EXHIBITIONS
特集展示
YABU MEIZAN
大阪歴史博物館で、特集展示「YABU MEIZAN」が開催される。
江戸時代の終わりから明治時代にかけて、日本から諸外国に輸出された鹿児島の薩摩焼は“SATSUMA” と呼ばれ一大流行を巻き起こした。この流行に乗って全国の窯業地や輸出港に近い地域でも「薩摩焼」風陶磁器の製産や上絵付を行う産業が見られるようになった。そうしたなか、明治初期から昭和初期までのおよそ半世紀にわたり、大阪市北区でも輸出向け薩摩焼の上絵付と販売が行われ、YABU MEIZAN(藪明山)はその工房主の名前でありブランド名でもあった。
工房主の藪明山こと政七(1853~1934)は南画家・藪長水(1813~1867)の子として1853年に大阪で生まれ、明治初年から大阪で実業に従事し、1880年に工房を構え活動。1920年には、その功績をたたえ大阪府より実業功績者表彰を受けるなど、近代大阪の美術工芸界に重きをなした人物のひとりでもある。本展覧会では、2005年に開催した特集展示「明山薩摩の美―万国博覧会で愛された近代大阪のやきもの―」から20年間の研究成果をもとに、YABU MEIZAN(藪明山)の実像に迫る。
江戸時代の終わりから明治時代にかけて、日本から諸外国に輸出された鹿児島の薩摩焼は“SATSUMA” と呼ばれ一大流行を巻き起こした。この流行に乗って全国の窯業地や輸出港に近い地域でも「薩摩焼」風陶磁器の製産や上絵付を行う産業が見られるようになった。そうしたなか、明治初期から昭和初期までのおよそ半世紀にわたり、大阪市北区でも輸出向け薩摩焼の上絵付と販売が行われ、YABU MEIZAN(藪明山)はその工房主の名前でありブランド名でもあった。
工房主の藪明山こと政七(1853~1934)は南画家・藪長水(1813~1867)の子として1853年に大阪で生まれ、明治初年から大阪で実業に従事し、1880年に工房を構え活動。1920年には、その功績をたたえ大阪府より実業功績者表彰を受けるなど、近代大阪の美術工芸界に重きをなした人物のひとりでもある。本展覧会では、2005年に開催した特集展示「明山薩摩の美―万国博覧会で愛された近代大阪のやきもの―」から20年間の研究成果をもとに、YABU MEIZAN(藪明山)の実像に迫る。