2025.4.6

岡山の新現代美術館「ラビットホール」が開館。目指すは20年かけて「壊す」建築

公益財団法人石川文化振興財団(理事長:石川康晴)が、岡山市中心部に同財団初の現代美術館「ラビットホール」を新たに開館させた。

文・撮影=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長)

展示風景より、フィリップ・パレーノ《My Room Is Another Fish Bowl》(2018)
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壮大な構想

 日本有数のアートコレクターである⽯川康晴が理事長を務める公益財団法⼈⽯川⽂化振興財団。同財団が初となる現代美術館「ラビットホール」を岡⼭市中⼼部に開館させた。

ラビットホール

 同財団は岡山市らが2016年以来、岡山市中心部の岡山城・岡山後楽園周辺エリアで3年に一度開催する芸術祭「岡山芸術交流」では同財団が実行委員会のメンバーとなり、現代アートの普及に努めてきた。今年はフィリップ・パレーノをアーティスティック・ディレクターに迎えた「岡山芸術交流2025」(会期2025年9月26日~11月24日、52日間)が開催となる。

 この財団が新たに設立するのが、このラビットホールだ。同館は、コンセプチュアル・アートを核とした石川のコレクション「イシカワコレクション」(総数約400点)を⼀般公開するとともに、子供たちに向けたラーニングプログラムやリサーチ(研究)などの活動を展開する。

 施設のネーミングはアーティストのライアン・ガンダーによるもの。ラビットホールとは、日常とは違う世界に突然入ってしまう場所=「不思議の国のアリス」のウサギの穴を指す。またミュージアムでもギャラリーでもない、「第3の場所」であることも意味している。

 館のディレクションを担うのは、黒澤浩美(キュレーター)、青木淳(建築家)、那須太郎(ギャラリスト)、そして石川の4名からなる「ディレクター・コレクティブ」。

左から、⽯川康晴、黒澤浩美、青木淳、那須太郎

 2011年から個人で作品収集を行ってきた石川だが、美術館設立はその当初から構想してきたという。その結実であるこのラビットホールだが、ここはあくまでスタートであり、今後20年をかけて市内に18の別館をつくっていく壮大構想も明らかにした。

 その背景としてあるのが、アート観光の目的地として世界的に注目を集める瀬戸内エリアだ。世界中のアートファンが直島を含む瀬戸内エリアに注目するなか、石川は岡山を瀬戸内の入口として位置づけ、「瀬戸内カルチャーリージョンを世界に発信していきたい」と意気込む。

エントランス部分ではグッズの販売も

青木淳が目指す「動き続ける」建築

 同館の建築は、もともと岡⼭で絵画や⼯芸品を蒐集した林原家がゲストハウスとして1990年代に建てたルネサンスビル(2015年から23年まで⼭陽放送の岡⼭映像ライブラリーセンターとして運営されていた)をコンバージョン。その改修は、ディレクターのひとりである青木が手がけた。建物は3階建てで、全フロアが展示スペースだ。

1階の展示風景

 展示空間として使用するには過剰だった、もともとの建物の内部をすべて取り払い、空の状態をつくりあげた青木。そうすることで隣接する林原美術館の石垣が見えるようになり、環境との連続性も生まれた。

 展示用の壁もない状態となった空間。青木は「これを初期状態として、空間と作品の応答がずっと続いていくような場所、動き続けている状態をキープしたい」と語る。

 また石川が明した今後の計画と同期するように、この建物自体は「20年かけて次第に壊していき、最終的には建物すべてがなくなる」という構想となっている。

何が見られる?

 開館記念展は、黒澤がキュレーションする「イシカワコレクション展:Hyperreal Echoes」。3年間の長期展示となっており、次回の岡山芸術交流に来る人々が、新たな展示を見られるサイクルを狙う。

 黒澤は本展について、「私たちを囲む環境は大きく変化しており、現実と虚構が融解した時代だ。そうした時代背景をタイトルに込めた。作品との共鳴を感じ、各自が持ち帰っていただきたい」と語る。20作家による35作品が3フロアで展開される本展の主要な作品を見ていこう。

エントランスホールに展示された島袋道浩《How do you accept something you
don't understand?》(2006/2008)

 1階では、ベトナム戦争時にボートピープルとなった出自を持つヤン・ヴォーをはじめ、リアム・ギリック、フィリップ・パレーノ、マーティン・クリードらの作品を見ることができる。

 エントランス部分に設置されたフィリップ・パレーノの《Marquee》(2014)は劇場や映画館の入口に見られる庇(ひさし)に着想を得たもので、これまで50以上のシリーズが制作されてきた。本来あるべき文字情報は空白になっており、複雑にプログラミングされた電球やネオン管が生き物のように明滅を繰り返す。旧式の照明器具と最新のコンピューター技術を融合させ、建築や時間の記憶を呼び起こす本作は、歴史を刻んできた建築のエントランスにこれ以上ないほどふさわしいと言える。

エントランスにあるフィリップ・パレーノ《Marquee》(2014)

 カラフルな風船で空間を埋め尽くすマーティン・クリードの《Work No. 1350: Half the air in a given space》(2012)は、与えられた空間の半分の空気を直径16インチ(40.6cm)の⾵船に詰め、空気という⽬に⾒えない存在を可視化するもの。鑑賞者は空間の中に入ることで空間認識が揺さぶられることだろう。

展示風景より、マーティン・クリード《Work No. 1350: Half the air in a given space》(2012)

 ヤン・ヴォーの《We The People (detail) Element #D3》(2011)は、アメリカ合衆国憲法前文の冒頭部分をタイトルにした彫刻のシリーズ作品。本作は、ヴォーは「自由の女神」の等身大模型をつくり、それを解体し、散逸させた一部。アメリカによる民主主義や自由が世界へと広がり、各国で発芽するというある種の理想を表すとともに、その暗部をも示唆するものだ。

展示風景より、左がヤン・ヴォー《We The People (detail) Element #D3》(2011)。手前が《Lot 20. Two Kennedy Administration Cabinet Room Chairs》(2013)

 同作の周囲には、ヴォーがオークションで手に入れた、ケネディ政権時代のホワイトハウス閣議室で使⽤されていた国防⻑官ロバート・マクナマラ所有のマホガニー製の椅⼦2脚をベースに、その機能性と元の形態が認識できない状態に変えたインスタレーション《Lot 20. Two Kennedy Administration Cabinet Room Chairs》(2013)が展示。また、マクナマラを中⼼としたフィクションと理論を融合させたリアム・ギリックの《McNamara》(1993)が連続性を見せる。

 2階ではポール・マッカーシー、ジョナサン・モンク、ペーター・フィッシュリ /ダヴィッド・ヴァイス、サイモン・フジワラ、ジョン・ジョルノ、トリシア・ドネリーらの作品が展開されている。

2階の展示風景

 ポール・マッカーシーの映像作品《Painter》(1995)は、マッカーシー自身がベラスケスやゴヤらが描いた「道化としての絵描き」を演じる作品。美術界におけるペインターの存在意義や、アート界そのものの構造をパフォーマンスによって鋭く揶揄する。

展示風景より、ポール・マッカーシー《Painter》(1995)

 同じくマッカーシーのインスタレーション《Kitchen Set》(2003-07)は、様々な日用品をチェスの駒に見立てて構成したシリーズのひとつ。そこには性的なイメージも盛り込まれており、消費社会や性別の役割といったテーマをも含む。

展示風景より、左がポール・マッカーシー《Kitchen Set》(2003-07)
展示風景より、奥がポール・マッカーシー《Children's Anatomical Educational Figure》(1990頃)。手前がイアン・ウィルソン《Circle on the floor》(1968)

 このほか、⼿彫りで彩⾊を施したポリウレタン製彫刻で芸術の役割を問いかけるペーター・フィッシュリ /ダヴィッド・ヴァイスのインスタレーション《Untitled》(1994-2013)、様々なアーティストたちの作品から着想を得たジョナサン・モンクの作品群、円を描く⽅法を指⽰した指⽰書が作品となっているイアン・ウィルソンの《Circle on the floor》(1968)など、いずれも見応えのある作品が揃う。

展示風景より、手前中央がペーター・フィッシュリ /ダヴィッド・ヴァイス《Untitled》(1994-2013)
展示風景より、ジョナサン・モンクの作品群

 最上階は、自然光がふんだんに射すスペース。ここではフィリップ・パレーノの代表作のひとつである《My Room Is Another Fish Bowl》(2018)と戯れたい。

 魚型のマイラー製ヘリウム⾵船が展⽰空間内で浮遊するこの作品。⾵船は⼈々の動きや気候変化、空調などに反応して展示室内を自由に移動していく。来場者は作品に⾃由に触れることでその動きに干渉することもできる。展⽰室全体が⽔槽のようであり、子供も楽しめる知覚体験を提供する重要なスペースだ。

展示風景より、フィリップ・パレーノ《My Room Is Another Fish Bowl》(2018)

ラビットホール別館 福岡醤油蔵

 ここまで見てきたラビットホールの開館に伴い、同財団が所有する歴史的建造物「福岡醤油建物」も芸術・教育・⾷⽂化の複合施設「ラビットホール別館 福岡醤油蔵」として改修。新たなかたちで活動を開始した。

 この建物は、現代美術作家の個展をするラビットホール別館としての「福岡醤油ギャラリー」(芸術エリア)、⽇本茶を再定義した茶房と売店を併設した店舗「SABOE OKAYAMA」(⾷⽂化エリア)、学校⽣活に不安を持つ児童・⽣徒・保護者の⽀援を⽬的とした塾「なる塾」(教育エリア)の3つが展開される。

⾷⽂化エリアのエントランス
2階にある「なる塾」

 このうち福岡醤油ギャラリーでは、イシカワコレクションの中核をなすコンセプチュアル・アーティスト ライアン・ガンダーによる「Together, but not the same」展(終了日未定)が開催。

福岡醤油ギャラリー

 1階に展示される《Moonlighting》(2018)はガンダーがピカソの作品を模倣した平面作品群。このタイトルは「夜なべの作業」を意味しており、ピカソの仮面をかぶって制作を行ったガンダーの姿そのものを指している。

展示風景より、ライアン・ガンダー《Moonlighting》(2018)

 地下には広々とした展示空間が広がっており、様々なバリエーションのガンダー作品を見ることができる。

 これまでも国内で展示されてきた《Magnus Opus》(2013)は、ランダムに振り付けられた表情が無限ループで作成される人気作品。

展示風景より、左から、ライアン・ガンダー《Magnus Opus》(2013)、《Make everything like itʼs your last - Maya》(2014)、《Imagineering》(2013)
展示風景より、ライアン・ガンダー《Magnus Opus》(2013)

 壁の穴から小さなネズミが語りかける《2000 year collaboration (The Prophet)》(2018)もまた人気の作品だろう。ネズミの声はガンダーの娘が演じており、その内容は映画『独裁者』の終盤でチャップリンが演説した内容を書き換えたものだ。

《2000 year collaboration (The Prophet)》(2018)

 新作も展示されている。《The Rabbit Hole》(2025)はラビットホールのロゴマークを作品化したもの。不思議の国のアリスのように穴に飛び込むウサギは、アートを通じた非日常的な体験への入口だ。

展示風景より、奥に見えるのが《The Rabbit Hole》(2025)
展示風景より、ライアン・ガンダー《The Rabbit Hole》(2025)

 今後の20年を見据えて、スタートを切った石川文化振興財団とラビットホール。コンセプチュアル・アートの良作群をユニークな空間で見られる施設としての価値は高く、日本国内の新たなアート・デスティネーションとなることだろう。