2025.9.14

国際芸術祭「あいち2025」の注目作品をめぐる。「灰と薔薇のあいまに」をテーマに62組参加

「灰と薔薇のあいまに」をテーマに、世界22の国と地域から62組の現代美術とパフォーミングアーツのアーティストが参加する国際芸術祭「あいち2025」。その現代美術展から、主要作品を紹介する。

文・撮影=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長)

展示風景より、佐々木類《忘れじのあわい》
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 旧「あいちトリエンナーレ」時代を含め、2010年より3年ごとに開催され、今回で第6回を迎える国際芸術祭「あいち」。「灰と薔薇のあいまに」をテーマに、79日間の会期が幕を開けた。参加作家は世界22の国と地域から62組。主な会場は従来通りの愛知芸術文化センターに加え、今年は愛知県陶磁美術館、瀬戸市のまちなかだ。またパフォーミングアーツでは、テーマ「灰と薔薇のあいまに」を掘り下げ、「自然と人間の関係」「戦争と記憶」「支配と不均衡」の3つの問いを軸にプログラムを構成し、毎週末公演が行われる。

 2回目の「あいち」で芸術監督を務めるのはシャルジャ美術財団理事長であり、国際的に活躍するフール・アル・カシミ。本展のテーマは、モダニズムの詩人アドニスが1967年の第三次中東戦争時に残した詩からとられたもの。アル・カシミは開幕に当たり、パレスチナをはじめとする世界各地で起きている戦禍について言及しつつ、「感情があふれるような展示になっている。多くの作品からつながりを感じてもらえれば」。

 また今回、以下のステートメントが提示されたことも大きな特徴と言えるだろう。

国際芸術祭「あいち2025」は、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」(2007年)をふまえ、すべての先住民族および先住民のアイデンティティをもつ人々の際定文化、権利、そして尊厳を尊重します。また、民族や国籍、人種、皮膚の色、血統や家柄、ジェンダー、セクシャリティ、障がい、疾病、年齢、教など、属性を理由として差別する排他的言動や、その根幹にある優生思想(生きるに値しない命があるというあらゆる考え方)を許容せず、この芸術祭が、分断を超えた未来につながる新たな視点や可能性を見出す場合なることを目指します。

愛知芸術文化センター

 現代美術展でもっとも多くのアーティストが集まるのが、名古屋市にある愛知芸術文化センターだ。

 インドネシアのムルヤナは、工場で余った糸を使い、海の生態系をインスタレーション《Sea Remember》として構築。色鮮やかな珊瑚と白化した珊瑚を思わせる、2つのパートが対照的だ。

 杉本博司の代表作のひとつである「ジオラマ」シリーズは、画家の太田三郎、宮本三郎、水谷清による動物たちを描いた大作絵画とともに展示。作品化された動物の生と死、現実と虚構が共鳴する構成となった。

展示風景より

 シリア・ダマスカス出身のハラーイル・サルキシアンは、記憶や歴史、共同体に刻まれた暴力や不在の表現を探求している。ライトボックスがスラリと並ぶ《奪われた過去》は、シリア北部のラッカの博物館が収蔵していたコレクションにフォーカス。同館コレクションは8000点以上を誇っていたが、過激派組織「イスラム国」によって7000点以上が破壊・略奪され、現在は再建された博物館で約40点が展示されているという。本作は、その失われてしまった収蔵品を3Dプリントで甦らせる試みだ。

展示風景より、ハラーイル・サルキシアン《奪われた過去》

 一見美しいバーシム・アル・シャーケルの巨大な絵画作品《スカイ・レボリューション》。これらは、2003年のイラク戦争で作家が実際に目撃した爆撃直後の光景を描いたシリーズの一部。そこには破壊や喪失だけではなく、その先にある未来や生きていることの喜びが込められている。

展示風景より、バージム・アル・シャーケル《スカイ・レボリューション》

 レバノンのダラ・ナセルによる大規模なインスタレーション《ノアの墓》は必見だ。トルコ、ヨルダン、レバノンという3つの都市に伝わるノアの物語に着想を得て、それらを再構築するものだ。作品全体が方舟を思わせる設計となっており、版築はレバノンの墓、ドームはヨルダンの墓、土嚢袋はトルコの墓を象徴している。また染色布には各地のノアの墓で取った拓本や日本の藍染が施されている。

展示風景より、ダラ・ナセル《ノアの墓》

 ロバート・ザオ・レンフイは開発によって一度破壊され、その後自然が回復した場所である「二次林」に注目し、2017年から観察を続けてきたシンガポールのアーティスト。今回は、その観察の集大成であり2024年の第60回ヴェネチア・ビエンナーレで発表された《森を見る》が、《森を見る 2025》として再構成された。

展示風景より、ロバート・ザオ・レンフイ《森を見る 2025》

 クリストドゥロス・パナヨトゥは、美術館のライトコートに300本もの薔薇を植えた。これらの薔薇は品種開発のなかで商品化されなかったもの。種を育て選別するプロセスを浮き彫りにし、選ばれなかったものたちが集う庭として可視化した。

 ブルーシートと民族史的・博物史的なモチーフを組み合わせた作品をつくる久保寛子。巨大な吹き抜けで存在感を放つ《青い四つの手を持つ獅子》は、ヒンドゥー教の破壊と創造を司るヴィシュヌ神をモチーフにしたもので、いままさに起こっている戦争や災害と真正面に向き合う大作だ。

展示風景より、久保寛子《青い四つの手を持つ獅子》

 独自の手法で食品や食材を模した立体作品を手がける札本彩子は、屠殺場に通い、牛肉が解体され私たちの口に届くまでの過程をインスタレーションとして構築した。

展示風景より、札本彩子《いのちの食べかた》

瀬戸市のまちなか

 今回、初めて会場となった窯業が盛んな瀬戸市内では、元銭湯や商店、小学校など地域の建物を活用した展示が展開されており、街中を散策しながら作品が楽しめる。

 ガラスを使う気鋭の作家・佐々木類は、瀬戸の古民家で使われていたガラスやガラス会社に残っていたガラスを用いて、植物を用いた繊細なインスタレーションを、大正期に建てられ、2021年に閉店した旧日本鉱泉で発表。何度も瀬戸に足を運んだ佐々木は、地元の人々と採取した植物をガラスの中に閉じ込めた。かつて地元民が集う場であった浴室に、土地の記憶を宿す植物が美しく浮かび上がる。

展示風景より、佐々木類《忘れじのあわい》
展示風景より、佐々木類《忘れじのあわい》

 マイケル・ラコウィッツは、イラク系ユダヤの背景をもつアメリカの作家。2003年から続けている、古代アッシリア帝国(現在のイラク北部)の首都カルフ(ニムルド)の宮殿にかつてあった200枚のレリーフパネルを実物大で複製するプロジェクトのうち7点を見せる。作品の素材には食品のパッケージや新聞紙が使われており、遺物の儚い運命と資本主義によって埋もれる声を重ね合わせる。

マイケル・ラコウィッツ《見えない敵などいるはずがない》

 商店街を歩いていると出会う、マジックミラーが貼られたポップアップスペース。かつて八百屋だったこの場所では、冨安由真によるインスタレーション《The Silence (Two Suns)》に没入したい。瀬戸の鉱山で珪砂を精製する過程で寄り分けられた不純物が一面に積もる室内。目を凝らすと、瀬戸の磁器土でつくられた1万4000個もの花が散らばってる。「灰と薔薇のあいまに」というテーマに呼応する本作は、人間の争いの末路を示すかのようだ。

展示風景より、冨安由真《The Silence (Two Suns)》

 実際の鉱山施設である加仙鉱山株式会社では、オーストラリア出身で先住民族ヤウル族の末裔であるロバート・アンドリューが作品を展示。《内に潜むもの》は、ゆっくりと引っ張られた糸が振動しながら粘土、顔料、そして土の層を掘り起こし、壁面に螺旋状の形態を創出。いっぽう《ブルの言葉》は、天井からら滴が落ち、土の中に隠された文字が浮かび上がるというもの。ヤウルの長老からもらった言葉「ブル」(大地から空、そして時間を含む、周りに見えるすべてのもの)を出現させる。

展示風景より、ロバート・アンドリュー《ブルの言葉》

 旧瀬戸市立深川小学校では、彫刻家アドリアン・ビシャル・ロハスが壁紙を使った大規模なインスタレーション《地球の詩》を1階全体で展開。人間が誕生する以前、あるいは滅んだ後の世界を想起させる大作となっており、人間の歴史と記憶を再考する機会を与えてくれる。

展示風景より、アドリアン・ビシャル・ロハス《地球の詩》
展示風景より、アドリアン・ビシャル・ロハス《地球の詩》
展示風景より、アドリアン・ビシャル・ロハス《地球の詩》

愛知県陶磁美術館

 1978年に開館した、日本屈指の陶磁専門の美術館である愛知県陶磁美術館。谷口吉郎建築としても知られるここでは、陶を中心とする意欲作が揃う。

 エントランスでは、ペルーを拠点とするエレナ・ダミアーニの地質学的な時間軸を可視化した《レリーフⅢ》が展示。またナイロビとアメリカを拠点に活動するワンゲシ・ムトゥは、うろこのある黒く膨らんだ蛇の体と繊細な彫刻が施された青い陶製の頭を枕に載せた《眠れるヘビ》、女性(ムトゥ自身)が頭上に大きな籠を載せ、丘を登ろうともがく姿が映し出す3チャンネルのパノラマ・アニメーション作品《すべてを運んだ果てに》を展示。ともに黒人女性を取り巻く厳しい状況を訴えかける。

展示風景より、左からワンゲシ・ムトゥ《眠れるヘビ》、エレナ・ダミアーニ《レリーフⅢ》
展示風景より、ワンゲシ・ムトゥ《眠れるヘビ》の頭部

 グアテマラのマリリン・ボロル・ボールは、マヤ・カクチケル族にルーツをもつアーティスト。《水はコンクリートになったー「山が奪われセメントがもたらされた」シリーズより》は、先住民が日常生活で使用する陶器の中にコンクリートが詰められている。機能を失った器は、地域の支配階級が先住民のコミュニティにもたらした傷を暗に示すものだ。

展示風景より、マリリン・ボロル・ボール《水はコンクリートになったー「山が奪われセメントがもたらされた」シリーズより》(2023|2025)

 陶の造形とパフォーマンスを融合させることで知られる西條茜は、瀬戸でのリサーチを重ねて窯業における労働と身体の関係着目。新作《シーシュポスの柘榴》をつくりあげた。会期中は作品を動かすパフォーマンスで足元のカーペットに引きずられた跡を残し、環境と人の関わりを表す。

展示風景より、西條茜《シーシュポスの柘榴》

 アメリカを拠点とするシモーヌ・リーは、ブラックネスを主体的に語るアーティスト。西アフリカの伝統建築に見られる素材や建築様式、茅葺き屋根を想起させるラフィアの巨大なタワー《無題(ジューン・ジョーダンにちなんで)》は、詩人、教師、活動家でもあるジューン・ジョーダンへのオマージュ。

 また大型のブロンズ彫刻《壺》は、19世紀にアメリカ南部サウスカロライナ州エッジフィールド地区で、奴隷や奴隷から解放されたアフリカ系アメリカ人職人によって制作された顔付きの水差しに着想を得たもの。いっぽう《無題》では、奴隷貿易の通貨であるタカラガイがその表面を覆う。

展示風景より、左からシモーヌ・リー《無題(ジューン・ジョーダンにちなんで)》《無題》
展示風景より、シモーヌ・リー《壺》

 ネイティブ・アメリカンであるチャヌーパ・ハンスカ・ルガーは、《いまを生きる(家路)》によってマンダン族の祖先たちが「たたき技法」でつくってきたうつわを自身の手で再現するプロセスを見せる。

展示風景より、チャヌーパ・ハンスカ・ルガー《いまを生きる(家路)》

 敷地内にある「デザインあいち」では、加藤泉の作品を個展形式で見ることができる。ほぼ新作で構成されており、リトグラフシリーズ「From the Sea」(2021〜22)から発展させた海や生き物をモチーフにした絵画シリーズは、魚介類の図鑑や写真などを参照しながら描かれた。また同館コレクションと組み合わせた立体にも注目だ。

展示風景より、加藤泉の作品群
展示風景より、加藤泉の作品群

 なお屋外には、野生動物との関係を独自の視点からとらえたガーナとイギリスを拠点とするアーティストグループ「ハイブ・アース」による版築構造を用いた《瀬戸の版築プロジェクト「凸と凹」》も展開されている。

展示風景より、ハイブ・アース《瀬戸の版築プロジェクト「凹」》
展示風景より、ハイブ・アース《瀬戸の版築プロジェクト「凸」》

 前回の「あいち2022」では総勢100組が参加し、エリアも広大だった。いっぽう今回は参加作家数も会場数も比較的コンパクトにまとめられており、より周遊しやすい設計だ。フール・アル・カシミが設定した「灰と薔薇のあいまに」というテーマを、コンセプトあるいは素材で体現する作品の数々を堪能してみてはいかがだろうか。