2026.1.24

「開館40周年記念 路傍小芸術」(新潟市美術館)開幕レポート。いつもそばにあったものを憶えていたい

新潟市美術館で、長らく街の片隅にあり、多くの人々に見つめられてきた無名の人々による作品を紹介する「開館40周年記念 路傍小芸術」が開幕した。会期は3月22日まで。会場の様子をレポートする。

文・撮影=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長)

展示風景より、「松田ペット」の手描き看板
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 新潟市美術館で、屋外彫刻、銭湯の装飾、ミニコミ誌、看板絵といった、長らく街の片隅にあり多くの人々が見つめてきた無名の人々による作品を紹介する「開館40周年記念 路傍小芸術」が開幕した。会期は3月22日まで。担当は同館学芸員の藤井素彦。会場の様子をレポートする。

エントランスには担当学芸員の藤井素彦によって段ボールに描かれた展覧会タイトルがある

 本展は学芸員の手書きによる解説文が様々なところに散りばめられている。いずれもA4の紙にサインペンで書かれており、「路傍」のスタンプが押され、画鋲でパネルに止められているのが特徴だ。その言葉は展示の解説をしつつも、どこか独り言のようでもあり、また考えの途上をメモしているようにも感じられ、本展が構成された思考の流れを追いかけることができるようになっている。

展示風景より、藤井による解説文

 展覧会はまず「にいがた銭湯展」から始まる。本展は「にいがた銭湯大使」に任命されている、お笑いコンビ・ジャックポットの大野まさやと春巻まさしがゲストキューレーターを務めた。新潟市の各所にある様々な銭湯を、時代の変遷とともにきえていったものも含めて写真やイラストで紹介するほか、銭湯の装飾に使われる表現についても注目。上古町にある「菊の湯」で浴室に飾られており、休業時に新潟市歴史博物館へ寄贈されたペンキ絵は、描き変える必要がないタイル絵に取って代わられて、いまや全国的にも希少な存在だ。いっぽうのタイル絵も業者が少なくなってきており、その鮮やかなモザイクアートの技術も失われつつある。ほかにものれんや衣類カゴ、「ケロリン」の桶など、新潟の銭湯の歴史と、そこに宿った小さな美学が紹介されている。

展示風景より、中央が「菊の湯」のペンキ絵
展示風景より、ナナオによる「新潟銭湯図鑑」

 本展を担当した藤井は、かねてより新潟の屋外彫刻に関心を持ち、撮影を続けてきたという。藤井が自ら撮影し記録した、郷土の彫刻家である金子直裕(1915〜1997)や、あるいはコンクリート仏師として知られる福崎日精(1905〜1969)の作品は興味を惹かれるが、もっとも注目すべきなのは早川亜美(1912〜1980)のセメント彫刻群だろう。

展示風景より、新潟市内のセメント彫刻群の紹介

 早川は新潟市にアトリエを構え、多種多様な彫刻をつくり出した。小・中学校には希望や成長をテーマにした抽象的な彫像を、排水機場には水神をモチーフにした彫像を、そして競技場では縄文時代の火焔土器をモチーフにした聖火台をつくるなど、地域の公共事業の要請に沿いながら作品制作を行った作家だといえる。いずれも街の様々な場所に点在し、作家名は知られずとも人々の記憶の片隅に残った作品だが、セメント彫刻の寿命は短く50年とも言われている。いずれは失われてしまうであろう風景を紹介する、藤井の試みを楽しんでほしい。

展示風景より、早川亜美のセメント彫刻の記録写真

 『車掌』は、1987年以来、詩人の塔島ひろみが刊行を続けているミニコミ誌だ。その内容は実験的であり、例えば新品の画鋲を持ち歩き、行く先々で見つけた画鋲と交換、その画鋲を刊行する号の全冊に刺していくといった、意味のない行動が組み込まれている。最新の27号は冊子ではなく「かるた」になっているが、展示されているものは「よ」と「だ」で構成されており、文面も絵もにわかには意味内容が取れない、ナンセンスを極めたものとなっている。街の片隅でこうした刊行物をつくり続けている表現者がいるという事実に驚嘆せざるを得ない。

展示風景より、『車掌』27号

 本展では藤井により3人の画家がピックアップされているが、そのいずれの人物も謎が多い。飯田春行(1933〜2022)は教職を辞して絵画に没頭するようになった画家だが、その一見抽象画と思われる作品はアスファルトのひび割れた白線など、路上のものを徹底的に観察することで描かれていたことが死後に見つかった資料から判明した。

展示風景より、飯田春行の作品

 井上霞舟(生年不詳〜1967)は東京で絵画を学んでいたものの、家庭の事情で故郷に帰らざるを得なくなり、文具店を営む傍ら、風景や花鳥を画題に油彩や絹本彩色で絵を描いた人物だという。2代目が経営していたこの文具店に貼られていた「だるまの絵」と藤井が出会ったことから、その知られざる画業が本展で取り上げられることになった。発表の機会を求めず、近隣に絵を贈呈する程度だったというが、そのような広く目に触れなかったが確実に存在した「画家」について作品は静かに語る。

展示風景より、井上霞舟の作品群

 高橋一平(1952〜)は十日町生まれ、専門的な美術教育を受けていないものの、父方の祖父母が暮らしていた茅葺きの家を懐かしみながら何度も描いてきた。その絵は引き裂くような色鉛筆のストロークと複雑な彩色で描かれており、また広角レンズで覗いたかのように家は湾曲しせり出してきている。藤井いわく「サイ・トゥオンブリの領域に、自ら目指すことなくたどり着いている」という本作の迫力は、ぜひ実物を見て感じてもらいたい。

展示風景より、高橋一平の作品

 金沢市の金沢駅前に2020年まで存在した「駅前シネマ」は、実験的な映画企画や映画批評誌の刊行でも知られていた。同館の1975年から10年間ほど、上映企画のポスター制作を担ったのが「架空線工房」という三人組の青年集団だった。「映画をポスターで語る」という意欲のもとに生み出されたそのポスターは、たんなる映画の紹介ではなく、各企画の作品をつなぎ止めている文脈が立ち表れている、極めて批評的なものだ。会場では22枚のポスターが展示されているが、175点が当時のメンバーの手で保存されているといい、その全容をいつか紹介したいと藤井は語った。

展示風景より、「駅前シネマ」の上映企画のポスター群

 創業60年近い老舗の大衆割烹「大佐渡たむら」。創業者であり先代店主の田村信郎は、ゴム板やビニールテープから文字を切り出し、プラスチック板に貼り付けることで独特のお品書きをつくっていた。その字は味わい深く、どこか料理の味をも想起させるような奇妙な魅力を放っている。

展示風景より、大衆割烹「大佐渡たむら」のお品書き

 1964年6月16日に発生した新潟地震は26名の死者を出し、石油コンビナートで大規模火災が発生、液状化も広範囲で起き、避難を余儀なくされた人々が数多くいた。被害を受けた南万代小学校の6年2組の生徒たちが、翌年の卒業記念にこの地震の記憶をそれぞれ版画にし、版画集を制作している。本展ではこの版画集の全46点を展示しており、当時の子供たちの不安な心情や、渦中でも希望を失わずに協力し合う様子などが、生き生きと刷られている。防災につながる災害の伝承が、このような創作のかたちで可能であることをいまに伝えてくれる。

展示風景より、南万代小学校6年2組の生徒による新潟地震の記録版画

 関越自動車道の越後川口サービスエリアは1982年にオープン。その当時から勤務している水落裕子は、エリア・コンシェルジェとしてサービスエリアを訪れる人々の案内をしている。水落は仕事の傍ら、88年より毎月、新潟エリアのイベント情報を手描きのポスターでまとめて掲示してきた。水性のサインペン「ポスカ」を使用し、緻密に詰まった文字の構成だけで様々なディテールを表現したこのポスターは、その卓越したデザイン性から、やがて広く知られるようになる。デザインを学んだことはないという水落の生み出した唯一無二のポスターは、今年3月の水落の退職後には見られなくなるかもしれない。しかし「その創作が何らかのかたちで続いてほしい」と藤井は語る。

展示風景より、関越自動車道越後川口サービスエリアの案内ポスター

 鉄道駅に直結していないながらも、延長330メートルという規模を誇った新潟の地下街「西堀ローサ」は、中心市街の衰退もあり昨年3月までで全店が営業を終了、今後の活用が検討されている。同地下街に隣接する地下駐車場も老朽化もあり休止となったが、藤井はこの駐車場にあった壁画に着目した。鑑賞が目的ではなかった壁画だが、多くの市民の目には触れていたはずで、美術館という場でその意匠を改めて確かめてみるという試みになっている。

展示風景より、西堀地下駐車場の壁画の写真展示

 なお、駐車場壁画のそばでは、越後の珍奇な風物や怪異譚を記した江戸時代刊行の『北越奇談』も展示されている。当時は江戸からはるか遠い場所であった越後は、本書によってことさらに奇妙な場所として映っただろう。まるで本展で新潟の知らなかった表現者と出会う来場者のように。

展示風景より、『北越奇談』

 最後に紹介するのは、展示室1室すべてを使って展開される「松田ペット」の手描きの看板絵とその関連作品だ。長岡にあるペットショップ「松田ペット」は、店舗を中心にその半径10キロほどに看板を複数展開、その周辺に三頭の犬が並ぶ独特の味わいの看板を掲出している。この看板は「例の看板」とも呼ばれ、近年は街の名物として全国的に紹介されるようになり、グッズ化も果たすようになったので知っている人も多いだろう。このセクションでは「例の看板」を研究してきた新稲ずなをゲストキュレーターに迎えている。

展示風景より、「松田ペット」の看板

 「例の看板」の基本フォーマットは、藤井いわく「釈迦三尊」のようにビーグル、チワワ、ヨークシャーテリアが3匹並び、こちらを見つめ返してくるというもの。これまでに累計900枚以上が描かれ、掲示されたと考えられており、長岡市民の生活の片隅にいつもある看板だ。会場には迫力ある実物の看板が並び、さらに制作の過程や、看板の裏を再び再利用する様子などが実物とともに解説されている。

展示風景より、「松田ペット」の看板

 いっぽうで、本展覧会ではこの看板が複数の絵師によって、微妙な変遷を経ながらも、形式を維持してきたことが解説される。2023年ごろ、40年にわたりこの看板を描いてきた小千谷市の看板職人・近藤忠男は高齢になったために、この「例の看板」の仕事を2代目の青柳謹一へと継承した。しかしながら、それは昨年公表されるまでほとんどの人が気がつかなかったという。さらに近藤忠男の子息である近藤淳一が描いたものも存在し、実際に見比べるとそれなりの差異を認めることができる。これは、市民が共有している文化であるからこそ、その差異がとくに気にされなかったということであり、街場に作品があることと、美術館に作品があることの差を考えるうえでも重要な視座を提供してくれる。

展示風景より、「松田ペット」の歴代の看板

 藤井は、本展を否定からつくったという。「アウトサイダー・アートの展示ではない」「文化人類学や民藝ではない」「大文字の『美術』を転倒したいわけではない」などだ。ここに展示されてるのは、人々の傍らにいつも佇んでいる「路傍」的存在であり、生活に密着した「小芸術」である。「路傍小芸術」というタイトルにはそのような藤井の思惑が込められていると考えていいだろう。

展示風景より、関越自動車道越後川口サービスエリアの案内ポスター

 「路傍小芸術」は、街の人々の日々の生活の傍らに佇む。それらはあくまで世間話のレベルで語られたり、あるいはSNS等で瞬間的に流行したりすることもある。ただ、それをどこかに留めて、いつでも引き出せる視点を与えないことには、閉店していく銭湯、崩れゆくセメント彫刻、属人的な看板やポスターは、それを見ていた人の記憶とともに忘れられてしまう。また、例えば2004年の新潟県中越地震のような、地域の人々が決して忘れることができない出来事の断片が、いまにも忘れられそうなもののなかに刻まれていたりもする。今回、美術館のホワイトキューブに路傍が持ち込まれたことで、これまで口述のなかにしかなかった路傍の存在が、交換・流通可能な言語として立ち上がった。本展のもっとも重要な点はそこにあるのではないだろうか。美術館は場として、人々の良き路傍になることができるか。そんな挑戦をぜひ会場で体験してほしい。