2025.11.27

「FUJI TEXTILE WEEK 2025」(山梨県富⼠吉田市)開幕レポート。織物の町に流れる“見えない力”を可視化する

富士山麓の織物産地・富士吉田を舞台に2021年から開催されている「FUJI TEXTILE WEEK」。今年の芸術祭は「織り目に流れるもの」をテーマに、土地の記憶と不可視の流れに光を当てる。その様子をレポートする。

文・撮影(*を除く)=王崇橋(ウェブ版「美術手帖」編集部)

展示風景より、柴田まお《Blue Lotus》
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 山梨県富士吉田市で開催される「FUJI TEXTILE WEEK」は、1000年以上続く織物産地の歴史を背景に、テキスタイルとアートが交差する国内唯一の「布の芸術祭」として2021年にスタートした。使われなくなった工場や倉庫、店舗を展示会場として再生し、産地の記憶を未来へつなぐ取り組みは、毎年まちの新たな表情を引き出している。

 4回目となる2025年のテーマは「織り目に流れるもの」(会期は12⽉14⽇まで)。表層からは見えない伏流水のように、手のリズム、土地の気配、歴史の層が織物の下で脈打っているという不可視の流れに光を当てる試みとして、南條史生(アート展ディレクター)と丹原健翔(キュレーター)による体制で展覧会が構成されている。

 11月21日に開催されたプレス内覧会では、南條が「この芸術祭は、行政主導ではなく、地元の人々による“下からの力”で立ち上がった点に大きな独自性がある」と語った。また、同芸術祭の特徴について「地場産業であるテキスタイルを主軸に、職人とアーティストが密接に協働して制作を行う。こうした取り組みはほかにはほとんど見られず、非常に価値の高い試みだ」と述べている。

 丹原は、「私を含む作家チームは、2週間以上前から現地に滞在し、寒さの厳しいなかで制作を続け、開幕前日の深夜まで最終チェックを行った」と説明。また、作家全員が新作を発表するという芸術祭としても珍しい構成になっている。

旧山叶会場

 総合案内所となる旧山叶会場では、相澤安嗣志によるインスタレーション《How The Wilderness Thinks》が来場者を迎える。富士吉田で集められた800枚以上のデッドストックの絹生地が、長さを変えて吊り下げられ、空間全体に洞窟のような景観を形成する。かつて絹の産地として栄えた地域の記憶を起点に、相澤は富士講の「胎内巡り」(溶岩が木々を包んだ痕跡を巡る再生儀礼)を本作に重ね合わせた。

展示風景より、相澤安嗣志《How The Wilderness Thinks》

 地域リサーチと伝承を架空の物語として編み直す手法で知られる増田拓史は《白い傘と、白い鳥。》で、富士吉田の絹生地産業──軍事用パラシュートの生産地としての近代史──と、不老不死を求めて富士山を訪れた徐福が死後に鶴へ姿を変えたという伝承を重ね合わせている。

展示風景より、増田拓史《白い傘と、白い鳥。》

 三面スクリーンの映像は連動と乖離を繰り返し、パラグライダーのハーネスや戦時資料、織機の駆動音が場内に散りばめられる。白い落下傘と白い鳥が象徴する「外から来た技術が別の姿で土地に受け継がれる」歴史の層が、鑑賞者の移動に伴い多方向的に立ち上がる。道路に面した窓には白い傘を用いたインスタレーションが設置され、作品の物語がまちの風景へとじわりと浸透していく。

 かつてガラス倉庫だった工場跡地の中央には、間堀川から汲んだ水を湛えるローリングタワーが立つ。これは齋藤帆奈による《織目に沿ったり逸れたりしながら流れる》だ。水は絹の反物を伝い、富士山の稜線のような曲線を描いて器へと落ちていく。布には粘菌が植えられ、温度や湿度に応じて移動しながら、色素を含んだ餌を摂取して軌跡を刻む。

展示風景より、齋藤帆奈《織目に沿ったり逸れたりしながら流れる》

 粘菌は人の温度に引き寄せられ、反物の織り目は地形のように作用する。富士山の湧水がつくる水脈に沿って人々の暮らしが形成されてきたように、ここでは水が「微視的な生存環境」をかたちづくる役割を果たす。制作期間中、齋藤は0度近い寒さのなかで粘菌を管理しながら寝泊まりしたという。布に刻まれた軌跡は、その共存の時間を刻む痕跡でもある。

旧糸屋会場

 旧糸屋の座敷には、絞り染めの途中段階で生まれる“絞り”の造形を増殖させた松本千里のインスタレーション《Embracing Loom》が広がる。支持体から生き物のように広がったかたちは天井や壁を伝い、中央に置かれた古い織機を抱きしめるように絡みつく。その姿は、長くこの場所に蓄積された手仕事の物語や思いが“テキスタイルの霊”として立ち上がるようにも見える。まちの変化とともに役割を変えてきた産地の記憶が、松本の滞在制作によって布のかたちとして呼び戻された。

展示風景より、松本千里《Embracing Loom》

 布を継ぎ接ぎするように増築されてきた旧住居の空間には、安野谷昌穂が2012年から制作を続ける布作品と、新作《寛厳浄土 赤・黒》が展示されている。富士吉田に工場を持つWatanabe Textileとの共同制作による生地に、森林限界の自然や人の営みを参照した模様をフェルティングニードルで打ち込んだ。富士山の厳しさと優しさ、極楽と地獄、生と死──山岳信仰の感覚を再解釈した本作は、色と光が重なり合い、静かな祈りの場をつくり出す。かつて織物が営まれたこの家に流れていた時間を、光がそっと呼び覚ましている。

展示風景より、安野谷昌穂《寛厳浄土 赤・黒》

KURA HOUSE 会場

 かつて質屋の蔵として使われていた KURA HOUSE。厚い土壁に囲まれ、時間が静かに沈殿する空間に、台湾出身のジャリン・リーは、布で象った花瓶や本、標本箱をそっと配置した。布の柔らかな質感は、かつてこの場所に持ち込まれた“誰かの大切なもの”の記憶を受け止める器として静かに佇む。

展示風景より、左はジャリン・リー《Unseen Spring》

 1階中央に据えられた新作《Unseen Spring》は、噴水を模した布の彫刻だ。水が湧き上がる源のように、目には見えない記憶や想いが立ち昇る気配を示し、今年のテーマ「織り目に流れるもの」と深く呼応する。布の重なりは水流のように空間をめぐり、蔵に眠る時間の層を柔らかく浮かび上がらせる。

 2階には、リーが拾い集めたサンゴや貝殻を金属に鋳造し、布製の標本箱に収めた作品群が並ぶ。富士吉田では、水資源を補うために人工水路が整備され、それが織物産業の発展を支えてきた歴史がある。リーは、こうした「人が水をかたちづくる行為」に着目し、噴水という象徴的モチーフを通して、水と記憶、生活のつながりを静かに映し出している。

 蔵の内部に柔らかな光の層を生み出すのは、向山喜章による4点の作品である。比叡・高野・大峯といった山岳信仰の地を象徴する「深山の祈り」の感覚が、蝋燭の灯りのような色調と静謐な空気に結びつく。

展示風景より、向山喜章の作品

 ワックスのような柔らかな表面、淡く発光する色彩──ひとつの点から放たれた光が厚みのある面へと織り上がるような構造は、かつて織物に携わった人々の営みや、富士山麓に受け継がれてきた祈りと静かに重なり合う。築70年以上の蔵に置かれたこれらの作品は、お堂のような静けさをまとい、場に積もった影と光の記憶を浄化するように響き合う。

 狭い階段を3階まで登りきると、長谷川彰宏による“光の場”が現れる。中央には三身即一を想起させる3つのシルエットが置かれ、左右の縦長の画面は厨子が開くように空間をかたちづくる。

展示風景より、長谷川彰宏の作品

 長谷川は、この会場を「富士塚」に見立てており、鑑賞者は山頂でご来光を拝むような体験へと導かれる。制作中に彼が思考の中心に置いていたのは、霧の高山で自身の影の周囲に虹が生まれる「ブロッケン現象」だった。かつて阿弥陀如来の来迎として語られたその現象は、科学的に解明された現在も神秘性を失わない。本作では、富士山山頂でふと振り返った瞬間に現れる“光の出来事”が、蔵という密度の高い空間で再び立ち上がる。

 信仰の地・富士吉田。山頂に阿弥陀如来がいると信じられてきた歴史とともに、築70年以上の蔵を“小さなお堂”に読み替え、光と影の作用を通して土地が持つ時間の厚みを体験させる構成となっている。

下吉田第一小学校プール会場

 下吉田第一小学校の旧プールには、かつての監視台や救命器具がそのまま残され、「視線によって安全が保たれていた場所」の記憶が空間全体に刻まれている。薄く水の張られたプールから立ち上がるのは、明見湖の蓮池を参照した柴田まおによる《Blue Lotus》である。

展示風景より、柴田まお《Blue Lotus》

 プールの周囲には複数のモニターが並び、カメラが会場の様子をリアルタイムで映し出す。柴田はこれまでもクロマキー合成を用い、青い彫刻が映像上で“消える”仕組みを作品化してきたが、本作では鑑賞者が長靴で蓮池に踏み入ると、青い布がカメラを遮り、鑑賞者自身が画面上から消える。いっぽうで、監視台が担っていた安全の機能は空白となり、空間は視線の途切れた不安定な状態へと移行する。

 それは、「見る/見られる」という構図が「守られる/狙われる」という別の関係性へ転換する瞬間でもある。AI監視、無人ドローン、AIカモフラージュ布など、テキスタイルと監視技術が急速に接続されつつある現在、柴田の作品は可視性と保護の境界を鋭く問いかけている。

FUJIHIMURO 会場

 旧富士製氷の氷室に展示された《TADANORI YOKOO ISSEY MIYAKE》は、A-POC ABLE ISSEY MIYAKEが美術家・横尾忠則と取り組んだ協業プロジェクトによる未発表作5点である。

展示風景より、A-POC ABLE ISSEY MIYAKE×横尾忠則《TADANORI YOKOO ISSEY MIYAKE》

 富士吉田の織物技術を応用し、横尾の絵画を「一枚の布の構造」として再構築。糸の密度や色糸の重ねによって絵画の動勢が織物内部に翻訳され、裏表で異なる色が交差する織りの構造が、布そのものの存在感とともに立ち上がる。衣服として着用可能である点は、作品が鑑賞者の身体を介して新たな意味を獲得する可能性を示し、芸術と生活、布と身体の関係を改めて問い直す契機となっていた。

 上條陽斗の《forming patterns》は、槙田商店と共同開発した「立体的に変形するジャカード織」を用いたインスタレーションだ。布は織組織の伸縮差だけで立ち上がり、富士山のかたちをフォーマットとして内と外、表と裏が反転する空間を形成する。

展示風景より、上條陽斗《forming patterns》

 鑑賞者が布の筒をくぐると頭上に逆さの山が現れ、異なる気圏へ移動したような感覚が生まれる。外側から眺めれば、内部で見た陰影が光として浮かび上がり、布が境界膜となって複数の視点を共存させる。ギュスターヴ・ドレ『神曲』挿絵「至高天」から着想したという本作は、「天国にもっとも近い場所」とされてきた富士山の信仰とも呼応し、“山を見る”という行為そのものを再編成している。

 永田風薫の《徐福 ー 鶴と火》は、富士吉田に伝わる徐福伝説を起点に、地域の仮面劇の形式を参照しながら「現在の神楽」として再構成した映像作品である。詩人・青柳菜摘による詩を導入に、白装束のダンサーが徐福面・蚕面・女面を順に被り替え、市内の複数の場所で舞う。

展示風景より、永田風薫《徐福 ー 鶴と火》 写真提供=FUJI TEXTILE WEEK*

 織機音や環境音を取り入れた永田の音響に導かれ、ダンサーの身体は土地の記憶をたぐり寄せ、実体を持たない徐福の気配を現在へと招き入れる。鶴となった徐福の伝承、福源寺の鶴塚、そして布産業に受け継がれた「遠くから来たものが別の姿で根づく」歴史。そういった複数の記憶の層が舞と音を通して重なり、時間の奥行きを伴って立ち上がる。

 南條は今後について、「この取り組みを継続し発展させることで、産業の活性化やクリエイティブな人材の往来が生まれ、まちのイメージそのものが変わっていくだろう。美術館のような文化資産がなかった富士吉田でも、芸術祭が続くことで文化的蓄積が芽生え、若い世代が“このまちに住んでみたい”と思う未来につながるはずだ」と語った。

 布と技術、風土と記憶が多層的に交わる本年のFUJI TEXTILE WEEKは、土地に眠る時間を織り直しながら、富士吉田という「織物のまち」の未来を静かに、しかし確かな力で指し示している。