EXHIBITIONS
千葉正也「絵画とiPS心筋細胞シート」
シュウゴアーツで、千葉正也による個展「絵画とiPS心筋細胞シート」が開催されている。
以下、本展の展覧会ステートメントとなる。
「千葉正也の『絵画と野菜』は、2021年にウィーンのギマレスで予定されていた展覧会──かつて馬小屋だった空間を改装した展示スペースでの計画──を出発点に生まれました。展覧会は実現しなかったものの、その構想がシリーズへと展開されていきました。馬の餌である野菜と絵画を同じ空間に配置するというプランをアトリエで試みた際、千葉は、恣意的に結びつけられた両者のあいだに『野菜が絵画を助け、補っているような独特の関係性』があることに気がついたといいます。
千葉正也は2010年代中頃まで、実在する二次元のイメージや三次元のオブジェ、テキストなどを複雑に絡めた、多次元的な構成の大画面の絵画を制作してきました。16年から17年頃より次第に画面は縮小し、背景の情報も整理される方向へと移行していきます。いっぽうで21年の東京オペラシティアートギャラリーでの個展ではペットの亀の視点で展示が展開されたり、23年のシュウゴアーツ『横の展覧会』では、会場自体を90度回転させたかのような視覚的にも身体的にも違和感をもよおす空間をつくるなど、鑑賞者の絵画体験を刷新する試みを続けてきました。
それらのインスタレーションはテクノロジーや、視覚的効果の新奇さに主眼を置いたものではありませんでした。千葉正也が一貫して追求してきたのは、絵画という伝統的な形式を起点に、絵画が帯びる『精神性』が空間に拡張し、鑑賞者へ作用する可能性についてです。
『思うに私が静物画を描くことにこだわっているのは、それが世界に対して困惑するためのフィールドのように感じているからであると思います。 世界と仮に名付けられ説明もなく目の前に広がっている事象の連なりを前に、誰にも気を使わずにいくらでも愕然として良い場として絵画を設定しています』(千葉正也)。
絵画が表現形式の主流であった時代ははるか昔となり、絵画は孤独な時代に置かれていると言えるかもしれません。千葉は、そんな絵画のための『伴侶』(?)として野菜やオブジェクトを選び、彼らとの関係性を築くことで、閉じた平面空間に新たな出口を設けようと試みているかのようにも見えます。
六本木のシュウゴアーツにて、千葉正也の飽くことのない絵画の冒険的な旅をどうぞご覧ください」(展覧会ウェブサイトより)。
以下、本展の展覧会ステートメントとなる。
「千葉正也の『絵画と野菜』は、2021年にウィーンのギマレスで予定されていた展覧会──かつて馬小屋だった空間を改装した展示スペースでの計画──を出発点に生まれました。展覧会は実現しなかったものの、その構想がシリーズへと展開されていきました。馬の餌である野菜と絵画を同じ空間に配置するというプランをアトリエで試みた際、千葉は、恣意的に結びつけられた両者のあいだに『野菜が絵画を助け、補っているような独特の関係性』があることに気がついたといいます。
千葉正也は2010年代中頃まで、実在する二次元のイメージや三次元のオブジェ、テキストなどを複雑に絡めた、多次元的な構成の大画面の絵画を制作してきました。16年から17年頃より次第に画面は縮小し、背景の情報も整理される方向へと移行していきます。いっぽうで21年の東京オペラシティアートギャラリーでの個展ではペットの亀の視点で展示が展開されたり、23年のシュウゴアーツ『横の展覧会』では、会場自体を90度回転させたかのような視覚的にも身体的にも違和感をもよおす空間をつくるなど、鑑賞者の絵画体験を刷新する試みを続けてきました。
それらのインスタレーションはテクノロジーや、視覚的効果の新奇さに主眼を置いたものではありませんでした。千葉正也が一貫して追求してきたのは、絵画という伝統的な形式を起点に、絵画が帯びる『精神性』が空間に拡張し、鑑賞者へ作用する可能性についてです。
『思うに私が静物画を描くことにこだわっているのは、それが世界に対して困惑するためのフィールドのように感じているからであると思います。 世界と仮に名付けられ説明もなく目の前に広がっている事象の連なりを前に、誰にも気を使わずにいくらでも愕然として良い場として絵画を設定しています』(千葉正也)。
絵画が表現形式の主流であった時代ははるか昔となり、絵画は孤独な時代に置かれていると言えるかもしれません。千葉は、そんな絵画のための『伴侶』(?)として野菜やオブジェクトを選び、彼らとの関係性を築くことで、閉じた平面空間に新たな出口を設けようと試みているかのようにも見えます。
六本木のシュウゴアーツにて、千葉正也の飽くことのない絵画の冒険的な旅をどうぞご覧ください」(展覧会ウェブサイトより)。