ戸ヨシノリの《国旗》(1970)なども展示されており、北海道の現代美術史を知る一端となっている。

展示風景より、一ノ戸ヨシノリ《国旗》(1970)

 阿寒湖温泉の民芸品店「熊の家藤戸」を営みながら、活動するプロダクトデザイナー/アーティストの藤戸康平の《Singing of the Needle》は、アイヌの渦巻文様である「モレウ」の形の鉄板120枚を円柱状に組み上げ、中央にアイヌ文様のペイントを施された鹿の頭骨を置いた作品だ。米国への巡回も行った本作を展示するとともに、同館学芸員の村山美波は藤戸の作家としての哲学を分析しながら紹介している。

展示風景より、藤戸康平《Singing of the Needle》(2021)

 その隣には端聡の、鉄の風化をテーマに自動車のボディを素材とした作品《アースに還る》(2024)を展示。自然の成り行きに任せて屋外で変化していく砂澤ビッキの《風》(1988)に影響を受けたという本作。両作品を並べることで、作品にとって時間とはなにかを考えることができる。

展示風景より、左から砂澤ビッキ《風》(1988)、端聡《アースに還る》(2024)

 僧侶であり美術家の風間天心は、信仰と美術の関係について考え続けている作家だ。本展で風間は実際に家庭で使われていた、焚き上げ前の仏壇を展示。「表現と信仰の和」のひとつの表出として解釈した。

展示風景より、風間天心による仏壇の展示

 最後に紹介したいのは、言葉の多面性を立体や映像で考察し続けている高橋喜代史の《わたし山》(2024)だ。高橋は北海道を拠点に独自の抽象表現を確立した作家・花田和治(1946〜2017)を取り上げた。花田の《手稲山》と《水辺にて》の「シンプルで力強い構図と配色」に惹かれたという高橋。この言語化できなに魅力に、言語でなんとか近づこうとする試みが、観客が思い思いに過ごせる空間として結実している。

展示風景より、両端が花田和治《水辺にて》(2004-05)と《手稲山》(1988)、中央が高橋喜代史《わたし山》(2024)

 本稿で紹介した以外にも、様々な学芸員とアーティストが北海道の美術を改めて見直す展示を行っている。現代美術とコレクション、アーティストと学芸員と、それぞれの視座が混ざり合い、一見するとまとまりに欠ける展覧会と評する向きもあるかもしれない。しかしそれは、北海道の美術にこれほどの多様な観点が存在し、それらを探求し広げていくことができる可能性の証左とも言えるだろう。本展の成果から、同館の研究者と北海道ゆかりのアーティストたちがさらなる展開をどのように見せてくれるのか。来場者の期待が高まる展覧会だ。