• HOME
  • MAGAZINE
  • NEWS
  • REPORT
  • 日本初公開のスケッチも。「藤田嗣治からレオナール・フジタへ…
2025.10.27

日本初公開のスケッチも。「藤田嗣治からレオナール・フジタへ 祈りへの道」が軽井沢安東美術館で開催中

藤田嗣治(1886〜1968)の作品だけを所蔵する美術館として2022年10月8日に開館した軽井沢安東美術館。開館3周年を記念して、フランスはシャンパーニュ地方のランス美術館との共同企画展「開館3周年記念企画 ランス美術館コレクション 藤田嗣治からレオナール・フジタへ 祈りへの道」展が開催されている。

文・撮影=中島良平 All photo © Fondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2025 B0929

展示風景より
前へ
次へ

 1913年に渡仏し、モディリアーニやピカソ、パスキンなどと交友を結び、エコール・ド・パリのアーティストとして人気を集めた藤田嗣治。1940年にドイツに占領される直前のパリを離れ、日本に帰国した。第二次世界大戦中には、軍の要請で藤田は戦争画を描き、敗戦後の占領期には「戦争協力者」と批判されることとなる。戦争画の収集作業に協力させられるなど、画家として制作することのできない状況にも失意を覚え、1949年に日本を去ると、1955年にフランス国籍を取得し、同時に日本国籍を抹消。2度と日本の地を踏むことはなかった。

 苦悩と葛藤に苛まれ、1910年代に取り組んだ宗教画に再び関心を寄せることになる藤田。1959年に夫人である君代とともにランス大聖堂でカトリックの洗礼を受け、新たな信仰の道を歩み始める。洗礼名は、敬愛するレオナルド・ダ・ヴィンチにちなんでレオナール・フジタ(以下、文中の表記はフジタで統一)。のちにランスに「平和の聖母礼拝堂(通称シャペル・フジタ)」を建設することになるその経緯を紐解き、フジタ晩年の足跡をたどるべく、妻・君代とその遺族から寄贈された2300点以上の作品や資料を所蔵するランス美術館との共同企画で実現したのが、「藤田嗣治からレオナール・フジタへ 祈りへの道」展だ。

 展示は3章で構成されている。第1章は「藤田嗣治からレオナール・フジタへ」。フジタが洗礼を受けた日にランス大聖堂に献納した聖母子の作品を中心に、パリに戻ってからフランス国籍を取得し、カトリックに改宗してレオナール・フジタとなるまでを展示する。

展示風景より ©︎Succession Tetsuo Abe, Tsutomu Abe

 1955年にフランス国籍を取得し、4年後の1959年10月14日には、キリスト教徒として画業と向き合うために、シャンパーニュ地方のランス大聖堂で君代夫人とともに洗礼を受けた。15社ほどのテレビ局や新聞記者たちが取材に入り、その記録映像は現在も残されている。

 フジタとランスとを結びつける重要な役割を果たしたのが、シャンパーニュ・メゾンのG.H.マム社とテタンジェ社であり、洗礼式で代父をマム社の取締役であるルネ・ラルーが、代母をテタンジェ社創業家のフランソワの妻であるベアトリスが務めた。パリで開催された個展で、ラルーがフジタの描いたバラの絵に魅了されたことがきっかけとなり、たんなる画家と支援者とのそれを超えた深い信頼関係が始まった。

展示風景より
展示風景より、左から《聖母子(習作)》(1959頃)ランス美術館、《聖母子》(1959年10月14日)ランス大聖堂蔵 ランス美術館寄託、《聖母子》(1959頃)ランス美術館

 作品はすべて、軽井沢安東美術館とランス美術館が所蔵(一部寄託)するもの。オーナーである安東泰志が「どうしてこれだけ静謐な絵画が描けるのだろう」と、おもにフジタの後半生の作品に魅了され、蒐集を続けてきた軽井沢安東美術館と、先の述べた2300点以上の作品や資料に加え、フジタが人生の集大成として建立に携わった「平和の聖母礼拝堂」の建築家モーリス・クロジエ所有のデッサンや資料も収蔵し、ランス大聖堂所蔵作品の寄託を受けるランス美術館との共同企画だからこそ、これだけ内省的で、信仰心に裏打ちされたフジタ作品の数々を集結した展示が実現したといえるだろう。

 展示第2章は、「聖母子へと続く道 〜少女を描く〜」。フジタが晩年繰り返し描いた少女像にモデルはおらず、いわばフジタの理想の子供であった。その無垢な姿に宗教画としての要素を加えていき、やがて聖母子像へと昇華を遂げていったことがこの章の展示でわかる。

展示風景より
展示風景より、左から《二人の少女》(制作年不詳)軽井沢安東美術館、《二人の姉妹(習作)》(1959年8月8日)ランス美術館
展示風景より、《パリの少女》(1955頃)軽井沢安東美術館
展示風景より、左から《若い娘とバラ》(1956)軽井沢安東美術館、《花を持つ聖母》(1965年6月21日)ランス美術館、《ばらと少女》(1952)軽井沢安東美術館

 パリにやってきたばかりの1910年代の宗教画からは、フジタが西洋で画家として名を成すために独自の表現を模索する姿が想像でき、1950年代以降の少女像や聖母子像からは、すでに自身の手法を獲得しながら、より純粋な気持ちで理想的な無垢なる像を描こうと試みた姿勢が伝わってくる。

展示風景より、左から《母子像(習作)》(1953頃)ランス美術館、《母子像》(1952)軽井沢安東美術館
展示風景より
展示風景より 1913年に渡仏したフジタの初期の宗教画を展示。壁に掛けられた《祈り》(左)は1918年、《受胎告知》(右)は1918年頃に描かれた作品 軽井沢安東美術館蔵

 そして第3章、「フジタ、最後の挑戦 〜ランス平和の聖母礼拝堂建設〜」へ。洗礼式が行われた1959年10月14日、フジタは礼拝堂の建設を計画していることを公表した。「僕はあと20年生き永らえたいと思っています。なぜなら教会の装飾を行うのが僕の夢だから」。代父を務めたマム社のルネ・ラルーは、自社の隣の土地を礼拝堂の敷地として購入したばかりか、建設費用の一切を引き受けた。そして、ラルーの友人で建築家のモーリス・クロジエを紹介し、フジタとの綿密なコミュニケーションのもとに設計、施工が進められた。

 第3章の展示では、最晩年のフジタが全身全霊を注ぎ「平和の聖母礼拝堂」内部に描いたフレスコ画をほぼ原寸サイズで再現し、チャペル建設のために描いたデッサンの数々を展示する。フレスコ画《四聖獣に囲まれた神と神秘の子羊》のためのドローイングを含む、ランス美術館所蔵のスケッチ44点は日本初公開となる。

展示風景より、フレスコ画の中央に《聖母子》が、天井近くに《四聖獣に囲まれた神と神秘の子羊》が描かれている ©︎Ville de Reims
展示風景より、《四聖獣に囲まれた神と神秘の子羊》のためのドローイング ランス美術館蔵
展示風景より、16名の聖人や預言者などを描いた「聖具室の扉」を再現し、ドローイングを展示 ランス美術館蔵
展示風景より ランス美術館蔵

 ランス美術館は現在、大規模な改修と拡張工事が行われており、2027年に予定する再オープンの際には、フジタ作品のための展示スペース「フジタギャラリー」もオープン予定だという。これだけの数のフジタ作品が一挙に貸し出され、しかも安東美術館が所蔵する同時期の作品と併せて鑑賞できる機会はとても貴重だ。画家の晩年の足取りを軽井沢安東美術館で味わってほしい。まだあまり知られていないフジタの顔に出会えるはずだから。

展示風景より

 第3章で「開館3周年記念企画 ランス美術館コレクション 藤田嗣治からレオナール・フジタへ 祈りへの道」は終了だが、猫や少女を描いた作品や、複数の自画像を含むコレクション展示や、「『葡萄酒、花、炎』—ワインが彩るフランス風景」と題する特集展示へと続く。