櫛野展正連載「アウトサイドの隣人たち」:偉大なるアマチュアリズム

ヤンキー文化や死刑囚による絵画など、美術の「正史」から外れた表現活動を取り上げる展覧会を扱ってきたアウトサイダー・キュレーター、櫛野展正。2016年4月にギャラリー兼イベントスペース「クシノテラス」を立ち上げ、「表現の根源に迫る」人間たちを紹介する活動を続けている。彼がアウトサイドな表現者たちに取材し、その内面に迫る連載。第83回は、再生紙を使ったクラフトバンドを加工して作品をつくり続ける「六空(ろっくう)工房」の川原千明さん、「裂き織り 織り工房楽」の山田清春さん・山田真知子さん夫妻に迫る。

文=櫛野展正

左から、「裂き織り 織り工房楽」の山田清春さん・山田真知子さん夫妻、「六空(ろっくう)工房」の川原千明さん
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 色鮮やかな再生紙を使ったクラフトバンドを加工して編み上げられた手提げカバンや人や龍をイメージした造形物たち。その向こうには、昔話をテーマにした大型のタペストリーが飾られている。頭部がヘルメット状になった等身大の人形には、映画「スター・ウォーズ」シリーズでお馴染みのC-3POやダース・ベイダーをモチーフとしたものまである。これらは、静岡県立森林公園森の家で開催されていた展覧会「でたらめおもしろ作品展」で展示されていた作品たちだ。

 この展覧会は、静岡県浜松市の「六空(ろっくう)工房」の川原千明さんと、磐田市の、「裂き織り 織り工房楽」の山田清春さん・山田真知子さん夫妻によるアマチュア作家の合同展で、今回で5回目の開催になるという。

 1962年に浜松市で生まれた川原千明さんは、サラリーマンとして浜松市内の会社に長年勤務してきた。昔からものづくりは好きで、40歳の頃には3年ほど書道に熱中した。若い頃からバンドを組むなどして音楽にも傾倒していたことから、雅号を「ロック」をもじった「六空」と名乗った。

 2018年ごろからは、趣味のひとつとして、ミュージシャンや歌舞伎役者などをモデルにした消しゴムハンコ制作を始めたこともあった。知り合いの消しゴムハンコ作家の展示を観るために、浜松市天竜区二俣地区にある古民家ギャラリーを訪れたのは、2020年1月のこと。それが川原さんにとっては、大きな転機となった。このギャラリーでは、毎月のようにアマチュア作家の展覧会が開催されていることから、そこで山田さん夫妻をはじめ、様々な人たちと知り合うことができたようだ。同時に、この時期は川原さんだけでなく、世界中の人たちが大きな変化を迫られることになった。­新型コロナウイルスによるパンデミックが広がり、人々はステイホームを余儀なくされた。緊急事態宣言の際は、マスクなどの衛生用品が急激な需要増により品切れや品薄が発生し、入手困難となったことは記憶に新しいだろう。

「ゴールデンウィークの9連休の際は、散歩をするかTシャツを使って布マスクづくりをするかぐらいしかしていなくて、一時期は自作マスクを100個ほどつくっていました。その後、張り子制作や現在のようなクラフトバンドを使ったカバン制作へと移行していったんです」。

川原千明さん

 川原さんによれば、最初は規則的に編んでいたが、たった1mmのずれが致命傷へとつながっていく制作工程に、やがてストレスを感じるようになったのだという。そんなジレンマを抱えていた2021年3月、山田真知子さんらと島田市と訪れた際に、通りすがりの女性が持っていたアケビのツルを不規則に編んだカバンを見て、その独創性に心を鷲掴みにされた。川原さんも見よう見まねで、クラフトバンドを使った自由なカバンを創作。「こんなの見たことない」と周囲から好評を得たことから、以後はそれらを「でたらめ編み」と称して、作品制作や展示発表を続けているというわけだ。

 制作においては設計図などなく、そのときの感覚で編んでいくのだという。編む紐の色や幅もそのときどきで異なるため、同じものは二度とつくることができない。「思いつきでやっているので、そのときの自分の体調や気持ちが形にあらわれるのでは」と教えてくれた。

川原さんの作品

 いっぽう、1953年に磐田市で生まれた山田清春さんは、小さい頃から天体に興味を抱き、手先が器用だったため、望遠鏡などを自作し、夜空を眺めることが好きな少年だった。高校卒業後は、父親の勧めで、20歳から左官業に従事。浜松市内で住み込みとして5年間修行したあと、27歳から磐田市で独立し、いまも現役の左官職人として働いている。妻である1歳年下の真知子さんとは、友だちの紹介で知り合って、21歳のときに結婚し2人の子供を授かった。

 「外出するときはいつも一緒」という夫妻が、あるとき、趣味の骨董品を眺めに店を訪れた際、3センチほど織られた状態で販売されている中古の卓上裂き織り機に目を奪われた。「やってみたい」とその場で購入した真知子さんは、その日から裂き織りに熱中するようになった。

山田清春さん・山田真知子さん夫妻

 当初は、マフラーやコースターなどをつくっていたが、「卓上だけでは面白いものはできない」と知人から大型の織り機を安価で譲ってもらった。その織り機を使って、画面を4分割し、それぞれに富士山の春夏秋冬を表現した横幅50センチほどの作品を織ったところ、「これは面白い。もっと多くの人に観てもらったら」と知人から声をかけられた。それを新聞記事で見つけた静岡県立美術館の静岡裂織公募展に応募したところ、入選し、これまでの裂き織りにはない、その自由な表現が賞賛されたという。同時に、真知子さんは他の人たちがつくった大型の展示作品に圧倒された。「このサイズでは小さいということが身に染みてわかりました。恥ずかしくって、すぐに退散したくらいですから」と語る。もっと大規模な創作表現を求めて思案していたところ、夫の清春さんが大型の織り機を自作してくれた。そこから、清春さんも裂き織りへ没頭するようになり、夫婦で共に2台の織り機を並べて、一緒に裂き織りのタペストリーをつくり続けている。互いに飽きることがないように、織る場所を絶えず交換しているというから、そのエピソードだけでも夫婦の仲の良さが伝わってくる。

山田さん夫妻の作品

 そして、特徴的なのは、「ウサギとカメ」のウサギがハンモックで休む姿など、「昔話」の一場面に、思わずクスっと笑ってしまうようなアレンジを加え、タペストリーとして表現している点にある。ひとつの場面ですべてがわかるような下絵を清春さんが描いたら、あとは2人で縦糸の隙間から見える下絵を見ながら、布を変えて織り込んでいく。古くなった着物を幅1センチほどに裂いた布を材料に織り込んでいくのだが、間違えてもやり直しなどはできない。慎重に作業していくため、1枚織り上げるのに、半年ほど掛かることもあるのだという。「花咲か爺さん」をテーマにした作品は、縦2m20cmある大作で、これまで20点ほどのタペストリーをつくってきた。

 「古くなった着物を材料に制作しているということで、色々な方から譲っていただくことも多いんです。でも最近は収納場所にも困っていますから、お断りさせていただいていますね。いつまで続けていけるかわからないので」。

 お話を伺って驚いたのは、アマチュア芸術家同士の多様なコミュニティが生まれているということだ。会場になった場所だけでなく静岡県西部の湖西市でも、川原さんらは定期的に合同展を開催しており、川原さんが帽子や仮面のような立体造形をつくれば、山田さんらも立体の仮面を和紙でつくりあげるなど、互いをライバル視し、切磋琢磨している様子を窺うことができた。決してアクセスが良いとは言えない会場には、連日コンスタントに多くの来場者が訪れており、山田さんらによると、こうしたネットワークを築くために、自分たちも積極的に他の人の展覧会に足を運んでいるのだという。

 近年、美術の世界ではアーティスト・コレクティブが注目を集めているが、当然のことながら、アマチュアの高齢者たちの間にもこうした動きは昔から存在しているわけだ。とくに僕を含めて会社勤めをする人たちにとっては、定年後の人生をどう過ごしていくのかという点において、残りの人生を楽しく愉快に過ごすためのヒントが、こうしたアマチュアのコレクティブにはあるような気がしてならない。あらゆる制約や規範から逃れた表現の極地こそ、アマチュアリズムの真骨頂なのだから。